台湾海峡の緊張が続くなか、高市早苗首相が「台湾有事は日本の〈存立危機事態〉になりうる」と発言した。これに対し中国政府は即座に反発し、「いかなる外部勢力の介入も許さない」と強く非難した。ここまでは、ある意味で想定内の外交的応酬である。
しかし、その後に続いた動きは、単なる言葉の応酬では済まなかった。中国側は、日本に対する中国人観光客、とりわけ団体ツアーの制限に踏み切り、同時に経済・産業分野でも〝選別的〟とも言える圧力を強めている。表向きは行政判断や市場原理を装いながら、その実、政治的意思が色濃く反映された制裁的措置であることは否定しがたい。
日本国内では、こうした動きを「中国の強硬姿勢」「経済と政治の混同」といった言葉で説明する向きが多い。だが、それは現象の表層をなぞっているにすぎない。問題の本質は、なぜ中国がここまで〝過剰とも見える反応〟を、段階的かつ持続的に示すのか、という点にある。
この問いに答えるには、中国が台湾問題において動員している二つの歴史的エネルギー ――〈大一統〉という思想の古層と、〈屈辱の歴史〉という近代的記憶――を視野に入れなければならない。さらに言えば、それらが「感情」ではなく、政策として制度化され、実行されている点にこそ注目すべきである。
◉秦の始皇帝から始まる〝大一統〟──統一は秩序、分裂は否定
中国が台湾統一を「核心的利益」と位置づける背景には、〈大一統〉という政治思想がある。歴史上、初めてこれを現実の制度として成し遂げたのが、紀元前221年の秦の始皇帝であった。度量衡・文字・貨幣を統一し、中央集権国家を築いたこの経験は、中国史における「正しい国家像」として強く刻まれた。
この価値観は、日本人にもおなじみの『三国志』においても明確である。日本では英雄たちの群像劇として愛好されるが、中国史観において三国鼎立は「乱世」であり、物語が最終的に晋による統一で終わるのは、統一こそが秩序回復であるという前提があるからだ。
興味深いのは、日本ではこの思想的背景がほとんど意識されない点である。日本人は「日本の伝統」や「日本人論」を語りたがる一方で、歴史の古層を流れる思想が社会や国家行動をどう規定するかについては驚くほど無自覚である。その無自覚さが、中国の反応を「不可解」「過剰」と誤認させる。
中国にとって台湾は、単なる領土ではない。大一統が未完であること自体が、国家の正統性に傷を残す状態なのだ。だからこそ、台湾に言及する日本の首相の発言は、思想的秩序への挑戦として受け止められる。
◉世界GDPの三分の一を失った記憶──屈辱は「克服されるべき歴史」
もう一つの軸が〈屈辱の歴史〉である。
十八世紀、清朝は世界GDPの約三分の一を占める、疑いようのない超大国だった。だが十九世紀、アヘン戦争以降の列強の侵入によって、その地位は急速に崩れる。主権を侵され、条約で縛られ、領土を切り取られていく過程は、「百年の屈辱」として中国の歴史認識に深く刻み込まれた。
1895年の日清戦争敗北と台湾割譲は、その象徴である。台湾は中国にとって、単に失われた土地ではない。「最も屈辱的なかたちで奪われた場所」であり、その喪失は、清という巨大帝国が崩れ落ちていく前兆でもあった。
このため、現代中国において台湾問題は、
・大一統の完成
・屈辱の歴史の清算
という二つの物語を同時に背負う。
日本の首相発言に続いて、観光制限や経済的圧力が発動されたのは偶然ではない。これは感情の爆発ではなく、屈辱を再び想起させる相手に対し、「代償を払わせる」という歴史的行動様式の現代版なのである。
◉制裁は「外交カード」ではなく「歴史表現」である
中国がしばしば用いる「観光」「通関」「市場アクセス」を通じた圧力は、単なる外交カードではない。そこには、言葉ではなく行動で示すという中国的な政治文化がある。
訪日団体旅行の制限は、日本経済にとって直接的な打撃であると同時に、「日本は中国の内政問題に踏み込んだ」というメッセージの可視化でもある。経済分野での選別的対応も同様だ。全面的な制裁ではなく、〝効くところに効かせる〟というやり方は、相手に圧力を認識させつつ、国際的な批判をかわすための洗練された手法である。
重要なのは、これが一過性の反応ではなく、歴史的文脈に裏打ちされた行動様式だという点である。大一統を揺るがし、屈辱の記憶を刺激する相手には、必ず〝代価〟を払わせる。この論理が、現在の政策判断にも生きている。
◉台湾と日本──主体性と無自覚のあいだ
台湾社会は、こうした中国の歴史論理をすでに共有していない。清・日本・国民党という外部支配を経て、民主化によってようやく主体性を獲得した台湾にとって、〈大一統〉は再び自由を奪う論理に見える。
一方、日本はどうか。日本は台湾割譲という歴史の当事者でありながら、その歴史的重みを語ることを避けてきた。同時に、台湾有事が自国の安全保障に直結する現実を、ようやく言葉にし始めた段階にある。
だが、その言葉がどのような歴史的地層を刺激するのかについての理解は、まだ十分とは言えない。日本人が「日本とは何か」を語るわりに、歴史の古層に流れる思想や記憶に無自覚であることが、ここでも露呈している。
◉結語──制裁の背後にある「時間の長さ」を読む
高市首相の発言後に続いた、中国の観光制限や経済的圧力は、単なる報復措置ではない。それは、
・秦以来の〈大一統〉という思想、
・清の没落に始まる〈屈辱の歴史〉、
という二つの長い時間が、現代政治のかたちをとって表出したものである。
台湾問題とは、軍事や外交の問題である前に、歴史意識の衝突である。その射程を見誤れば、政策の意味も、相手の行動も理解できない。
日本にいま求められているのは、声高な理念でも、短絡的な現実主義でもない。
必要なのは、時間の長さに耐える教養であり、隣国の行動を、その歴史的文脈の中で読む想像力である。
それなくして、台湾問題を語る資格はない。
佐久間憲一(牧野出版社長)