韓国大統領選挙とムン政権の思惑

  • 1)注目の韓国大統領選挙

 ムン・ジェイン大統領の後任を選ぶ大統領選挙が来年3月に行われる。その焦点は革新系政権の継続か、あるいは政権交代かの選択である。与野党の激しいネガティブキャンペーンと駆け引きは今後一層激しくなろう。それぞれの公認候補を選ぶ党内選挙も大詰めを迎えている。有力候補同士が舌戦を繰り広げ、韓国はほぼ大統領選挙一色だ。昨今、韓国を取り巻く国際環境は厳しい。北東アジア情勢は厳しさを増す米中対立、北朝鮮の核・ミサイル開発によって不安定、かつ流動的だ。新しい大統領の外交姿勢によって、日韓、米韓、日米韓、中韓、南北関係はいずれも変動するだろう。選挙結果は安全保障の視点からも注目される。

 日本では、9月29日の自民党総裁選挙で、防衛・外務大臣の経験をもつ岸田文雄氏が選ばれた。菅首相の後任選びとあって、韓国でも高い関心を呼んだ。韓国メディアは、岸田氏を「極右」と評する安倍元首相と対比し、「穏健派」「リベラルの嫡子」などと伝え、安倍・菅路線からの変更に期待するとの筆致が伺えた。一方、保守系大手紙の中央日報は、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を謳った、「日韓合意(2015年)」の立役者として紹介し、ムン政権が事実上反故にしたことで、「しこりを残している」などと表現し、日韓関係の改善は当面望めないとも伝えている。

 日韓双方の新リーダーはどう向き合うのか。最悪の日韓関係という観点からも、大統領選挙の結果が注目される。

  • 2)白熱化する与野党内の選挙戦

 大統領選挙の本番を控えて、革新系の与党「共に民主党」は10月10日に、保守系の最大野党「国民の力」は11月上旬に公認候補を最終決定する。党内における選挙戦は9月に入って本格化し、有力な候補同士が激しく競り合っている。与党では、各地の党内選挙で、ソウル近郊、キョンギ道のイ・ジェミョン知事が知日派のイ・ナギョン元首相に圧勝し続け、有利に進めている。一方、政権奪還を目指す野党では、ムン政権の疑惑を追及・対立したユン・ソギョル前検事総長が世論調査で高い支持を集めている。しかし、ここにきて前回の大統領選挙でも立候補したベテランのホン・ジュンピョ議員が徐々に支持を拡大し、ユン氏を追い上げる構図となっている。

 最新の世論調査(リアルメーター社:9月30日発表)によれば、次の大統領にふさわしい人物として、野党のユン・ソギョル前検事総長が28%、与党イ・ジェミョン知事が27.6%とほぼ互角だ。続いて、野党のホン・ジュンピョ議員の14.9%、与党のイ・ナギョン氏の12.3%となっている。ユン前検事総長は、配偶者の家族をめぐる不正事件に加え、検事総長時代の疑惑が提起されている。支持率がいったん低下したものの、やや持ち直し始めたところだ。「イ・ジェミョン対ユン」の与野党対決の構図は基本的に変わりそうもないが、2人の支持率は頻繁に上下が入れ替わる。選挙情勢は混沌としたままというほかない。

  • 3)大統領選挙とムン政権の思惑

 韓国の大統領は1期5年の任期とはいえ、絶大な権力を持つ。とりわけムン大統領は、与党「共に民主党」が2020年4月の総選挙で過半数を大きく超える議席を確保し、政治基盤を盤石とした。「憲法改正以外、何でもできる」とも評されている。そのムン大統領が次の大統領選挙で目指すのは、何をおいても革新系政権の継続だ。

 この政治的思惑に関連して、今、「高位公職者犯罪捜査処(公捜処)」の動きが注目されている。この公捜処は検察改革の一環としてムン政権が2020年1月に発足させたものである。その目的は大統領、国会議員、上級公務員など、権力を持つ者の不正を捜査し、検察の捜査指揮権を大幅に制限する点にある。この公捜処が9月10日、野党「国民の力」の大統領候補、ユン前検事総長に関わる疑惑の強制捜査に着手し、大きな論議を呼んでいる。疑惑はユン氏の検事総長時代、与党の政治家を告発するよう、野党議員に依頼したというものである。ネットメディアが初めて伝えたのを受けて、与党寄りの市民団体が告発し、4日後には公捜処が捜査に着手した。その異例の速さと手際の良さに、政権によるユン氏の「追い落し作戦」との見方が出ているのも無理はない。

 ムン政権をめぐって、留意すべき動きがもう一つある。ムン政権は、9月末までに、故意や重大な過失によって個人や団体の名誉を損ねたメディアを罰するという、「言論仲裁法改正案」の成立を目指していた。この改正案について、野党やメディア関係者は「故意や重大な過失」の概念が曖昧で、政権が恣意的に運用する恐れがあるなどと批判している。また、国連人権高等弁務官事務所や国境なき記者団に続き、韓国の国家人権委員会も「言論の自由」を委縮させるとして、強い懸念を示してきた。強まるばかりの批判を受けて、ムン政権は9月30日、年内の成立を断念したという経緯がある。

 ムン政権は、発足の原動力ともなった、ローソク集会に象徴される市民、すなわち世論に訴える手法を強めてきた。この言論仲裁法案が万一可決・成立していれば、ムン政権は大統領選挙の選挙戦でも大いに活用するに違いない。政権に不利な情報を流したメディアについては、故意または重大な過失の条件を柔軟に解釈して罰することができるからだ。言論仲裁法の改正案は、報道を規制するとの懸念も容易に理解できる。

 

  • 4)選挙結果は予測できず

 政権末期に入ったムン大統領は、すでにレームダック化が始まっているともいう。とはいえ、任期が切れるまでは絶大な権力を持つことに変わりない。今後、何が起こるかを予測するのは難しい。加えて、情緒的とされる韓国の国民性もあって、世論はその時々に大きく変わる。ムン政権は、その世論に訴え・頼るポピュリズムの性格を色濃く持つ。大統領選挙に向けて、ムン政権があれこれ思惑を巡らしても、決して思い通りになるわけではない。

 どんな選挙も国内情勢によって多大な影響を受ける。韓国は今年の経済成長率の目標を4.2%とし、回復傾向にあるという。しかし、長引くコロナ禍にあって、韓国のKOSDAQ市場に上場する中小企業10社のうち2社は利子も返済できない「限界企業」に転落し、格差拡大の現実がある。若者へのしわ寄せも深刻だ。韓国の自殺率は2020年も経済協力開発機構・OECD加盟国で1位となったが、10~30代の青少年・青年の自殺率が年々上昇している。世論調査では、与党に対する若者と中間層の支持がとくに低いという。5か月後に迫った大統領選挙に向けて、若者・中間層にどのように、また、何を訴えていくのだろうか。与野党の候補にとっては、単に世論という次元とは異なる課題のように思う。

 それにしても、国のリーダーを選ぶ選挙は、候補者、政党、対立勢力の利害が絡み合う、山と川の妖怪の世界だ。一寸先も見えない。

羽太 宣博(元NHK記者)

 

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