新聞の転回点だった2014年 ―朝日と読売― Ⅰ

  2014年は既に、日本の新聞にとっての大きな転回点になったと考えている。象徴的なのが11月13日の朝日新聞朝刊だ。一面トップは、『来月総選挙へ 消費増税先送り検討』。二番手には、『本社「吉田調書」報道 報道と人権委見解 「公正で正確な姿勢に欠けた」』の記事が四段見出しで掲載されている。「吉田調書」報道とは、東京電力福島第一原発の元所長・吉田昌郎氏(故人)に対する政府事故調査・検証委員会の聴取結果書である「吉田調書」に関する朝日新聞の報道のことだ。5月20日朝刊のスクープ記事を朝日新聞は9月11日に取り消している。
  それがなぜ象徴的な紙面なのだろう。実は、「12月に総選挙がある」との報道は読売新聞が先行していた。11月に入るとともに観測記事が出始めてその量を増やし、次第に他社も追うようになる。結論から言えば、今回の総選挙報道は、政権との「阿吽の呼吸」で書かれている気がする。そしてこの「呼吸のリズム」は、第二次安倍政権の発足以来、読売新聞が持っているものだと言える。そこには、「日本のためには、政治の安定が不可欠である。それなくして経済の再生もない」とする、社の価値判断があると思える。
  「提言報道」を掲げている読売だから、「政策提言」をすることは通常のことかもしれない。しかし、「解散、総選挙」という大きな政治ニュースの領域にまで踏み込むとしたら、やはり問題であろう。13日の朝日の総選挙の記事のリードは、「安倍晋三首相は年内の衆院解散・総選挙に踏み切る方針を固め・・・」と書き出されている。「方針を固め」という言葉は新聞記事では通常、「発表の前に、当社は動きをつかみました」というスクープ性を持つ局面で使われる。それが読売による「第一報」からかなり経ってから使われている。政権とメディアとの距離感に比例していないか。
  朝日の「吉田調書」問題に入る前、少しだけ「おさらい」をしたい。戦後日本の新聞は「公正中立」と「客観報道」を建前にしてきた。「大本営発表」をそのまま流してきたことへの反省がある。半面そのことで、「新聞の中身が一緒」。「社説は当たり障りのないことしか書かない」などと批判もされては来たが・・・。
  その建前が崩れて来たのは、冷戦の終結後である。主として憲法、安全保障で社論が分かれてきた。94年の読売の「憲法改正試案」が大きな動きとして記録される。 21世紀に入ると、日本経済の低迷もあって、対立軸は、経済、雇用政策にも及んできた。東日本大震災と福島原発の事故以降は、原発とエネルギー政策も大きな対立軸だ。社論だけでなく、一般ニュースを取り上げる視点や書き方、あるいは取り上げないという選択にも、社論が反映されている。沖縄の基地問題や、国会前での反原発デモや集会の扱いに顕著だ。
  日本が直面する問題について新聞の紙面が違うのは、本来は悪いことではない。しかしそれは、事実の積み重ねの上に立っていなければならない。13日の紙面で、朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」は、「所長命令に違反、原発撤退」の見出しの一面記事について、「命令に違反したと評価できる事実はなく、裏付け取材もなされていない」と指摘。二面の「葬られた命令違反」についても「ストーリー仕立ての記述は、取材記者の推測にすぎず」とした。
  朝日の担当記者が、「突っ走った」背景には、「原発なら叩いて当然」との価値判断があったと思われる。記者が原発反対の意見を持つのは自由である。それと、「こうだったら、記事のインパクトがより強くなる」との思い込みで記事を書くのとは別問題である。原発事故の真相を伝える非公開の調書を入手した記者は、敏腕記者であろう。いささか下世話な話だが、「入手した」ことだけで、社内外での評価はAクラスとなる。それでも不正確な記事を書いたのは、「原発の危険性をこの機会に、より訴えなければならない」との「使命感」があったためだと推測される。記者の潜在意識にまで達している価値観。それが、「特定の物の見方を客観報道に優先させる」という、ジャーナリストが越えてはならない一線を越えさせてしまったと言える。
  それでは、「日本のためには、政治の安定が不可欠」との立場からの、読売の政権寄りの紙面に問題はないのだろうか。ここでも、ベクトルは異なるが、「価値判断が客観報道に優先する」という構造がうかがえる。以下次号。
高瀬仁平(ジャーナリスト)

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