猛暑の続く八月の京都、京都府京都文化博物館のフィルムシアターで、「伊藤大輔監督特集」が開催された。
伊藤大輔といえば、日本映画草創期から活躍し、「時代劇の父」とも称された映画監督である。今回の特集では、無声映画時代の『御誂治郎吉格子』から、『王将』『大江戸五人男』『下郎の首』『反逆児』まで、1931年から1961年にわたる作品が上映される。
そのなかの一本、『素浪人罷通る』を観た。
1947年、大映京都作品。主演は阪東妻三郎。題材となっているのは、江戸時代、八代将軍徳川吉宗の治世に起きた「天一坊事件」である。
享保13年(1728)、紀州出身の修験者・改行が「源氏坊天一」と名乗り、自分は将軍吉宗の落胤であると称して浪人らを集めた。幕府に捕らえられた改行は、翌年、御落胤を騙って世を騒がせた罪により処刑されている。
もっとも、この事件には、いまなお謎が残る。
改行の母親は紀州徳川家に奉公していたとも伝えられており、吉宗の実子であった可能性を完全に否定することはできない。しかし、幕府の公式判断では、あくまでも将軍の血筋を騙った偽者であった。
事件そのものは、それだけなら数行で終わる。
ところが幕末になると、これが講談の格好の題材となった。
史実では、大岡越前守忠相は事件の取り調べにも裁判にも関与していない。事件が起きた場所は町奉行所の管轄外で、関東郡代などが取り調べ、勘定奉行側で処理されたと考えられている。
にもかかわらず、物語はいつしか「大岡政談」のひとつに組み込まれ、大岡越前が将軍家を揺るがす陰謀を暴く、壮大な勧善懲悪劇へと姿を変えていった。
講談の「徳川天一坊」において、天一坊は単なる御落胤の詐称者ではない。吉宗の実子であることを示す御墨付と短刀を奪い、自分こそ将軍の子であると称して、あわよくば天下を奪おうとする大悪人である。
その天一坊を支える知恵袋として登場するのが、浪人・山内伊賀亮だ。
伊賀亮は、天一坊一味を率いて幕府に挑み、大岡越前と法理をめぐる論戦を繰り広げる。将軍の御落胤を称する者を、一介の町奉行が取り調べることなど許されるのか。伊賀亮は幕府の身分秩序そのものを盾に取り、大岡を追い詰めていく。
この「網代問答」は、講談や歌舞伎における最大の見せ場となった。
最後は大岡が天一坊の正体を暴き、幕府の秩序を守る。大岡越前は正義の名奉行、天一坊と伊賀亮は天下を狙った反逆者という構図である。
ところが、伊藤大輔の『素浪人罷通る』は、この物語を根底からひっくり返してしまう。
映画の天一坊は偽者ではない。本当に吉宗の実子なのである。
しかも彼には、将軍の座を奪おうという野心など微塵もない。幼くして母を失った若い山伏が、ただ一度、まだ見ぬ父である吉宗に会いたいと願う。それだけなのだ。
阪東妻三郎が演じる山内伊賀亮も、講談に登場する冷徹な策謀家ではない。
伊賀亮は初め、天一坊の江戸行きを無謀な振る舞いとして戒める。たとえ本当に将軍の子であったとしても、幕府がその存在を認めるはずがない。個人の情よりも、将軍家の権威と政治秩序が優先されるからだ。
それでも伊賀亮は、ひと目父に会いたいという天一坊の純粋な願いに心を動かされる。そして幕府に抗してでも、この若者を父親のもとへ届けようとする。
一方の幕府は、天一坊が本物か偽者かを問題にしない。
本物であるからこそ、その存在が危険なのだ。
吉宗の知られざる実子が公然と姿を現せば、将軍家の継承秩序が揺らぐ。幕府の権威を守るためには、一人の若者の存在など消されてもかまわない。老中・松平伊豆守は「天下政道」の名のもとに、天一坊を捕らえようとする。
吉宗自身も、天一坊がわが子であることを知りながら、父親として彼を迎えることができない。将軍という絶対権力者でさえ、幕府という制度に拘束されているのである。
ここに、この映画の核心がある。
天一坊は、偽者だから処罰されるのではない。本物かどうかにかかわらず、体制にとって不都合な存在であるがゆえに排除される。
映画の冒頭には、これが「封建制度の轍の下に圧し潰された罪なき人の子」の記録であることを告げる字幕が掲げられる。
講談では、幕府の秩序を守ることが正義だった。
しかし『素浪人罷通る』では、その秩序こそが、罪のない人間を押し潰す。
