「日航ジャンボ機墜落事故から38年」 隔壁の残骸を前に考えた

空の安全のための展示
 隔壁の残骸を見てきた。38年前の8月12日、群馬県上野村の山中に墜落したあの日航123便の後部圧力隔壁である。羽田空港を臨む東京モノレール・新整備場駅前の「日本航空安全啓発センター」には、隔壁のほか、垂直尾翼、後部胴体、客室座席などの残骸が展示されている。どれも大きく裂け、ひん曲がり、墜落の衝撃の激しさと悲惨さを物語っていた。
 安全啓発センターは、2006年4月に安全運航の教育を目的に日航グループ社員の研修施設としてオープンしたが、ネットで手続きすれば社員以外でも見学できる。今回は一般として申し込み、8月3日午後に訪れた。
 日航123便の実物の隔壁を見るのはこれで2度目である。前回はオープンした年の夏だから17年前になる。場所は現在と違い、整備場駅近くのビルに入っていた。新聞記者として取材し、そのときの記事(2006年8月28日付朝刊のコラム)を見ると、こう書いてある。
 「日航123便の残骸の前に立ち、乗客・乗員(計524人)の最後の32分間を考えると、空の安全の大切さが改めて分かる」
 当初、日航は残骸を廃棄処分しようと動いた。しかし、墜落事故の遺族で作る「8・12連絡会」の強い反対で保存が決まり、隔壁などの一部が安全啓発センターに展示されることになった。いま思うと、日航123便の残骸は空の安全のために欠かせない存在である。

細く狭い修理ミスの範囲
 墜落したのは大量高速輸送を象徴するボーイング社のジャンボ機(B-747SR-100型)だった。多くの乗客を運べるワイドボディの機種だ。それだけに犠牲者の数は多く、一度に520人が命を落とした。単独機でこれだけの死者数を記録した航空事故はいまだになく、航空史上最悪の大惨事である。
 後部圧力隔壁は、直径4メートル56センチ、深さ1メートル39センチの巨大なお椀の形をしている。18枚の扇状板(ウエブ)をドーム状に並べ、それぞれリベットで固定している。「アフト・プレッシャー・バルクヘッド」と呼ばれるように飛行中に機内の与圧を受け止める役目を担う。機首部分にも隔壁はあるが、墜落事故は後部圧力隔壁の修理ミスが原因で起きた。
 安全啓発センターでは、隔壁の残骸は、上半分のドームと下半分のドームがもとの形に並べられ、問題の修理ミスの部分もすぐに分かるようになっている。修理ミスは、長さ1メートル5センチ、幅6センチのわずかな範囲で起きた。この部分をあらためて目にすると、かなり細くて狭く感じられる。アルミ合金の隔壁の板(扇状板、ウエブ)は厚さ1ミリほどと薄いが、手で触ると、硬くて冷たい。
 たったこれだけの範囲の修理ミスで520人もが亡くなってしまったと思うと、言葉が出ない。

中継ぎ板の差し込み間違い
 修理ミスはどのようなもので、墜落事故にどう結び付いたのか。ここで簡単に説明しておこう。
 当時の運輸省航空事故調査委員会の報告書などによると、日航123便として御巣鷹の尾根に墜落するJA8119(国籍・登録記号)号機は、墜落事故の7年前の1978(昭和53)年6月2日、大阪国際空港(伊丹空港)に着陸するとき、機長の操縦ミスでしりもち事故を起こす。このしりもち事故で乗客25人が重軽傷を負い、機体後部が損傷した。
 日航は修理のすべてを、JA8119号機を製造したアメリカのボーイング社に任せた。しかし、後部圧力隔壁の修理で新しく作った下半分を既存の上半分に接続する際、一部に規定値不足(ショート・エッジ・マージン)が発生し、スプライス・プレートの中継ぎ板を1枚差し込むべきところを2枚に細長く切断して差し込んだ。この接続部が前述した修理ミスの箇所である。「L18接続部」と呼ばれている。
 リベットは2列打ちが原則で、スプライス・プレートを差し込んだこのL18接続部はリベットを3列で打たなければならなかったが、修理ミスの結果、1列打ちと同じ状態となり、強度が70%も落ちた。だが、一度接続されてしまうと、問題の修理ミスは発見することが極めて困難で、ボーイング社の検査や日航の点検でも発見できず、そのままになった。
 結局、7年間の飛行で与圧と減圧を繰り返すうちにL18接続部は金属疲労から多数のクラック(亀裂)が発生し、そこから隔壁ウエブが次々と破れ、「ドーン」という大きな音とともに与圧空気が機体尾部の非与圧側に噴き出し、真上の垂直尾翼や尾部のAPU(補助動力装置)を吹き飛ばした。垂直尾翼のラダー(方向舵)に伸びる油圧配管も切断され、そこから作動油が漏れ出し、エルロン(補助翼)やフラップ(高揚力装置)などの動翼を動かす油圧システムをすべて失い、JA8119号機は操縦不能となって32分間の迷走飛行の末に墜落した。
 それにしても、与圧空気の力には驚かされる。ドーンという破裂音とともに与圧空気が噴き出したのは、巡航高度の24000フィート(7315.2メートル)に到達する直前で、機内には1平方メートル当たり5.85トンもの与圧が加わっていた。垂直尾翼やAPUなどは1秒もかからず、次々と吹き飛ばされた。
 後部圧力隔壁の破断状況と修理ミスの箇所については事故調査報告書から「隔壁の損壊図」「修理ミスの接続部の略図」「接続部の断面図」を抜粋して添付しているので参考にしてほしい。

