エッセー ウサギの島へGO!

■ウサギにやっと会えた
 秋のお彼岸に墓参りするため、9月18日から郷里の尾道に帰りました。そのついでに瀬戸内海に浮かぶ大久野島へ行くことにしました。周囲4.3キロの小さな島には900匹以上のウサギが生息し「ウサギの島」として知られています。
 9月23日、墓参りを終え、長男の車で竹原市の忠海港へ向かいました。約40分で港に到着。瀬戸内海国立公園にある大久野島は、原則として一般車両の乗り入れが禁止されているため、桟橋近くの無料駐車場に車を置きました。
 午後2時過ぎ、フェリーに乗り込みました。連休中とあって、大勢の観光客が長い列を作っています。青空が広がり、絶好の行楽日和。自然と心が弾みます。
 フェリーは15分で大久野島に到着しました。「さあ、ウサギたちの歓迎を受けるぞ」と期待していましたが、桟橋にはウサギの姿がありません。
 送迎バスに乗って、島唯一の宿泊施設である休暇村へ向かいました。途中、車窓から目を凝らしてみましたが、ウサギの姿はどこにも見えません。5分余りで休暇村に到着。すると、施設前の茂みから、ようやくウサギが姿を現しました。待望のご対面です。
 大久野島のウサギは、夕方から夜にかけて活発に動くそうです。この日は昼間の暑さを避け、茂みや木陰で休んでいたのでしょう。島に着いてもなかなか姿が見えなかったのも、うなずけます。

休暇村


■グラスの中で光るウミホタル
 休暇村では、宿泊者向けの体験プログラムが用意されていました。初日は午後8時にロビーに集合し、ウミホタルの発光観察会に参加しました。
 私は、海岸に出てウミホタルを探すのだと思っていました。ところが、そうではありません。ロビーを出たところで、休暇村のスタッフがグラスに集めたウミホタルを発光させる実演会でした。
 ウミホタルに刺激を与えると、たちまち青白い光を放ち始めました。ウミホタルは外敵から身を守るため、刺激を受けると青く光る物質を含んだ液体を吐き出します。タコやイカが墨を吐いて身を守るのと、よく似た仕組みだそうです。約30分の観察会でしたが、海の生き物が見せる不思議な光に、すっかり魅了されました。
このあと、実際に海岸まで行ってみましたが、残念ながらウミホタルを見ることはできませんでした。

ウミホタルの発光


■イノシシに遭遇
 その帰り道です。昼間は木陰に身を潜めていたウサギたちが、何十匹も休暇村の前の広場に出てきて、芝生に寝そべっていました。ウサギを踏まないよう、足元に注意しながらロビーへ向かっていると、突然、長男が「イノシシがいる!」と興奮気味に声を上げました。
 目を凝らすと、50mほど先の暗闇の中に、ウサギよりずっと大きな影が動いています。「本当にイノシシ?」。近づいたり、刺激したりしてはいけないので、フラッシュライトは使わず、スマホのカメラでそっと撮影しました。写真はピンボケでしたが、あとで確認すると、やはりイノシシです。
 休暇村のスタッフによると、大久野島には周辺の島からイノシシが泳いで渡ってきて、そのまま繁殖したのだそうです。イノシシの狙いは、ウサギに与えられる餌。実際、環境省もウサギの食べ残しがイノシシの餌となり、イノシシが増えたり、人に近寄ったりすることにつながるとして注意を呼びかけています。かつては、警戒心の薄いウサギをイノシシが襲うこともあったそうです。「ウサギの島」で、イノシシに出会うとは――。昼間とはまったく違う大久野島の一面を見た夜でした。


■ウサギの島、その知られざる歴史
 翌朝、7時にロビーに集合し、朝のお散歩会に参加しました。休暇村の担当者から島の歴史について説明を聞きながら、海岸近くまで歩きました。
大久野島は、かつて旧日本陸軍の毒ガス製造拠点でした。では、なぜこの島で毒ガスが造られ、そして現在の「ウサギの島」になったのでしょうか。
大久野島が毒ガスの製造拠点に選ばれたのは、周囲を海に囲まれているため軍事上の秘密を守りやすく、事故や被害が起きても実態を隠しやすかったからだといいます。
 1929年には、「東京第二陸軍造兵廠火工廠忠海兵器製造所」と呼ばれた施設で毒ガスの製造が始まりました。名称からは毒ガス工場であることが分からないようにされ、軍事機密として厳重に管理されていました。その後、島そのものが地図から消され、大久野島の存在や工場の実態が一般に知られないようにされていたのです。島内の毒ガス資料館では、実際に大久野島が消された地図を見ることができます。
15年間で製造された毒ガスは、6616トンに及んだといいます。これは、何千万人もの人間を殺傷できる量だったとされています。
 毒ガスの効果を調べる実験には、ウサギも使われました。しかし、終戦後に処分されたため、現在島に生息しているウサギは、当時のウサギの子孫ではありません。現在のウサギは、ヨーロッパ原産で、ペットなどとして飼育されてきたアナウサギが野生化したものです。
 では、今いるウサギたちはどこから来たのでしょうか。最も有力とされているのが、1971年に島外の小学校で飼いきれなくなった8匹のウサギが島に放され、それが繁殖のきっかけになったという説です。戦争の記憶を残す島が、いつしか「ウサギの島」と呼ばれるようになった背景には、こんな歴史がありました。
 島には工場や研究所、毒ガス貯蔵庫などの跡が今も残されています。かわいいウサギたちが暮らす風景の一方で、ここには戦争の悲しい歴史が刻まれています。
 大久野島は、ウサギに会える観光地であると同時に、化学兵器の恐ろしさや戦争の歴史を考えさせられる場所でもありました。

旧毒ガス研究所跡


山形良樹(元NHK記者)

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