大岡越前の立場も大きく変えられている。講談の大岡は、天一坊の陰謀を暴いて幕府を救う名奉行だった。ところが映画の大岡は、天一坊の願いを理解しながら、幕府機構のなかで苦悩する人物として描かれる。
吉宗も大岡も、単純な悪人ではない。人間としての情も良心も持っている。それでも制度の論理に逆らうことができない。
伊藤大輔が描いたのは、悪い為政者によって善良な人間が虐げられるという単純な物語ではない。
一人ひとりは良心を持っていても、巨大な組織と権力機構が「秩序」や「天下国家」の名によって動き始めれば、誰にも止められなくなる。その犠牲となるのは、権力の中枢にいる者ではない。いつも、名もなき市井の人びとであり、自らの声を権力に届ける術を持たない弱者である。
この映画が公開されたのは、1947年10月28日。
敗戦から、まだわずか2年余りしかたっていない。日本は米国を中心とする連合国軍の占領下にあり、映画もGHQの政策と検閲の影響を強く受けていた。
占領期の映画には、封建制度や軍国主義を否定し、個人の尊厳や民主主義を肯定することが求められた。『素浪人罷通る』にも、そうした時代的要請が、はっきりと刻印されている。
天一坊事件を題材としながら、そこには、軍部と国家の暴走を止められないまま敗戦へ突き進んだ日本の姿も重ねられていたのだろう。
だが、この作品をGHQに迎合した「民主主義啓蒙映画」と片づけることはできない。
伊藤大輔は戦前の無声映画時代から、権力や社会秩序によって追い詰められる浪人や反逆者を描き続けてきた監督である。
『素浪人罷通る』の山内伊賀亮もまた、勝ち目がないと知りながら、天一坊を逃がすために追手の前に立ちはだかる。そこには、阪東妻三郎が『雄呂血』などで演じてきた、社会からはじき出された者の孤独と反抗が受け継がれている。
では、公開から80年近くを経たいま、なぜこの作品が胸に迫るのだろう。
現在の政治に目を向ければ、「国益」「安全保障」「財政規律」「社会の秩序」といった大きな言葉が、以前にも増して飛び交っている。
もちろん、国の安全も、財政の維持も、社会秩序も必要である。問題は、その大義を実現するための負担を誰が引き受けるのか、ということだ。
物価が上がり、税や社会保険料の負担が増し、医療や介護、福祉の現場が細っていく。その影響を最初に、そして最も深刻に受けるのは、政治に声を届かせる力を持つ者ではない。
低所得者、非正規労働者、ひとり親、高齢者、障害を持つ人、病を抱える人、そして社会の片隅で孤立している人びとである。
国家が「やむを得ない」と語るとき、その「やむを得なさ」によって生活を削られるのは、たいてい権力から遠い場所にいる人たちだ。
戦争においても同じである。
国家指導者は「祖国」「正義」「安全保障」を掲げる。しかし、家を焼かれ、故郷を追われ、子どもや家族を失うのは、戦争を決めた者ではない。いつの時代も、名もない市民である。
政治にとっては「全体のための判断」であっても、その全体からこぼれ落ちる一人にとっては、生活そのもの、時には生命そのものが奪われる。
『素浪人罷通る』で繰り返される「天下政道」という言葉は、決して過去のものではない。
権力は、常にもっともらしい大義を語る。秩序を守るため、国を守るため、将来世代を守るため――。その言葉が立派であればあるほど、私たちは、その陰で誰が押し潰されようとしているのかを見なければならない。
史実では、将軍の御落胤を騙った罪人。
講談では、天下を狙った大悪人。
そして敗戦後の映画では、封建制度に押し潰された罪なき若者。
天一坊という同じ人物が、時代ごとにまったく異なる顔を与えられてきた。
変わったのは物語だけではない。
何を正義とし、何を悪とするのか。その基準そのものが、江戸から幕末・明治を経て、敗戦後の日本へと大きく反転したのである。
そして、いま私たちに問われているのは、その正義を再び権力の側からだけ眺めてはいないか、ということだろう。
『素浪人罷通る』は、江戸時代の事件を扱った時代劇でありながら、1947年の日本を映している。
同時に、国家や制度の大義の陰で、いつも市井の民や弱者が犠牲にされていく現在の姿をも、鋭く照らし出しているのである。
佐久間憲一(牧野出版社長)