旅行エッセー 台湾見たまま、聞いたまま

コロナ禍で控えていた海外旅行を今年再開しました。まずは近場からということで、台湾を選びました。ネットで検索していると関西の旅行会社が企画したランタンフェスティバルを観に行くツアーが目に留まり、2月27日から、妻と台湾縦断4日間の旅に出ることにしました。台湾に行くのはほぼ30年ぶり、2回目です。半導体産業が日本に進出するなど発展著しい台湾がその後どう変わったのか興味もありました。

■台湾をめぐる苦い思い出

実は台湾をめぐっては苦い思い出があります。それは1994年広島で開かれたアジア最大のスポーツの祭典「広島アジア大会」でのことです。当時スポーツ担当記者だった私は、現場で取材指揮をするデスクとして東京から送り込まれました。

 ある日、各国の選手団が広島空港に次々と到着しているというニュースをテレビで放送したところ中国が嚙みついてきました。選手団を歓迎する人たちの中に、台湾が国旗としている「青天白日旗」の小旗を振る人たちが写り込んでいたのです。ほんの数秒のシーンで目を凝らして見ないと分からないくらいでしたが、中国側は見逃しませんでした。中国は、台湾を中国の一部としており、日本を含む多くの国が台湾を国として認めていません。オリンピックをはじめとした国際スポーツ大会では、台湾は「チャイニーズタイペイ」の呼称で出場しており、「青天白日旗」の代わりに梅花旗と呼ばれる国際大会用の旗を使っています。こうした背景があり、中国は「台湾は中国の一地域に過ぎない。その台湾が国旗とする青天白日旗をニュース映像で出すとは何事か。NHKは2つの中国を認めるのか」と激しく抗議したわけです。国際政治の世界では、相手は小さなスキをついてきます。私は、現場取材の責任者の一人としてわきが甘かったと深く反省しました。

■台湾は自衛力強化

 昨今、中国が台湾に侵攻する“台湾有事”が懸念されています。ウクライナやガザ地区の惨状を見るにつけ、何が起こっても不思議ではないのが今の時代です。日本を出る時、友人に「台湾有事があったら帰ってこられないかも」と言い残し、覚悟を決めて出発しました。緊張して台湾に入りましたが、私が鈍感なのか、台湾有事が起こる気配は一切感じませんでした。

忠烈祠の衛兵交代式

 台湾では18歳以上の男子に兵役が義務付けられています。台湾海峡での軍事的緊張の高まりを受けて、台湾政府は、今年から兵役期間を、これまでの4か月から1年に延長しました。現地ガイドは「台湾の軍隊で一番強いのは陸軍だが、訓練が厳しいので希望者は少ない。ただ、陸海空のどこに配属されるかは、くじで決まる。」と実情を話してくれました。最後に「日本の安倍元首相は、台湾有事は、日本有事と言っていた」と語気を強めていたのが印象に残りました。

■勘違いだったランタンフェスティバル

湾ランタンフェスティバル

 今回の旅のメインは、「ランタンフェスティバル」でした。台湾では、旧正月をお祝いして紙製のランタンに願い事を書き、熱気球と同じ原理で空に飛ばす風習があり、無数のランタンが夜空を彩る幻想的な光景が有名です。その光景を見られると張り切って、旅の2日目の夜、台南市の「ランタンフェスティバル」に臨みました。そこには数えきれないほどのランタンが飾られ、色鮮やかな光の祭典が繰り広げられていました。しかし、どこを見てもランタンが空に舞い上がる様子がありません。現地ガイドに後で教えてもらったのですが、読み方は同じランタンでも、漢字で書くと、空に上げるのは「天燈」、照明の置物が「燈籠」ということで、「天燈」を見に行ったつもりが、実は「燈籠」だったというお粗末な話でした。「天燈」祭りの方は、4日前に終わったということで、翌日、その会場となった十分(シーフェン)という小さな街に行き、4人一組で、ひとつのランタンに墨で願い事を書き込んで空に飛ばす貴重な体験をしました。

天燈上げ体験

■台湾の英雄は、日本人との混血

延平郡王祠

 皆さんは、台湾で孫文、蒋介石と並ぶ英雄として崇められている鄭成功(ていせいこう)を知っていますか。オランダの植民地から台湾を開放し、台湾の開祖とされる人物です。中国人を父に、日本人を母にもち7歳まで現在の長崎県平戸市で過ごしました。人形浄瑠璃や歌舞伎の演目にある近松門左衛門作『国姓爺合戦』の主人公でもあります。2月28日、鄭成功を祀る「延平郡王祠」を訪れました。オランダの文献によると、鄭成功は色白、端正な顔立ちで眼がきつく、髪もぱさぱさに伸ばしていたとのことで、座像には、気品と威厳がありました。台南市内には、首都台北市にある台湾大学と並ぶ全国トップ校の国立大学が「成功大学」と名付けられていたり、大通りの一つが成功通りとなっていたりしていて、鄭成功が台湾の人たちに深く敬愛されていることがよく分かります。

鄭成功坐像

 台湾には、50年間の日本統治時代の名残がいたるところにあり、日本とのかかわりの深さを物語っています。その日本統治時代以前、今の台湾の基礎ができたころから鄭成功によって日本と台湾は結びついていたことを改めて知りました。2回目の台湾訪問は、新たな発見の旅でもありました。

山形良樹(元NHK記者)

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