◉回転競技における日本選手の存在感
ミラノ・コルティナ冬季オリンピックでは、日本のスノーボード勢が再び存在感を示した。男女4個の金メダルに併せて計9個のメダルを獲得し、フィギュアスケートやモーグルを含め、回転を伴う競技における日本選手の強さはもはや偶然ではない。
こうした活躍を見るたびに、繰り返し語られる説明がある。
日本人は小柄だから回転競技に強い。物理学がそれを証明している。
この説明は完全な誤りではない。むしろ部分的には正しい。
回転運動において重要になるのは慣性モーメントである。慣性モーメントは質量と回転軸からの距離の二乗に比例するため、身体が小さく、四肢が短いほど回転しやすい。フィギュアスケートのスピンで腕を閉じると回転が速くなる現象は、この原理を直観的に示している。
回転数の多いジャンプにおいて軽量でコンパクトな身体が有利に働くことは否定できない。女子体操選手に小柄な体格が多いことも、この物理的条件と無関係ではないだろう。
したがって、「回転系競技では小柄な身体が有利」という命題には一定の合理性がある。
◉単純化の飛躍
しかし問題は、この説明がしばしばそこから拡張されすぎる点にある。
日本人は小柄だから回転競技に強い。アルペンスキーのように体格や筋力が重要な競技では弱い。
この説明は分かりやすく、しかも科学的に聞こえる。しかし説明としては著しく単純である。
◉地形が育てる競技力
私自身、若い頃にはかなりの時間をスキー場で過ごした。国内の多くのスキー場を滑ってきた経験から言えば、日本の「ロングコース」と呼ばれるものは、多くの場合3000メートル前後である。志賀高原や白馬、蔵王といった主要スキー場でも、滑走距離や標高差には限界がある。急斜面は多いが、長距離高速滑走が連続する地形は少ない。
これに対して欧州アルプスや北米では事情が大きく異なる。標高差1000メートル以上のコースが珍しくなく、滑走距離が5キロから10キロに及ぶコースも存在する。滑降競技では平均時速100キロを超える滑走が行われる。
こうした環境では、スピードに対する身体感覚そのものが異なる。遠心力への耐性、高速滑走時のバランス、長距離滑走における集中力の維持は、環境の中で自然に形成される。これはトレーニングというより、地形によって育てられる能力である。
アルペンスキー強国がアルプス周辺や北米山岳地帯に集中しているのは偶然ではない。
◉人工環境と技術文化
一方で、回転系競技の多くは人工施設によって高度なトレーニングが可能である。
たとえば、日本のスノーボード育成環境を象徴する施設として、新潟県村上市に2024年完成した「村上スノーリサーチ&トレーニングセンター」がある。当時としては世界初となる、ハーフパイプのエアーをオフスノーで再現する屋外型トレーニング施設である。エアバッグを用いた安全な着地環境のもとで、高難度技を反復練習できる。
このような施設は、自然地形に依存しない回転系競技の特性を象徴している。巨大な山岳環境を持たない国であっても、適切な施設と育成環境があれば世界レベルの競技力を形成できるのである。
さらに付言すれば、日本の競技スポーツには、反復練習を通じて技術を磨く「職人的」な練習文化が存在するように思われる。同じ動作を繰り返し、微細なズレを修正しながら完成度を高めていく過程そのものに価値を見出す態度である。回転技のように精密な身体操作を要求される競技において、このような練習文化が競技力形成に寄与している可能性は小さくない。
それは国民性というより、学校教育や部活動、技能習得を重んじる社会的経験の中で形成されてきた技術文化と呼ぶべきものだろう。
◉知性と単純化
それにもかかわらず、「日本人は小柄だから回転競技に強い」という説明は繰り返し現れる。理由は単純だ。分かりやすいからである。
複雑な現象を単一の原理で説明できるとき、人は強い知的満足を覚える。そこでは説明の正確さよりも、説明の明快さが優先される。
興味深いのは、この種の単純化が必ずしも知的能力の不足から生じるわけではないという点である。むしろ、自分は合理的に考えていると思っている人ほど、この説明に安心する傾向がある。物理学という権威ある言語が、その安心を支える。
単純な説明は理解を与えるというより、理解したという感覚を与える。ここに知性の逆説がある。この構造は陰謀論と同一ではないにせよ、心理的には似た働きを持つ。複雑な現実を単一の原因で説明し、不確実性から解放される点においてである。
回転競技において小柄な身体が有利であるという物理学的事実は否定できない。しかし、それをもって日本人の競技力を説明し尽くしたつもりになるなら、それは理解ではなく安心である。
スポーツは身体だけでなく、地形、文化、歴史、制度、教育、技術の蓄積によって成立している。競技結果はその交点に現れる。
世界は単純な原理で説明できるほど整然とはしていない。そして知性とは、世界を単純に説明する能力ではなく、単純に説明できないという事実を引き受け続ける能力のことなのだろう。
佐久間憲一(牧野出版社長)