マラソンリポート 春の昭和公園を走った

 2月。暦の上ではもう春です。冬の間、透明で固かった空の青さも、すこし明るく、やわらかになってきました。世界のあちこちで新型肺炎が流行り、大変な騒ぎになっていますが、お変わりありませんか。僕は8日(土)に立川・昭和記念公園で開催されたマラソンフェスティバルのハーフマラソンを走ってきました。昨年12月の神宮マラソン以来、今シーズン2回目となるマラソンレポートです。

 昭和記念公園は、戦後米軍が接収していた立川飛行場跡地を、昭和天皇在位50年記念として整備された公園です。公園の一番外側を一周する道路がほぼ5㌔。ちょうど皇居一周と同じです。フェスティバルでは、その道路を使って5㌔、10㌔、ハーフ、30㌔などのレースが時間差を置いてスタートします。この公園では箱根駅伝の予選会なども行われており、ランナーにとっては親しみあるコースのようですが、僕は走るのは初めてです。

 レース当日は素晴らしい天気、風もほとんどありません。絶好のランニング日和です。ただ僕はめずらしく少々緊張していました。左大腿骨骨折からちょうど3年になります。走れるようになってからエントリーした最長のレースが山中湖を一周するロードレースの14㌔です。それ以上の距離を走ったことはまだありません。ハーフを走り切ることができるのか。緊張していたのは、完走にまだ自信がなかったからです。

 公園の中の陽だまりの芝生の上で準備をしていると、すぐそばで僕とほぼ同じくらいの年齢の男性ランナーが、上に羽織っていたダウンコートを脱ぎ、半袖のトレーニングシャツに着替えていました。頭は真っ白、白髪です。同世代が走るからでしょうか、その白髪に元気をもらった感じがして、何となく安心しました。準備の最後に、僕はサングラスをかけると、今日は5年前のボストンマラソンの際に使った朱色のキャップをかぶりました。ボストンマラソンのシンボルマーク、ユニコーン(一角獣)のエンブレムが付いています。「いくぞ!」。いつものように気合を入れました。

 スタートは裸木になった銀杏の並木道からです。秋の黄葉の季節の見事さが思い浮かびます。速いランナーは前、僕のような鈍足ランナーは後ろのほうに並びます。いつものレースだと、スタートまでの間、仲間のランナーとのおしゃべりが盛んです。でも今日はそれほどでもありません。通常のレースは走ること自体を楽しむファンラン的要素がかなりあるのですが、このハーフは別の本命のフルマラソンなどのための練習会的色彩が強いからかもしれません。いつも出ているレースより雰囲気が少し硬い感じがします。

 スタートのピストルが鳴りました。普通はここでランナーの間から拍手が起こるのですが、それもありません。「行ってらっしゃーい」という周りからの応援の声もほとんどなし。皆、黙々と走りだしました。気持ちがピリッとして、これもなかなかいいものです。

 走り出して、僕がまず気を付けたのは姿勢です。前のめりにならない。真っ直ぐに立つ。いつものように鼻とヘソを結んだ線を地面に垂直に立てる。腰を高くする。胸を張る。それから股関節と肩甲骨の動きです。この数か月くらい前から、股関節は意識していました。しかし、肩甲骨の動かし方に注意を向けたのは、今回が初めてです。

 僕は走る際、腕を肩から振っていました。それは間違いでした。腕は肩甲骨から振る。それが分かったのは、レースの直前、いつも身体のケアをお願いしているスポーツトレーナーのKさんに教えてもらったからです。足は股関節を使い、腕は肩甲骨を使う。そうすると走る際の身体の使い方がまるで変ってきます。身体の軸を感じるようになってくる。僕はこれまで、身体の軸とはイメージ、と思っていたのですが、いや、実際に背骨を中心に少し太い軸があります。スタートして、まずはその軸をしっかり感じるようにして、走り始めました。

 走り出して1㌔のところで腕のスポーツウオッチが振動しました。タイムを見ると、6分48秒です。まずい、速過ぎる!今日は4年ぶりのハーフマラソンです。レースの制限時間が2時間45分。タイムを追うのではなく、制限時間内の完走が目標です。そのために僕は最初の10㌔は㌔8分近くで走り、後半に㌔7分程度にスピードを上げていく作戦を考えていました。でも周りにつられて、どうしても速くなってしまいます。これでは最後まで持ちそうもない。もっとスピードを落とさなければ。

 3㌔くらい走ったところでようやく㌔7分15秒程度まで落とせました。同じコースを30㌔などの他のレースを走っている高速ランナーが追い抜いていきます。気が付くと、60代でしょうか、僕と同じくらいのペースで走っている小柄な女性ランナーが前方にいました。青い長袖のレースウエアの上に黒のTシャツの重ね着、ピンク、緑などきれいな色のモザイク模様のパンツをはいています。首を少し右に傾け、両腕は少し開き気味。リードしてもらうのに、ちょうど良い速さで走っています。僕は彼女について行くことにしました。

 それにしてもコースの周りは静かです。たくさん植樹されているのは良いのですが、応援者が全くいません。聞こえるのはランナーの足音だけです。ちょっと寂しい。ところどころに咲いている赤い椿の花を眺めながら、20メートルくらい先を行く黒シャツの女性ランナーの背中を追って、走りました。

 コースは平坦なのかと思っていましたが、一周の後半に少しアップダウンがありました。高低差は約7メートル。ビル1階分の高さが約3メートルですから、最高部へは3階までの階段を上る計算になります。上りはちょっときつい。あと1㌔くらいで1周というところで、ようやく応援してくれている家族連れを見つけました。小さな子供が「頑張って!」と声をかけてくれました。僕は大声で「有難う!」と応えました。

