日韓首脳が電話会談したけれど・・・

1)遅れた日韓の電話会談
 10月15日、岸田首相は韓国のムン・ジェイン大統領と電話会談を行った。岸田首相は、就任翌日の5日にアメリカとオーストラリア、7日にロシア、8日に中国とインド、13日にイギリスとの首脳会談を行っている。日本の新しい首相が韓国との会談を中、ロよりも遅れて行ったのはきわめて異例だ。そのタイミングは、不信感と対抗心に満ち溢れ、どん底にある日韓関係を如実に象徴するものとなった。
 日韓関係の悪化のきっかけは3年前に遡る。戦時における徴用をめぐって、韓国大法院が2018年10月に日本製鉄(旧新日鉄住金)、11月には三菱重工に賠償を命じた判決だ。また、韓国政府が11月に日韓慰安婦合意に基づく「和解・いやし財団」の解散を決定したのも、悪化に拍車を掛けることとなった。いずれも歴史認識に関わる問題だ。韓国からすれば35年に及ぶ日本の植民地支配の違法性を訴え、日本からすれば国際社会の法やルールを無視する韓国の姿勢を問うものである。とりわけ、徴用工判決は戦後の日韓関係の基盤となった「日韓請求権協定(1965年)」を土台から損なう問題をはらみ、深刻かつ根深い。
 韓国の大統領府・青瓦台は、岸田政権の誕生を機に早期の首脳会談を求め、関係の改善に期待を示してきた。ムン大統領は就任した岸田首相に祝賀書簡を送り、「両国は民主主義と市場経済という基本的な価値を共有している」と呼びかけた。また、「韓日関係を未来指向へ発展させるため、ともに努力したい」と訴えたという。遅れた日韓会談では、拗れた関係を改善する糸口を見いだすことができたのだろうか。
2)容易に折り合えない日韓
 日韓首脳の電話会談は35分間続き、ほかより長かったという。ムン大統領は、日韓の最大の懸案、徴用をめぐる最高裁判決について、「日韓請求権協定の適用範囲に対する法的解釈に相違がある問題」と指摘している。また、「外交的解決策を模索するのが望ましい・・・外交当局間協議・・・の速度を上げたい」と提案したという。慰安婦問題では、「被害者の方々の納得を得たうえで、外交関係にも支障をきたさない解決策を模索することが何よりも重要」と訴え、早期の解決に期待感を示している。これに対して、岸田首相は会談後の会見で、「国際的な約束、国と国との約束、あるいは条約、国際法はしっかり守らなければならないと思う。日韓関係を健全な関係に戻すべく、韓国側に適切な対応を強く求めていく」と述べ、韓国側の対応に改めて不満を漏らしたという。
 この会談について、韓国のチョン・ウィヨン外交部長官は、「非常に良かった。・・・外交部も最善を尽くす」と評価しているが、ムン大統領の主張には新味さに欠けているというほかない。また、韓国の立場に沿った表現に終始し、解決の糸口を見いだす姿勢が見えない。一方、岸田首相には外相時代の経験から慎重にならざるを得ない理由がある。2015年12月の日韓慰安婦合意では、「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と表明した当事者の一人である。その後誕生したムン政権は、「元慰安婦の同意が得られていない」との理由から合意を事実上反故にした経緯がある。岸田首相が強調する、「国際的な約束は守らなければならない」との言葉は経験に裏打ちされたもので、殊の外重く響く。
3)徴用工大法院判決から3年
 徴用工問題は、大法院判決から3年の今、新たな事態を迎えている。韓国中部のテジョン地方裁判所は、9月27日、三菱重工の資産(特許権と商標権)の売却を命じる決定を下した。徴用をめぐる裁判で、日本企業の資産売却の決定が出たのは初めてである。三菱重工の即時抗告により、実際の資産売却は当面先送りされる。とはいえ、日本企業が実害を被れば、日本の新たな対抗措置が予想され、重大な局面にあることに変りはない。
