時事新報社の解散と産経新聞

 「本総会はこれをもって閉会とし、当社の全ての清算業務が終了いたしました。長きに渡り当社をお支え頂いた株主のみなさま方に心より御礼を申し上げます」。2025年1月24日午後2時過ぎ、東京・大手町の産経新聞東京本社会議室に、株式会社時事新報社清算人の声が響いた。1882年3月1日に福澤諭吉が創刊した『時事新報』を発行してきた同社が143年の歴史に幕を下ろした瞬間だった。最後の監査役として、この臨時株主総会に出席していた筆者は議長である清算人と共に起立し、株主に向かい、深々と頭を下げた。
 福澤が「わが同志は本来独立の一義を尊崇する」として、「無偏無党(不偏不党)」の編集方針を掲げ発刊した『時事新報』は、中立言論新聞として一世を風靡したが、福澤の死後、大阪進出の失敗や関東大震災による本社屋全焼などで体力を失い、1936年に終刊した。終戦後の46年に復刊したものの、55年には産業経済新聞東京本社と合同し、経営を委任した。58年まで題字を『産経時事』として発行を続け、その後も『産経新聞』の題字脇に「時事」の字が載っていたが、69年にはその文字も消えることになった。
 しかし、その後も会社は存続し、毎年、取締役会と株主総会を開催し続けてきた。会社清算業務を扱う弁護士、法務局や、時事新報の歴史を研究している慶應義塾福澤研究センターなどの担当者は、口をそろえて「これだけ長い期間、毎年決算業務を続けてきた事実上の休眠会社は他に聞いたことがない」と言う。
 会社合同以来70年もの間、なぜこのような手続きを進めてきたのか。それは、慶應義塾、交詢社と並ぶ福澤の3大事業であるとともに、時事新報社から産経新聞社内に脈々と受け継がれてきた、「バランス感覚に富んだ社説(『産経』では『主張』)や正確で早い報道で社会の信頼を得る」という考え方の維持にあったといえよう。
 最後の代表取締役社長を務めた鈴木隆敏元産経新聞社常務取締役が著した『新聞人福澤諭吉に学ぶ』(産経新聞出版、2009年)によると、時事新報社は①大相撲優勝力士写真額の贈呈➁最初の美人コンクール③国際報道で世界的スクープ④新聞漫画の掲載⑤女性記者の採用⑥案内広告の草分け⑦長時間マラソンを主催-など、現在の各新聞社が行っているような紙面づくりや事業を次々に開発、導入し、マスメディアの先頭を走り続けてきた。
 広告掲載と販売収入による新聞社経営の二本柱の確立も同社が先陣を切った。1946年に日本新聞協会が設立された際、復刊したばかりの時事新報社の伊藤正徳取締役主幹が新聞ジャーナリズムの憲法といえる新聞倫理綱領を起草、同協会と共同通信の理事長に就任し、時事新報の方針が新聞界の理念となった経緯もあった。
 時事復刊に尽力した前田久吉は『大阪新聞』の前身である『南大阪新聞』を発行していた。経済紙の草分けである『日本工業新聞』も生み、これらがのちに全国紙となる『産業経済新聞』となり、社長を務めた。それが、『産経新聞』との太いパイプとなった。
 本来なら、『産経時事』の題字が消えた時点で会社を解散するところだろうが、こうしたことから、産経新聞社内では、条件が整えばいつか『時事新報』を再開できるようにとの体制が残された。その後も幾度となく再復刊が検討されたが、現有の『産経新聞』『月刊正論』などとの役割分担が明確化できず、今日に至っていた。ただ、毎年3月1日の創刊記念日には『産経新聞』の中面に『時事新報』の題字を掲げ、協賛会社からの広告と共に紙面作りを続けている。この間、三雲四郎、藤村邦苗、清原武彦そして鈴木氏と、慶應義塾塾員で産経新聞編集局出身の経営者らが時事新報社の歴代社長を務めてきた。
 解散決議した2024年9月11日の臨時株主総会で会社が示した解散の理由は、①社会情勢の変化により、株主である上場企業が政策保有株を手放す流れが加速➁産経新聞社による今後の商標権の適切な維持、活用を目指す-という。紙面のデジタル保存や複写紙面の販売は、同社の歴史を研究している慶應義塾と産経新聞社が協議して行っている。解散決定後、鈴木社長は「新聞全体の大きな時代の変化の中で苦渋の決断だった。『時事新報』の商標と伝統は産経新聞社が護っていく決意を示してくれたので応援していく」と述べた。
 本稿は、筆者も参画した『三田評論』2025年4月号の「特集 時事新報と日本のジャーナリズム」を参考にした。最後に私事にわたるが、創刊直後の編集局長だった對馬健之助は筆者の曽祖父にあたる。 その後任で弟の對馬機、戦前に終刊したときの会長の門野幾之進らも近い親戚だ。福澤諭吉が始め、これらの先人たちが紡いできた『時事新報』の、最後の役員として偶然幕引きに参画できたことに、厳粛な思いを抱いている。
對馬 好一(元時事新報社監査役)

 

 

 

時事新報創刊号(1882年3月1日付)

 

慶應義塾史展示室に展示されている時事新報関連資料

 

産経新聞に掲載された時事新報紙面(2024年3月1日付)

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