語り継ぎと共有の大切さ
 ところで、安全啓発センターの見学に一般として申し込んだと書いたが、安全啓発センターの伊藤由美子さんとメールでやり取りする中で、30年以上前に運輸省記者クラブ詰めの航空担当の新聞記者だったことを伝えた。そのうえで伊藤さんに墜落事故のときはどんな業務をしていたのかと質問すると、こんな内容の返事が返ってきた。
 「羽田空港の旅客部に勤務していました。8月12日の事故当日は遅番で、昼からカウンターでキャッシャー(チケットの発券)を担当。予約の変更やチェックイン(搭乗手続き)も行っていました」
 「『最終便よりも早い便に空席が出ました』とのアナウンスを聞いて次々とやってくるお客さまの変更手続きを進めました。この早い便が123便でした。まさかあんな事故が起きるなんて…。搭乗を勧めたことがひどく悔やまれました」
 「午後7時15分ごろに墜落の一報が入ると、『信じたくない』と思いながら体の震えが止まらなくなり、仕事ができる状態ではなくなりました。バックオフィスを覗くと、大混乱していました。その後、手書きで搭乗者名簿を作成して(乗客の家族の控室のある)羽田東急ホテルに走って届けました」
 伊藤さんは現在、シニア契約社員として勤務し、安全啓発センターでは見学者を案内し、墜落事故の解説も行っている。NHKのニュース番組(URL参照)などでもその活躍が大きく取り上げられた。今年11月には65歳を迎えて退社になるというが、伊藤さんのように墜落事故を体験した日航社員はわずか1%にまで減ってしまった。それゆえ、安全啓発センターのような場を通じて墜落事故を後生へと語り継ぎ、後世と共有して空の安全に結び付けていくことが欠かせない。

謎の修理ミスの理由
 ボーイング社は日航123便(JA8119号機)が墜落した直後、後部圧力隔壁の修理ミスによって墜落事故が発生したことを認めた。だが、しかし、その修理ミスがなぜ、起きたかについては一切、明らかにしていない。どの作業員がミスを犯したのか。中継ぎ板を2枚に切断して差し込んだ方が、作業がしやすかったからなのか。作業員はどこまで中継ぎ板と隔壁の強度の関係を理解していたのか。「ボーイング社は修理を行った航空技術者や作業員を日本の警察や検察が業務上過失致死の罪に問うのを恐れた」「だから修理ミスの理由を表に出さない」といわれてきたが、どのようにして修理ミスが起きたかは謎のままである。
 海外にいる容疑者の時効の成立はストップするとはいえ、墜落事故から38年という長い歳月が過ぎている。もう修理ミスの理由を明らかにしてもいいのではないか。アメリカは航空事故の再発防止のためにその原因と背景をとことん追究する国家だ。事故責任の追及よりも原因の究明を優先する。ボーイング社はその航空大国アメリカを背負って立つ大企業だ。事故直後には修理ミスが起きた理由を調べ上げ、NTSB(国家交通安全委員会)やFAA(連邦航空局)に詳細な報告書を提出しているはずである。
 医療事故でもその病院で発生した事故の原因やそれが起きた背景を探り出し、分かったらすぐに明らかにして外部に出すことが求められる。そうすることでほかの病院での同種の医療事故が防げる。医療も航空も人の命に関わる重大事である。
 繰り返すが、ボーイング社が修理ミスの理由を公にしないのは問題だ。どうして夫や妻、子供が犠牲にならねばならなかったのか。なぜ、お父さんやお母さんは亡くなったのか。墜落事故で家族を失った遺族が一番知りたいのも、そこである。
 航空事故の原因が究明され、事故がどのようにして起きたかが特定できたら次は公表する。明らかにすることで世界中の航空機メーカーや航空会社が共有できる。この共有によって同種の事故は未然に防げる。
         木村良一(ジャーナリスト・作家、元産経新聞論説委員)
※参照URL
日航ジャンボ機墜落事故から38年 あの夏の教訓をつなぎ続ける | NHK | WEB特集
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230810/k10014158681000.html

背面(機体後部)から見た隔壁の損壊図。太線が破断箇所、太い点線のところが非与圧側に大きく折れ曲がった箇所だ。修理ミスがあった上半分と下半分の接続部は、左側の第1ストラップ(同心円の帯板)と第3ストラップの間だ。まずここに亀裂が入って破断するとともに周囲にも亀裂や破断が次々と広がっていった(事故調査報告書の168ページから)
修理ミスの箇所に左側18番目のスティフナ(補強材)があることから「L18接続部」と呼ばれる。スプライス・プレート(中継ぎ板)は幅4センチのスプライス・プレートと幅2センチのフィラ(補充板)の2枚に切断され、上半部のウエブと下半分のウエブの間に差し込まれていた(事故調査報告書の172ページから)
修理ミスのL18接続部の断面図。左が正しい接続で、右が誤った接続だ。右はスプライス・プレート(中継ぎ板)が2つに切断されて差し込まれ、その結果、3列に打たなければならないリベットが1列打ちと同じ状態となり、強度が大きく落ちた(事故調査報告書の252ページから)
日航安全啓発センターの一角に展示された後部圧力隔壁の上半分(向こう)と下半分(手前)。破断して穴だらけの隔壁はやぐらの上で固定し、ライトで照らされ、ちぎれた大きな番傘のようにも見える。修理ミスの接続部はすぐに分かった。写真撮影が禁止されているため、写真は日航のホームぺージからコピーした
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