<シネマ・エッセー> ルンタ

ヒマラヤを仰ぐ仏教国チベットは、長い間鎖国を守る”禁断の国”であった。
1950年、そのチベット全域を中国は武力で併合。9年後、中国の侵攻に対して「チベット動乱」が起き、最高指導者だったダライ・ラマ14世はインドへ逃れ、チベット亡命政府を樹立した。

池谷薫監督の長編ドキュメンタリー映画「ルンタ」は、今も非暴力の戦いを続けている亡命チベット人たちの姿と、チベットの草原で遊牧生活を続ける素朴な農民たちに焦点をあてるのだが、この地で140人を超える”焼身自殺”が生まれている実態は何よりの衝撃だ。

映画は”焼身抗議”で自らの身体に油をかけ自殺した青年の実写から始まる。インド北部の町ダラムサラには、ダライ・ラマをはじめ10万人を越す亡命チベット人たちの多くが住んでおり、建築家で日本人NGO代表の中原一博さんもここで30年間にわたって故郷を失ったチベット人たちを支援してきた。

中原さんがインタビューする老人の一人は、チベット自治区のなかで中国への抗議運動をして捕らえられ、拷問を受けた体験を生々しく語るが、その実態はキューバ・グアンタナモ基地で暴露された米軍・CIAが行った拷問と酷似しているのにも驚かされた。同じような経験をした尼僧の証言もあり、中国政府に対して非暴力の抗議を続けるチベット人への弾圧の苛酷さを物語っていて、怒りを覚えさせられる。

映画の後半では、中原さんと撮影スタッフが中国治下のチベットに入り、今も原始的な放牧生活を続ける素朴で逞しい家族たちの姿や、チベットの雄大な自然を紹介しているが、ここは元々、近代文明から遠く離れた遊牧の里であり、温和な仏教徒たちの国だったのだ。

日本人で最初にヒマラヤを越えてチベットを訪れたのは泉州堺の”怪僧”河口慧海(1866年~1945年)だった。「一切経」を求めてネパール越えでラサに入り、ダライ・ラマ13世に謁見を許され、チベット語の仏典を日本に持ち帰っている。

この映画では、亡命先のダラムサラの寺院で法話をし、独立と平和を訴えるダライ・ラマ14世(ノーべル平和賞受賞)の実写が披露されている。それと、 ”焼身抗議者”の写真に祈りを捧げる少年僧の姿が印象的だ。

映画の題名「ルンタ」はチベット語で「風の馬」を意味し、空を翔け人々の願いを仏に届けると信じられているという。無心に手を合わせる少年僧の願いが、風に乗って仏に届き、チベットに平和が戻るのを祈らずにはいられない。
(7月18日から、東京・渋谷 シアター・イメージフォーラムほかで上映)
磯貝 喜兵衛(元毎日映画社社長)

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