■空の安全への誓いと祈り
41年前の8月12日夜、日本航空のジャンボ機が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落して520人が亡くなった。今年の夏も遺族たちで作る「8・12連絡会」が中心となって8月11日の夕方に上野村役場前の河原で灯籠を流して犠牲者の冥福を祈る。12日の午前中には昇魂の碑の前でシャボン玉を飛ばし、安全の鐘を鳴らす。しかし、事故から長い歳月がたち、遺族の高齢化が進み、慰霊登山を断念せざるを得ないケースも多い。亡くなる関係者も出ている。それでも事故を風化させまいと、犠牲者の子供や孫たちが御巣鷹の尾根に集まって空の安全への誓いと祈りを捧げる。
日航ジャンボ機墜落事故は、単独機の航空事故としては世界最大の死者数を出した航空史上最悪の事故である。にもかかわらず、事故原因の後部圧力隔壁の修理ミスがどうして起きたかが明らかになっていない。修理ミスを犯したボーイング社が公にしないからである。
遺族が一番知りたいのは、自分の愛する肉親がどうして亡くならなければならなかったのか、その理由だ。なぜあの修理ミスを犯したのか。その修理ミスはどのような過程でどう生まれたのか。ボーイング社には「修理ミスの理由」について背景を含めて公表し、世界の航空業界が同じような過ちを犯すのを防ぐ義務と責任がある。
■異常音の後、迷走飛行を経て墜落
1985(昭和60)年8月12日午後6時24分過ぎ、伊豆半島南部の東海岸上空2万4000フィート(7315メートル)を飛行中の日航123便は、突然「ドーン」という大きな異常音を上げた。後部圧力隔壁が破断し、客室内の与圧空気が隔壁の裂け目から非与圧空間に一気に噴き出し、垂直尾翼を内側から吹き飛ばし、機体をコントロールする油圧系統などもすべて破壊した。与圧された客室と機体尾部の非与圧空間とを仕切っているのが、この圧力隔壁である。
機体は操縦不能となった。機長たちは何が起きたか分からず、32分間の迷走飛行を強いられた末、午後6時56分過ぎ、群馬県上野村の御巣鷹の尾根の山中に墜落した。520人が命を落とし、助かったのは女性4人だけだった。これが日航ジャンボ機墜落事故である。
墜落事故の7年前の1978年6月2日、123便の機体は大阪国際空港(伊丹空港)に着陸する際、しりもち事故を起こし、機体尾部を大きく破損した。このとき修理を担当したのが、機体を製造したアメリカのボーイング社だった。だが、新しい下半分の隔壁の一部を既存の上半分の隔壁に中継ぎ板を使って接続するとき、本来1枚でつなぐべき中継ぎ板を2枚に切って差し込んでしまった。その結果、リベットが通常の2列打ちではなく、1列打ちとなった。これが問題の修理ミスである。この修理ミスによって隔壁の強度が7割にまで落ち、飛行を繰り返すうちに金属疲労から多数の亀裂が発生し、隔壁は飛行中に大きく破断した。大きな異常音は、後部圧力隔壁、垂直尾翼、油圧系統などの破断・破壊の音だった。
■修理指示書の読み間違い
ボーイング社は墜落事故の直後、隔壁の修理ミスが事故の原因であることは認めた。しかし、その修理ミスがなぜ起きたかという「修理ミスの理由」については、明らかにしていない。ボーイング社が日本の業務上過失致死傷の罪に問われるのを恐れたからだといわれ、41年たったいまでも修理ミスの理由は謎のままである。
墜落事故当時、日航の技術・整備担当の取締役で、日航とボーイング社を結ぶパイプ役を務め、事故原因の究明に尽力した松尾芳郎氏(95)は「修理指示書をメカニックが読み間違えて作業した結果、修理ミスを犯した可能性が高い」と話す。
