■事故調査の目的は再発防止
1月2日の日本航空機と海上保安庁機の衝突事故をきっかけに航空事故の調査と捜査の在り方が、あらためて問われている。運輸安全委員会(事故調、JTSB)の事故調査が優先されるべきなのか。それとも警察の刑事捜査を重視すべきなのか。過去の航空事故のケースを参考にしながら考えてみた。
航空事故、とりわけ旅客機の事故は多くの死傷者を出す。それゆえ一刻も早く原因を究明して同じ事故を二度と起こさないよう再発防止につなげる必要がある。しかし、業務上過失致死傷という刑事責任を追及する警察の捜査が入ると、どうしてもパイロットら航空関係者は自分たちに都合の悪いことを隠すようになり、事故原因の究明が遅れるなど支障が出てしまうことがある。
そこで重視されるのが、安全運航のために航空事故の調査は刑事捜査よりも優先されるべきだとの考え方である。ICAO(国際民間航空機関)は「自国の法令の許す限り」と断りながら事故の再発防止を目的とする事故調査を求めている。
2月8日に日本記者クラブ(東京・内幸町)で記者会見した航空安全推進連絡会は「事故調査は刑事捜査に優先される」と調査優先の考え方を強く主張していた。同連絡会は航空の現場で働くパイロットや客室乗務員、整備士、管制官らで構成され、羽田空港で起きた日航機と海保機の衝突事故の翌日(1月3日)には、調査優先の緊急声明を出している。
■アメリカに存在しない業務上過失致死傷
35年ほど前になるが、運輸省(現・国土交通省)を担当していたときには、この私も「航空事故は事故調の調査が優先される。パイロットの刑事責任を免責することで事実をありのままに語らせ、できる限り早く再発防止策を施すべきだ。それが航空の安全に結び付く」と何度も新聞記事にした記憶がある。
だが、しかし、要はそんなに簡単な問題ではない。事故調の調査は再発の防止が目的だが、警察の捜査の目的は事故を起こした直接の加害者を裁くことにある。調査には強制力はないが、捜査にはそれがある。事故で他人を死傷させた場合に問われる業務上過失致死傷という刑事上の罪が存在する限り、警察の捜査はなくならない。加害者を裁いてもらいたいという被害者感情もある。
そもそも事故調査優先という考え方は、業務上過失致死傷罪が存在しないアメリカ流の考え方なのである。しかもアメリカの事故調であるNTSB(国家運輸安全委員会)には大統領直轄という大きな権限を与えられ、再発防止のための事故調査優先を貫いている。
そこで問題となるのが、業務上過失致死傷罪のある日本とそれのないアメリカとが航空事故をめぐって複雑に絡み合ったときである。とくにアメリカ側に事故の主原因がある場合だ。その象徴的な航空事故が、520人という世界最大の死者数を出した39年前のあの「日航ジャンボ機墜落事故」なのである。
■ボーイング社は日本の捜査に「否」
1985(昭和60)年8月12日、日航123便のジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。墜落の原因は、同機の後部圧力隔壁を修理したボーイング社側にあった。修理ミスの内容は、昨年9月のメッセージ@pen(下記URL)に書いたので今回は省略するが、当時、調査に当たった運輸省航空事故調査委員会や刑事捜査を進めた警察、検察が何度も「修理を担当したエンジニア(技術者)やメカニック(作業員)から話を聴きたい」とボーイング社に申し込んでも答えは「否」だった。
事故調の事故調査委員、群馬県警の捜査員、前橋・東京地検の検事らが渡米して求めても駄目だった。アメリカの司法省を通じて国際捜査共助も依頼したが、結果は同じだった。検察はアメリカの司法当局に技術者や作業員から事情を聴いてもらう嘱託尋問まで検討したが、無駄だった。
ボーイング社はアメリカの憲法修正第5条で保障されている自己負罪拒否特権(自己に不利益な供述を強要されない権利、黙秘権と同じ)を盾に従業員の事情聴取を拒否し続けた。アメリカでは過失は民事の損害賠償で処理される。日本と同じ業務上過失致死傷という刑事上の罪は、基本的には存在しない。つまり過失によって飛行機が墜落しても刑事捜査は行われない。故意や犯罪性が高いケース以外は、刑事上の罪に相当しない。過失に対し、日本とアメリカの考え方は大きく違っているのである。
さらに言えば、アメリカには相手を死傷させる行為を裁く合衆国法典18編1112条や各州法の「故殺罪」(manslaughter、計画性がなく一時の感情から犯す殺人に対する罪で日本の旧刑法の殺人罪の1つの区分)はあるものの、日本の刑法上の業務上過失致死傷罪とは異なる。
■重要となる調整と協力
ここで嘱託尋問について触れておくと、ロッキード事件(1976年2月~1977年1月)では、日本の裁判所からアメリカの裁判所に嘱託される形で、ロッキード社の幹部が証人尋問されている。アメリカにも贈収賄という罪があり、双方可罰性の原則が成立したからである。しかし、日航ジャンボ機墜落の刑事捜査では、アメリカに業務上過失致死傷という罪がなく、双方可罰性が成り立たなかった。
日航ジャンボ機墜落事故の捜査をめぐってこんな出来事も起きた。ボーイング社の修理チームを率いたトップエンジニアが墜落事故の1カ月後に来日してボーイング社の事故調査の担当者と会った直後に逃げるようにしてあわてて帰国した。一部の関係者しか知らない話だが、なぜ、彼は急いでアメリカに戻ったのか。ボーイング社の在日スタッフから「逮捕される恐れがある。早く帰国した方がいい」とアドバイスを受け、日航や運輸省の関係者とは接触せずに帰国を早めたのだった。つまりボーイング社は日本の警察や検察に社員が逮捕されて裁かれることを本気で恐れていたのである。
航空事故に対する日本とアメリカの考え方の相違が、日航ジャンボ機墜落事故に対する事故調の調査と警察・検察の捜査に大きな影響を与えた。ボーイング社は修理ミスを認めても、なぜそのミスを犯したかという肝心要の理由を明らかにしなかった。40年近くたったいまも修理ミスの理由は不明のままである。
航空事故の調査と捜査はどうあるべきなのだろうか。1972(昭和47)年2月、運輸省と警察庁は「事故調は捜査機関から鑑定依頼があつたときに支障のない限り応じる」「捜査機関は事故調から協力要請があったときに支障のない限り協力する」との覚書を結んでいる。つまり運輸省と警察庁はお互い調整を図って協力し合って調査と捜査を進めるべきだというのである。この覚書は引き継がれ、いまも効力を持っている。
繰り返すが、事故原因を究明して再発防止につなげることは重要なことである。しかし、業務上過失致死傷という罪が存在する限り、刑事捜査も欠かせない。交通事故や鉄道事故、海難事故など他の事故の処理との関係もあるし、被害者や遺族の感情もある。それゆえ調査当局と捜査当局との間での調整や協力が重要となる。
木村良一(ジャーナリスト・作家、元産経新聞論説委員)
「日航ジャンボ機墜落事故から38年」 隔壁の残骸を前に考えた | Message@pen (message-at-pen.com)