エッセー 箱根でインバウンドをみた

4月2日(火)、妻と小学5年の孫を連れて、3人で箱根に行った。春休みとはいえ、平日なので、それほど混んではいないだろうと踏んでのことだ。コロナ明けのインバウンド需要で、箱根も大勢の外国人観光客で賑わっていると、テレビで見聞きはしていたものの、実際に行ってみたら、これが想像以上だった。旅程は、箱根湯本駅から登山電車とケーブルカー、ロープウエイと乗り継いで芦ノ湖へ行き、昼食を取った後、芦ノ湖を海賊船に模した遊覧船で渡り、バスで小田原まで帰る、という、箱根をぐるりと日帰りで巡るコースにしたのだが、旅のはじまりから、インバウンドを目の当たりにすることとなった。

箱根湯本駅と強羅駅を結ぶ登山電車は、沿道のアジサイが咲く6月に混雑することで知られているのだが、この日は、平日の午前10時台にも関わらず、首都圏の通勤電車並みの混み具合で、小学5年になる孫は、「8割が外国人だ。」とびっくりしながら、車内を見渡していた。混雑の原因は、春休みの家族連れや子供たちではなく、外国人観光客だった。

強羅駅から早雲山駅までのケーブルカーも、早雲山駅から大涌谷駅を経由して芦ノ湖畔の桃源台駅までをつなぐロープウエイも、乗り込むまでに30分を超える待ち時間を要した。箱根のロープウエイは、1分間隔で運行されるガラス張りのゴンドラに、順番に乗っていくのだが、18人乗りのゴンドラに日本人は私たちだけ。隣の席にヨーロッパから来たとみられる老夫婦、向かいは、明らかに富裕層と見えるインド人家族、残りは中国人のグループだった。晴天の箱根、山頂に雪を頂いた富士山が大きく見えて、外国人観光客らは、口々に「富士山、富士山」と言いながら、何枚も写真を撮っていた。

こんなわけで、予定を大きくオーバーして、午後2時頃にようやく芦ノ湖畔の桃源台駅に到着した。昼ご飯を駅の地下1階のレストランにしたのだが、1台しかない食券の券売機の前には、多くの外国人が長い列を成していた。20分ほど経って、ようやく私たちの前にいた中国人と思しき女性の番になり、タッチパネル方式の券売機の画面にタッチし始めた。ところが、メニュー画面で、食べたい料理の画像を何度タッチしても反応がない。その女性が困った顔をして、私の方を振り向いたので、仕方なく、私が近くにいたスタッフを呼んだところ、「それは売り切れ、ということです。」と、一言つぶやいて、忙しそうにそのまま行ってしまった。結局、私が、スタッフに代わって、その女性に、英語で「Sold out」と、説明する羽目になった。

遅い昼ご飯を食べた後、桃源台からバス停のある箱根町までは、芦ノ湖を遊覧の海賊船で渡る。乗船の切符売り場は、桃源台駅の地下2階にあった。これまた、階段を経て地上1階まで、切符を求める長い列ができていた。切符には、通常の運賃と、運賃を上乗せされた特別船室用の2種類がある。売り場の窓口に、日本語と英語で“特別船室は売り切れ”の張り紙が出されると、突如、並んでいた外国人観光客から一斉にどよめきが起きて、驚かされた。多くが、混雑を避けられる豪華な船室に専用デッキも付いた特別船室が目当てだったのだ。残念、がっかり、という共通の思いが、どよめきになったのだろう。

午後4時過ぎ、箱根は急に寒くなってきた。海賊船を降りて、箱根町から小田原駅まで、箱根登山バスで帰ることにした。パスモも使えて、地元の人たちの足にもなっている乗り合いバスだ。始発の箱根町の停留所から、大勢の外国人観光客と一緒に乗り込んだ。車内は満員で、英語、中国語に加えて、それ以外の言語の会話も耳にした。日本人は私たち家族のほか、ごくわずかしか乗っていないようだった。バスは、箱根駅伝の道を、1つ1つバス停に止まりながら下っていく。バス停では、外国人観光客が降りるたびに、初老の運転手が「Show me the pass」と大きな声で繰り返していた。箱根では、電車やバスなど、交通機関の乗り降り自由なフリーパスが購入できるのだが、それを見せずに降りようとする外国人観光客が多いのだろう。

途中で、バスから登山鉄道に乗り換えるため、このバス停で降りていいかどうか、鉄道の駅はどっちの方向かと、運転手に質問する外国人も少なからずいた。もちろん英語で尋ねているのだが、そのたびに運転手が「Train OK」とか、「Train Right」とか言って、片言の英語で懸命に対応していた。「箱根に来たのに、まるで外国旅行に来たみたいね。」と、隣の席にいた妻が話しかけてきたが、私も同感だった。バスは1時間余りで小田原駅に着いたが、運転手は、バスのタラップを下りる乗客に「ありがとうございました」と、頭を下げていた。ここは日本語だった。

箱根には、これまで何回も行っているが、今やこの状況があたりまえなのかと、いぶかしく思っていたところ、4月18日付の新聞を見て、ようやく合点がいった。見出しは「3月の訪日客、初の300万人越え 円安で沸く」だ。3月の訪日客数は、単月で最も多かったコロナ前の2019年7月を10%以上も上回り、初めて300万人を超えて、過去最高を記録していたのだ。箱根は、海外にも良く知られた日本有数の観光地なだけに、その影響をもろに受けたのだろう。4月末から5月初めにかけては、ゴールデンウィークだ。新聞によれば、京都駅近くのホテルは、ゴールデンウィークの宿泊予約の8割が、すでに訪日客で占められているそうだ。箱根では、このゴールデンウィークに、ケーブルカーとロープウエイで、混雑緩和を目指して、WEB予約制による優先乗車の実証実験が実施されると、テレビが伝えている。

松舘晃(元NHK記者)

Authors

*

Top