<シネマ・エッセー>「ヒトラー暗殺、13分の誤算」

最近読んだ『第3帝国の愛人』(エリック・ラーソン著:岩波書店)は1933年から3年間、ナチ政権下のドイツでアメリカ大使を勤めたウイリアム・D・ドッドとその娘、マーサを中心に描いた歴史ノンフィクションである。ヒトラーが全盛期に向かうベルリンで対独外交に苦闘する話だが、この本の終章ではヒトラーがSA(突撃隊)幕僚長、レームら116人を粛清する話が出てくる。

情け容赦なしに政敵を抹殺したヒットラーだが、この映画は1939年11月8日、ミュンヘンで起きた彼の暗殺未遂事件を詳細に描いている。犯人はゲオルク・エルザーという36歳の家具職人。南ドイツの寒村でキリスト教信者として平凡な生活を送るエルザーは、近所に住む人妻との不倫が続く中で、日ごとに高まるナチズムの暴威に悩まされるようになる。

親しい仲間の検挙などで精神的に追い詰められたエルザーは、ポーランド侵攻で意気上がるヒトラーが,ミュンヘンの酒場で記念講演をする日を選んで暗殺を計画。手作りの時限爆弾装置を仕掛けるのだが、ヒトラーは悪運強く、演説が予定より13分早く終わったため、会場を去った直後に爆発が起き、聴衆8人が死亡するだけで奇跡的に難を逃れる。

逮捕後の犯人のエルザーの取り調べに当たる刑事警察局長、ネーベと秘密警察・ゲシュタボはエルザーの単独犯行はありえないと考え、英国諜報部の関与を疑って残酷な拷問をしつように繰り返す。ヒトラーも背後関係の摘発を厳命するが、何も出てこない。そして、なぜエルザーが暗殺を企てたのか、決定的な動機がわからないまま、ヒトラーは彼をすぐには処刑せず、その真実さえも封印してしまう。
第3帝国崩壊の1945年春、取り調べに辣腕をふるったネーベは他の事件で罪を問われて絞首刑になり、エルザーもまた銃殺される。監督のオリヴァー・ヒルシュピーゲルは「ヒトラー最期の12日間」(2004年)では総統官邸地下壕での独裁者の最後の日々や、片腕だった宣伝相、ゲッベルス一家の悲劇を克明に描いていた。ドイツ人でありながら、いや、むしろそれだからナチスの悪を冷徹な目で描き切り、「徹底的ドイツ人」の思想と手法でこの映画を作ったのだ。

第2次世界大戦で、ヨーロッパでは千数百万人が戦争の犠牲になった。「歴史にIf はない」と言うが、もしエルザーが13分早く爆発の時間設定をするか、ヒトラーがもっと演説を長くしていたら、暗殺は成功していたことだろう。そして戦争はポーランド侵攻だけで終わり、世界中の人間が大戦の犠牲を免れたかもしれない。アウシュビッツのユダヤ人虐殺、ハンブルグ、ベルリン、ドレスデンなどの空襲によるドイツ市民の犠牲はもちろん、2年後の太平洋戦争も、あるいは起きなかったかも知れない・・そんな思いを深くさせた映画だった。
          磯貝 喜兵衛(元毎日映画社社長)

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