ボーイング社の修理の作業は航空エンジニア(技術者)が指示を出し、その指示に従ってメカニック(作業員)が作業する。問題の隔壁の修理では、エンジニアが出した指示書は「1枚の中継ぎ板でつなぐよう」求めていた。だが、メカニックは中継ぎ板を2枚に切断して使った。なぜ、指示書通りに作業しなかったのだろうか。
■エンジニアとメカニックの意思疎通の欠如
松尾芳郎氏は「なぜ修理ミスが起きたかというと、エンジニアとメカニックの間に壁や塀があったからだ。エンジニアは壁や塀の向こう側からメカニックに指示を投げ渡すようなところがあった。ボーイングの工場を見学したとき、このような関係を強く感じた。エンジニアとメカニックの意思疎通が不十分だった」と説明し、「エンジニアが書いた指示書が殴り書きではなく、丁寧に分かりやすく書かれていれば、あるいはエンジニアがメカニックにきちんと説明していれば、修理ミスは起きなかったはずだ」と指摘する。
後部圧力隔壁の修理方法については、エンジニアの手で修理指示書に図解入りで説明されていたが、杜撰で乱暴な書き方だった。図は簡略なもので定規も当てられていなかった。
読売新聞も墜落事故から3年後の1988年5月13日付朝刊に〈ボーイング社の社長がアメリカで読売新聞記者の単独インタビューに応じ、修理ミスを犯した理由に関し「作業員が修理指示書を読み間違えて中継ぎ板を2枚に切り分けて差し込んだ。しかし、その修理ミスの箇所が隔壁のウエブ(扇状板)に挟まれて隠れてしまい、修理完了の検査で発見することができなかった」と話した〉という趣旨の記事を掲載している。
松尾氏の話に出てくる「壁」「塀」「意思疎通の欠如」…。エンジニアはメカニックを見下していたのだろう。地位や立場が異なると、考え方も違ってくる。組織的にも個人的にも両者の間にわだかまりがあったのだろう。修理ミスの理由など墜落事故の真相については、松尾氏からの取材をベースにまとめ上げた拙著『日航・松尾ファイル』(発刊2024年6月、徳間書店)に書いているので是非、一読してほしい。
■事故の真相をすべて明らかに
拙著『日航・松尾ファイル』のあとがきでも触れたが、9歳になる小学3年生の次男を墜落事故で亡くした「8・12連絡会」事務局長の美谷島邦子さん(79)は「ボーイングはいまだになぜ修理ミスを犯したかを明らかにしていない。私は個人でアメリカの司法省に対し、ボーイングの調べ上げた事故原因をすべて開示するよう訴えた。断られたけど、ボーイングは開示すべきだ」と語っている。美谷島さんの言う通りだ。遺族が知りたいのは、なぜ愛する肉親が犠牲にならねばならなかったかである。
アメリカは航空事故の再発防止のために背景を含めてきちんと原因を究明する国だ。ボーイング社はその航空大国アメリカを背負って立つ大企業である。ボーイング社はNTSB(国家運輸安全委員会)とFAA(連邦航空局)に協力して修理ミスが起きた理由も調べ上げ、詳細な報告書をまとめ上げて記録しているはずだ。海外にいる容疑者(ボーイング社の関係者)の公訴時効の成立はストップし、刑事責任の追及は可能だとはいえ、いまの段階で遺族側が新たに告訴・告発したり、検察が起訴に踏み切ったりするようなことはない。長い歳月が過ぎるなか、ボーイング社は日本記者クラブで会見を開き、修理ミスの理由を明らかにすべきである。
最後に8・12連絡会が活動を記録した『旅路 真実を求めて』(発刊2006年8月12日)のまえがきの一部を抜粋したい。
〈愛する人を失ったものたちが集まり、手を添え合うように生まれたひとつの輪。私たちは誓い合いました。嘆き悲しむだけでなく、顔を上げること。心の中に生き続けるみたまを慰めること。かけがえのない命とひきかえに空の安全が訪れるのを見届けること。そしてそのために、事故の真相をすべて明らかにすることー。〉
木村良一(ジャーナリスト・作家、元産経新聞論説委員)