<シネマ・エッセー> 皆殺しのバラッド

メキシコと言えば、トランペットが陽気に鳴り響くマリアッチの演奏を思い浮かべる。しかし、この映画で流れるのは、あの底抜けに陽気なメキシコ音楽ではなく、バイオレントで刺激的な「ナルコ・コリード」のリズムである。『片手にマシンガン、肩にはバズーカ、奴らの生首はねてやる・・・』と歌詞もすさまじい。そして、スクリーンに映し出されるのは2005年頃から始まり、現在までに12万人の犠牲者を生んだと言われるメキシコ麻薬戦争の生々しいドキュメンタリーである。

メキシコと国境を接するアメリカで麻薬の消費が盛んになったのはベトナム戦争のころからで、精神的ストレス解消のため麻薬の使用が広がり、メキシコが麻薬供給地の中南米諸国とアメリカを結ぶ要衝になったという。そして麻薬密輸を取り仕切る暴力組織と警察との血みどろの戦いが今でも繰り返され、カメラは市民を巻き込んだ残酷なシーンを執拗に追い続ける。

ロバート・キャパ賞受賞の経歴を持つイスラエル出身の報道カメラマン、シャウル・シュワルツが監督、撮影した作品だけに、「事実」が訴える力は圧倒的である。遺体収容室で行われる検死や、銃撃戦の実況もさることながら、犠牲者の貧しい墓がドンドン増え、その一方で金持ちの超豪華な墓も建てられるシーンも印象的で、貧富の差の凄まじさをまざまざと見せつけた。事件発生直前までスクリーンに写っていた若い警官がまもなく犠牲となり、同僚や家族の悲しみに包まれる・・アメリカの高級リゾート地 エルパソとの国境を金網一つで隔てられた”天国と地獄”の格差である。

映画を見て思い出すのは日本でも終戦後、ヒロポン注射による覚せい剤の中毒患者が激増し、やはり暴力団がその密売を資金源にしていたことだ。1950年代、中毒患者による犯罪や、暴力団同士の抗争もあちこちで起きた。駆け出しの新聞記者としてヒロポン禍をいやというほど書かされたことを思い出す。それと、それと、1967年、ベトナム戦争のさなかにアメリカ・サンジエゴから国境を越えて
メキシコ・ティワナの街を訪ねた時, 治安が悪いので貴重品を持たないようアドバイスを受け、恐る恐る貧民街に足を向けた時のスリリングな気分も、鮮明によみがえった。

試写会(3月5日 日本記者クラブ)翌朝の新聞に出た『メキシコ麻薬組織掃討作戦 大物を相次ぎ逮捕』の記事によると、昨年、43人の学生が麻薬組織に拉致され殺された事件や、麻薬カルテル「セタス」にはメキシコ特殊部隊の出身者が多く、2010年には麻薬の運び屋になることを拒否した中米移民72人を殺害したなど、中東のイスラム国(IS)顔負けの残虐行為も報道されていた。メキシコ特産酒のテキーラを飲んで、マリアッチの底抜けに明るい音楽が聴ける日はいつ来るのか。祈りたい気持ちである。
磯貝 喜兵衛(元毎日映画社社長)           

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