横浜マラソン完走記

僕は3月13日に横浜マラソンを走ってきました。半年ぶりのマラソン・リポートです。

 横浜マラソンは昨年から始まりました。出走するランナーは約25,000人。高層ビルが何棟もたつ横浜の中心街、「みなとみらい」地区からスタートします。僕は初めて走ります。

 当日は午前4時起床。朝食は焼き餅を4個。いつもは海苔を巻いていたのですが、海苔は消化に悪いと聞いて、黄な粉餅にしました。それにカステラ、目玉焼き、味噌汁。最後にランニング仲間から体力温存に効果があると聞いてオレンジジュース飲みました。とにかく42.195キロを走り切るための食事です。足裏に土踏まずのアーチを崩さないためのテーピングをして、さあ、出発。気合いを入れて、ようやく明るくなってきた中を、家人を起こさぬよう、静かに出かけました。
 
 集合会場のコンベンションセンター、「パシフィコ横浜」で荷物を預けると、バナナを1本食べました。レース前最後の食糧補給です。今回は酒も10日以上抜きました。肝臓を疲れさせないためです。こんなにアルコールを抜いたことってあったかな~。

 スタートは8時30分。指定されたブロックに行くと、もうランナーで一杯です。周りを見回すと、やはり若い人が多いような気がしましたが、明らかに60歳を越えているランナーも結構います。この4,5年で本当にランナーの年齢層が広がりました。男女比もほとんど同じくらいです。皆、スマホでスタート前の写真を撮り合っています。

 突然、前方から拍手が伝わってきました。スタートしたのです。僕らのような鈍足ランナーはずっと後ろのブロックに並ばされますので、号砲は全く聞こえません。拍手が伝わってきて、初めて先頭ランナーがスタートしたのを知るわけです。さあ、行くぞ!僕はもう一度、気合いを入れ直しました。

 でも、僕がスタート・ラインを越えたのは、それから30分くらい経ってからでした。昨年参加した東京マラソンでは、後ろのほうに並んでいた僕が実際にスタートしたのは、号砲が鳴ってから12,3分後です。横浜はどうしてこんなに時間がかかるんだろう?東京より出走者が1万人以上少ないはずなのに、です。走り始めて分かりました。コースの道幅があまり広くない。だからランナーがスムーズに出発できていなかったのです。な~んだ。

 横浜を走るに当たって、決めたことが3つあります。一つは㌔7分のペースを守る。二つ目は歩かない。それから、楽しむ、です。レースに出ると、どうしてもタイムを追ってしまいます。そうすると、ペースが速くなってしまう。その結果、途中で走れなくなり、歩いてしまう。もちろん、楽しめません。すべてが悪いほうに回ってしまいます。だから、「楽しむ」ことを一番の目標にしました。年齢とともに、作戦もいろいろ考えなくてはなりません。

1キロ地点です。腕のウオッチを見ると6分56秒。良い調子です。前方に大観覧車、右前方にはランドマークタワーが見えてきました。道路はランナーで一杯。この辺りから横浜の中心街を走り抜けます。赤レンガ倉庫、神奈川県庁、横浜スタジアム、市庁舎、中華街。あまり横浜に行ったことのない僕でも、知った名前ばかりです。でも沿道の応援の人が少ないのはどうしてだろう。

この日の天候は曇り。スタート時点の気温は5,6度だったでしょう。海からの風もあって寒い。コースは既に市街地を過ぎて、高速道路下の道路です。道幅が広がって、やっと走りやすくなりました。応援のない道を黙々と走ります。10㌔過ぎのエイドステーションで給水を取りました。「頑張ってください」。そう言いながら、水の入った紙コップを渡してくれたのは小学生くらいの少年でした。NYマラソンでは少年が当たり前のように給水を担当していましたが、日本では珍しい。一生懸命で、とても気持ちが良い。「有難う!」。カップを受け取りながら、僕が大きな声でお礼を言うと、驚いたような顔をしていました。

コースは折り返して間もなく、中間点を迎えました。タイムは2時間36分。考えていたよりペースが遅い。しかも、だんだん足が動かなくなっているような気がします。昨年秋からの今シーズン、僕は10月に荒川の土手を走る「タートル・ハーフ」、11月にフルの「つくば」、1月に「赤羽ハーフ」、2月に30㌔の「青梅」に出走してきました。すべてがシーズン最後の「横浜」に向けてのいわば準備のはずでした。それなのに、です。

22キロ過ぎからコースは坂を上って、高速道路に入ります。車用に作られた道路ですから上り口の坂がきつい、きつい。近くに一棟建っているタワーマンションの20階辺りでしょうか、男性が一人ベランダから両手を大きく広げ、体を揺すってランナーに応援を送ってくれていました。そんな応援でも、とてもうれしい。僕も手を振り返しました。

高速道路に上ってみると、下ではそれほど感じなかった風がかなり強い。寒いです。しかもコースの左側は高い防音壁だし、反対側に見えるのは工場群。無彩色、無機的な風景が続いています。気持ちがまた後ろ向きになります。もう㌔7分も、「楽しむ」ことも無理です。でも、絶対に歩かない!それだけは守ろうと心に決めました。

高速道路は32㌔辺りで降ります。そのときUターンして後ろが見えるのですが、ビックリしました。僕の後ろには、まだまだたくさんのランナーがいるのです。高速道路が彼らで埋め尽くされていました。「何だ、この爺さんもなかなかやるじゃないか」。自分で自分をほめました。ニンマリしました。もうゴールまであと10㌔。完走が見えてきました。

でも甘かった。

「第9関門まであと1.5キロ。制限時間まであと13分です。急いでください」。コース脇に立っていた大会スタッフがそう叫んでいます。えっ、僕は本当に驚きました。ペースは㌔8分ちょっと。関門を通過するのにギリギリです。通過できなければ失格ですから、苦しくてもペースを上げるしかありません。そうだ、腕を振ろう。足を動かすために、懸命に腕を振りました。なんとか制限時間に間に合いました。

東京マラソンはゴールの制限時間が7時間です。でも横浜は6時間30分でした。そのことを僕は全く知らずにいました。不注意でした。しかもスタート・ラインを越えるのに30分近くかかっていました。制限時間は号砲が鳴ってからのタイムですから、僕にとっての実質的な制限時間はほぼ6時間だったのです。そのために関門の締め切りに追われることになってしまったわけでした。

気がつくと、大観覧車が目の前に現れてきました。まるでランナーを見下ろしているようです。高さは100メートル以上あるでしょう、本当に大きい。ゆっくり回っています。乗っている人が豆粒のように見えます。何となくホッとしました。「パシフィコ横浜」近くに作られたゴールゲートが見えてきました。ようやく帰ってきました。両手を挙げて、ゴールラインを越えました。タイムは5時間51分58秒。一歩も歩きませんでした。やったー!今晩はワインをがぶ飲みするぞ

土肥 一忠(元時事通信記者)

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