安保法案成立 国家権力監視の視点を忘れるな

 「戦争法案だ」「いや戦争抑止法案だ」との激しい議論の末、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案が、19日未明に成立した。
 これまでにないほど新聞各社のスタンスもはっきり2つに分かれた。朝日、毎日、東京が反対の立場から論陣を張り、これに対し、読売、産経が賛成の立場の主張を繰り広げた。
 たとえば安保法案成立直前に書かれた各紙の社説の見出し。「熟議を妨げたのはだれか」(朝日、19日付)、「憲法ゆがめた国会の罪」(毎日、同)、「抑止力高める画期的な基盤だ」(読売、同)、「戦争抑止の基盤が整った」(産経、20日付)。見出しを比べただけでもスタンスの違いがよく分かる。
 社説の中身にも少し触れてみよう。15日付朝日は「民意無視の採決やめよ」とのストレートな見出しを掲げ、「首相が強調した徹底審議の結果が、世論の反対だ。27日の会期末までに参院で採決できなければ、いさぎよく廃案にするのが筋である」と主張する。一方、読売は16日付社説で「参院の審議時間は100時間近くに達し、同様の質問の繰り返しも目立ってきた。16日に地方公聴会が終われば、法案を採決してもよい時期ではないか」と述べる。
 おもしろいのは安保法案が参院特別委員会で可決した翌18日付の読売の社説だ。
 「民主の抵抗戦術は度が過ぎる」という見出しで「委員会室前の通路で、多数の女性議員らを『盾』にして、委員長や委員の入室を邪魔する。委員長らの体を激しく押さえつけたり、マイクを奪ったりする」「どんな理由を挙げても、こうした物理的な抵抗や暴力的な行為を正当化することは許されまい」「民主党議員らの言動は、国会外のデモとも連動し、法案成立をあらゆる手段で阻止する姿勢をアピールするための政治的パフォーマンスだと言うほかない」と手厳しい。
 国会周辺デモに関しては「主催者側が参加者数をさば読み、参加者の大半が運動家で一般の参加者が安保法案をどこまで理解しているかも疑問だ」との批判もある。
 しかしながら連日連夜の国会周辺のデモには考えさせられるところが多い。国会を取り巻くデモの人波は、審議が進むにつれて膨らみ、地方都市にも波及していった。「他国の戦争に巻き込まれる不安が消えない」「やられたらやり返すのは問題だ」「もっと時間をかけて審議してほしい」「違憲法案だ」。「政治的無関心」とまで言われてきた若者が大声を張り上げて法案反対を叫び、政治色がタブー視される芸能界でも著名なタレントが自分の意見をはっきりと述べている。そうした光景をテレビや新聞が伝えてきた。
 最近ではない現象だ。これこそが世論の盛り上がりかもしれない。無視してはならないひとつの現実である。
 かつて60年の日米安全保障条約の改定でも、激しい反対デモが国会を取り囲んだ。安倍首相の祖父である岸信介首相(当時)は退陣に追い込まれ、日本の社会は「所得倍増計画」を打ち出した池田勇人内閣のもとで経済重視路線へと転換し、高度経済成長を成し遂げた。
 いまはどうか。嫌でも日本を取り巻く国際環境の厳しさに目が行く。国防費を増やして軍事力をつける中国、核兵器開発で世界に脅しをかけようとする北朝鮮、慰安婦問題で反日感情を強める韓国、北方領土返還問題を突きつけるロシア…。いずれも現実であり、日本はこの現実にきちんと対応していかなければならない。何も努力せずに平和は得られない。それゆえ米国との同盟関係をより強固なものにする安保法案の必要性は分からないでもない。
 ここで大切なのは反骨精神である。国家権力を監視する視点を忘れないことだ。とくに新聞社などのマスコミがこの監視を怠ってはならない。そもそも複数の憲法学者らが「違憲」と指摘した安保法案である。
 安保法案が成立したことで、米国など密接な関係にある他国が攻撃された場合、ともに戦う集団的自衛権の限定行使のほか、国際平和支援における外国軍への後方支援、国連平和維持活動(PKO)での駆けつけ警護などが行える。
 こうした安全保障における安倍内閣の姿勢に問題はないのか。安保法案の成立がこれからの日本の社会にプラスなのか、それとマイナスなのか。絶えずこれを考えていく必要がある。国益ではなく、国民の真の利益を目指すべきだ。
 それにはしっかりとした目を養いたい。それも複眼でなければならない。物事には表と裏があり、理想の前には現実が立ちはだかる。うのみにするのではなく、いくつもの目で見る。幅広く深く、知識を習得し、物事を自分の頭で考える習慣を身に付けたい。これは自らに対する戒めでもある。
木村良一(ジャーナリスト)

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