 1周が終わる地点に高校生でしょうか、6人くらいで和太鼓を叩いて応援してくれているグループがいました。先生もいます。僕が手を振ると、太鼓の音をどんどん大きくしてくれる。走っていると、応援の有難さをつくづく感じます。ようやく給水所です。テーブルに並べられたスポーツドリンクが入った紙コップを手に取ると、僕は走りながら一息に飲み干しました。

 2周目に入って2,3㌔走った時です。黒シャツランナーの間に、4人組の若い女性が現れました。背中にフォルクスワーゲンのマークが入ったお揃いの薄黄色のTシャツを着ています。が、パンツの色は赤、青、黄、黒と皆違います。二人が白のキャップをかぶり、二人は無帽。4人で楽しそうにおしゃべりしながら走っています。僕は嬉しくなりました。これでこそ普通のレースです。走る速度もちょうどいいので、僕は彼女たちの後ろをついていくことにしました。

 ペースは㌔7分10秒くらい、順調です。このままでずっとついて行こう。そう思ったのですが、僕の勝手な思いは通じませんでした。10㌔の給水所に差し掛かった時です。「有難うございます」。彼女たちは給水所のスタッフにお礼を言って、紙コップを手に取りました。きちんとお礼を言うランナーなど滅多にいません。偉いな。そう思いながら僕も水を取り、走り始めました。ところが彼女たちはそこで立ち止まって飲み、おしゃべりをしています。仕方ない。僕は彼女たちを置いて、走っていくしかありませんでした。

 黒シャツランナーはどこだろう。僕は先を探しながら走りましたが、かなり前に行ってしまったのでしょう、姿は見えません。仕方がありません、一人旅です。でもあと10㌔。ほぼ半分が過ぎました。足は順調です。疲れもとくに感じません。いいぞ、その調子だ!僕はウエストバッグに入れていたキャラメルを取り出して、口に放り込みました。

 12㌔あたりを走っていた時です。ペースメーカーを先頭に、30㌔を3時間で走ろうという集団が横を駆け抜けていきました。話題のナイキのピンクの厚底シューズを履いているランナーも何人かいます。「昔は僕もあのペースで走れたのにな」。そんなことを思っていたら、突然、走っていく女性ランナーから「IJC!」という大きな声が上がりました。IJCは僕が所属するジョギング・クラブで、今日、僕はそのユニフォームを着用しています。名前は分かりませんでしたが、彼女もメンバーなのでしょう、僕は嬉しくなりました。元気が出ました。

 コースの脇にある14㌔の距離表示を越えました。いよいよ未知のゾーンです。完走できるのか、ここからが言わば正念場です。少し風が出始めました。ペースは7分45秒くらいに落ちています。でも、このままいけば制限時間以内に十分走れます。咲き始めた白梅と満開の桃の花が、僕を励ましてくれています。残り4分の1だ!僕は太鼓を叩いて応援してくれている高校生たちに大きく手を振りながら、もう一度気合を入れました。

 15㌔の最後の給水所でスポーツドリンクを飲むと、テーブルにあったバナナを取って食べました。ウエストバッグからまたキャラメルを取り出して、舐めました。さあ、あと一周です。ペースが少し落ちてきているとは言え、7分台を保っています。まだ完走できる自信は湧きませんが、足は着実に前に出ています。行けるかもしれない!

 この日、僕はウエストバックに小鈴のお守りを入れていました。ラン友が渡してくれた健脚の神社のものです。実は僕は日常的には護符を持つ習慣はありません。でも不思議なものです。今まですっかり忘れていたその小鈴のことが、突然、頭に浮かびました。同時にラン友たちの励ましが急に身近に感じられました。彼らが僕を押してくれているようです。ペースを腕の時計で確認すると、㌔7分30秒に上がっています。

 18㌔を過ぎました。あと3㌔です。上り坂に差し掛かっても、余力があります。よし、行けるぞ!僕は完走を確信しました。「最後ですね、もうあと少し。頑張ってください」。コース脇から応援の声がかかりました。公園にバイクでも乗りに来たのでしょうか、格好の良いスポーツウエアを着た夫婦連れでした。「はい、有難うございま~す」。僕は手を挙げて、笑顔で応えました。

 コースは最後500㍍くらいのところで周回道路から離れ、ゴールに向かいます。丁度その分岐点に入ろうとした時です。後ろから女性ランナーのおしゃべりが聞こえてきて、僕を追い抜きました。僕が途中引っ張ってもらった薄黄色のTシャツを着た彼女たちです。でも2人だけです。後の2人は遅れたのでしょうか。「ヨッシャー!」と掛け声を上げて、2人はゴールに向かっていきました。

 さあ、いよいよ完走です。骨折後、トレーニングはわずか300㍍程度のジョグから始めました。ジョグと言っても、歩くのとほとんど変わりません。それから徐々に徐々に距離を伸ばし、3年かかって、ようやくハーフまでたどり着きました。でも一人では無理だった。多くの友人に助けられました。1週間前もIJCのシニアの仲間が、砧公園でのクロスカントリーで僕を鍛えてくれました。スポーツトレーナーのKさんや、トレーニングに通っている東大QOMジムのNさん、Mさんのお陰で走り方が変わってきました。そんなことを思っていたら、ゴールはもう目の前です。思わず笑みがこぼれます。両手を高く挙げて、ゴールに飛び込みました。タイムは2時間38分35秒。ちなみに60歳以上で46位でした。

 今回も最後まで読んで頂き有難うございました。今シーズンはもうこれといったレースの予定は入れていません。ハーフ完走で自信がつきました。次は何を目標にするか、これからゆっくり考えます。またお会いしたいですね!まだまだ寒い日が続きます。どうぞお元気で!

渡されし護符の小鈴や浅き春      土肥 一忠

土肥一忠(元時事通信記者)

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