“円暴落”という悪夢

 先月(2024年4月)の中旬、東京・霞ヶ関でとある金融関係者の集まりがあった。そこには、元財務省財務官と元日銀総裁の姿もあった。話題は、その頃急速に進む円安・ドル高問題だった。「これは、安倍晋三元首相が進めた異次元金融緩和のツケが回ってきたんです」という関係者の一言がその場を一瞬凍らせた。

 ブルーグバーグニュースなどによると、日本が大連休(4月27日ー5月6日)に入った先月29日午前、日本の裏側、オーストラリア・メルボルンの34階建ビル、金融会社の外国為替デイーリングルームのデイーラー6人から一斉に「JPY160 yen❗️」(日本円1ドル160円)という叫び声があがった。メルボルン時間午前11時35分頃、東京時間10時35分頃の事だった。
 実は、円ドル相場は、既に2年余り前から激動期に入っていた。アメリカの中央銀行・連邦準備制度理事会(通称Fed)がインフレ対策として2022年3月から金利(FFレート)の引き上げに踏み切り、その後連続10回の引き上げで金利は一気に年5%に達し今日に至っている。日本の金利はほぼ0%程度で円からドルへと資金が移ってゆく、つまり円安は極めて自然な事だった。
 2022年3月、1ドル115円だった相場は2年余りで155円へと、実に40円、35%も値下がりして、なおもその流れは止まらず、ついに、メルボルンなどアジア市場で1ドル160円という数字がでた。
 日本は一体どんな手を打っていたのだろうか?大連休直前の先月26日、日本銀行で植田総裁が二日間に亘った定例の金融政策決定会合の後の記者会見で「今回は金融政策に変更はありません」と述べた。これはこの円安局面で日銀として金利の引き上げも含めて”何もしない“と宣言した様なものだった。
 世界の市場で24時間休みなく取引きを繰り返す外資系投機筋がこのチャンスを逃す筈はなかった。メルボルンで投機筋が仕掛けた1ドル160円が出現する背景だ。世界中に衝撃が走る中、”何もしない”日銀に代わって姿が見えたのは日本の財務省による市場介入だった。そして、投機筋との熾烈な“戦い”の第一幕が終わったのはメルボルン時間の午後11時頃。第二幕はニューヨークを舞台に今月1日の午後だった。市場介入の効果は限定的で時間稼ぎに過ぎないというのはマーケット関係者の常識だ。
 実は、“日銀は何もしない”とは“日銀は動けない“という風に市場関係者は読み替えている様だ。ここでアベノミクスの亡霊が蘇る。2012年末にスタートしたアベノミクスでは当時の黒田東彦日銀総裁が”異次元の金融緩和“をほぼ10年続けた。この間に日銀は日本国債を“異次元“に買い増し、国債発行残高の50%程度を保有、更に、民間の投資信託まで大量に買い込んだ。これらの措置で金利をほぼ0%近辺に抑え込んできた。そこに出現したのが、アメリカFedによる急激な利上とそれに伴う急激な円安だった。ここで日銀がすべき事は、当たり前だが、アメリカを追って利上げを実施、金利差を縮めてゆくことに尽きる。なぜできないのか?
 もし、日銀が、今、円安対策として効果が出るほどの大きさの利上げをすると日銀保有分を含めて日本政府の残高国債およそ1000兆円への金利負担が重く政府にのしかかる。又、金利引き上げには、日銀所有の国債を市場に売却してゆくことを伴うが、売却による市場へのショックは予測が難しく、日銀は逡巡している。こうした中、植田総裁は、先々月(2024年3月)19日、新体制の象徴として、これまで黒田前総裁が進めたマイナス金利と長期金利コントロール(YCC)を廃止してみたものの、金利に対してはほぼ効果はなかった。むしろ、投機筋の円売りを誘ってしまった様だ。
 さて、ブルグバーグニュース社の最近(2023年)の調査によると、日本人が海外に持つ金融資産は総額4兆4300億ドル(およそ660兆円)だという。ほとんどがドル資産でアメリカ、又は、タックスヘイブンのケイマン諸島などにあって、今後、日銀による多少の利上げがあっても日本円に回帰する動きは乏しいという。まさか多くの日本人が”円暴落“という悪夢をみて資産防衛を始めているとは思いたくないが、、。
陸井叡 叡Office

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