 大法院判決について、ムン政権は「三権分立」という国内的枠組みを国家間の関係に持ち込み、日本の要請をことごとく無視・拒否し続けてきた。こうしたなかで、バイデン政権が同盟関係の重視を明確に打ち出したことで、日・中・韓・北朝鮮の相互関係が大きく変動始めている。ムン政権による対立一辺倒の対日外交も、日中韓の連携を重視するアメリカが改善を求め、今まさに変化しつつあるように見える。
【対日韓国外交の変化】
●1月の年頭会見で、ムン大統領が「資産の現金化は望ましくない」と発言
●ソウル中央地裁が6月、8月、9月に、大法院とは逆に原告敗訴の判決を下す
●徴用・慰安婦問題の解決に向けて、与党議員が「代位弁済案」を提起
 こうした変化はなお限られたもので、単純に評価することはできない。とりわけ、代位弁済案は、韓国政府が賠償を肩代わりし、後に日本政府に請求するという枠組みである。韓国では「現実的な解決策の一つ」として評価する向きもある。しかし、この案は日本の植民地支配を違法として賠償を命じた大法院判決をそのまま前提にする。これを認めてしまえば、日本の植民地支配に伴う苦痛はすべて賠償の対象となり、日韓請求権協定を日本自ら無にすることになろう。判決そのものが国際法に反すると主張する日本にとっては、今のままの代位弁済案は決して受け入れことはできないであろう。
4)ムン政権と共振する世論
 韓国の対日外交に見られる変化は、なお見えたり消えたりの曖昧さを持つ。いかなる国であっても、政治的判断は少なからず世論の動向を反映する。ポピュリズムとも評されるムン政権だけに、世論に敏感に反応し、世論を動かし、共振する。昨今、韓国では日韓関係の改善を求める声がある一方、日本への譲歩を厳しく戒める動きもある。日韓の不幸な歴史に根差して、「日本に負けない」「日本を追い越す」といった韓国の国民性、世論が日韓関係の改善を抑え、さらに悪化させてきた。この国民性は歴史認識に根差している点で、「歴史的競争心」と言ってよかろう。
 10月21日、韓国は国産ロケット「ヌリ号」を打ち上げた。ダミーの衛星は軌道に投入できず、失敗に終わった。にもかかわらず、翌日のメディアは「宇宙強国の希望を打ち上げた(中央日報)」「宇宙への跳躍に大きな第一歩(東亜日報)」など、宇宙開発における競争心をくすぐった。また、筆者はKBS校閲委員時代の2013年1月、ロシアの技術を利用したロケット「ナロ号」の打ち上げの瞬間を思い起こす。KBSラジオ国際放送のフロアでは、大勢の職員があちこちにあるテレビの前に陣取り、打ち上げのカウントダウンを始めたのである。その理由ははっきりしている。3日前、日本がH2Aロケットで情報衛星の打ち上げに成功し、前の月には北朝鮮が自前のロケット銀河3号で衛星を打ち上げている。打ち上げ直前の一斉のカウントダウンは、日本にも北朝鮮にも負けたくないとの思いが高揚したものであった。
 ムン政権の対日外交の在りようを考える場合、その背景に韓国の世論にも通じる、この歴史的競争心を見定める必要がある。ムン政権は競争心を鼓舞し、共振し、日本との対決姿勢を維持してきたと言ってよかろう。徴用をめぐって、大法院と異なる判決を6月に下したソウル中央地裁の判事については、「反国家的」「売国奴の政治判事」などとの批判が相次ぎ、1日だけで罷免を求める請願が20万人を超えたという。また、代位弁済案については、「日本に譲歩し過ぎている」などとの批判が殺到しているという。これが今の韓国の現実である。
 日韓電話会談から半月あまりが過ぎた。バイデン政権の誕生を機に、ムン政権に生まれた日韓関係改善の機運はすでにか弱く見える。
羽太 宣博(元NHK記者)

Authors

*

Top