世界公共放送研究者会議から~メディアの公共性あるいは公共性メディア~

英語にはPublic Service Media(PSM)なる言葉がある。10年ほど前からヨーロッパでは、PSMがメディアやコミュニケーション研究者や事業者のあいだで定着し始めた。それに対してPSMは日本では馴染みが薄い。PSMを公共サービス・メディアと訳してもしっくりこない。そもそもメディアには公共性が備わっているという立場をとると、メディアに公共サービスをつける必要性はないとなる。メディアに重きをおくのか、公共サービスに着目するのか、公共を重視するのかで、PSMの捉え方は変わってくる。それほどPSMには一定の定義がなく、捉えどころのない概念であるということもできる。
さてこのPSMをめぐる国際会議が、去る2014年8月27日から29日に東京で開催された。「PSMと越境化する社会」(Public Service Media Across Boundaries)と題する世界公共放送研究者会議(RIPE)は、NHKと慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所の主催であった。3日間の会議のうち会議初日はNHK千代田放送会館、2日目と3日目は慶應義塾大学三田キャンパスが会場であった。世界30ヶ国以上から100名を超える公共放送、メディア、ジャーナリズムに関する研究者および事業者が集結した。研究部門では、政策とガバナンス、オーディエンス、越境性、ジャーナリズム、放送と通信の融合、途上国のPSM、番組制作と内容という7つの部会が設けられた。
RIPEは会議体の略称で、正式な名称はRe-Visionary Interpretations of the Public Enterpriseなので、直訳的には公共事業を見つめなおす会議体とでもなろうか。そこにはメディアという文字が見当たらない。RIPEの成り立ちは世紀転換期にあった。1990年代末、ヨーロッパ各地に散らばるコミュニケーションやメディア研究者は公共放送の社会的機能の変化を危惧していた。そこで、研究者と公共放送事業者がネットワークを活かし、互いの連携と再検討を模索する会議体を立ちあげた。2002年のフィンランドでの会議を皮切りに、隔年でデンマーク、オランダ、ドイツ、イギリス、オーストラリアと会議を重ねてきた。当初は公共放送、すなわちPublic Service Broadcasting(PSB)に関する会議であったが、通信・情報革新を受けて2008年のオランダ会議からは、PSBからPSMへと呼称を変更した。いまやRIPEはPSM研究の最先端を走るまでになった。
RIPEが公共放送事業者との協働であっても、上記の研究部会テーマからも分かるようにPSM研究者の議論は放送に限定されていない。かれらは、従来型の活字メディアや21世紀型のソーシャル・メディアをも含めて研究を展開している。PSMに焦点を当てることで、放送を含めたメディアの公共性が改めて問われている。たとえば、放送主体者の公共性を問うのではなく、教育や災害報道などの放送内容の公共性に焦点を当てる試みや、ナショナルなレベルでの公共性よりも市町村などという自治体やコミュニティのレベルでの公共性に着目する動きがある。公共とは、公共の価値とはなにかというメディアやジャーナリズムをめぐる根源的な問いを、PSMは改めて想起させる装置となっているのである。
 ところで、アジアに目を向けると欧米的な公共放送は数少ない。国営放送ならば多くのアジア諸国にあるが、税金に依拠しない公共放送事業者となると限定される。緩やかな定義をとってみても、日本、韓国、台湾、タイがいわゆる公共放送事業者を有している国である。だからといって、アジア諸国にPSMが存在しないというわけではない。たとえばインドネシアには、独立ラジオ報道局(KBR)がある。KBRは反権威主義体制のジャーナリストによって1998年に設立された、法律的には民間FMラジオ局であるが、インドネシア各地のラジオ局と提携して公共性の高い報道を電波で流し続けている。また、PSM的放送局としては、公的、民間、コミュニティの三形態が競合するタイのような国もある。
 今回のRIPEの目玉は、従来ヨーロッパを中心に展開されてきたPSMを非欧米地域の現状で捉え直すという隠れた意図であった。主題を「越境」としたのは、世界各地にあるPSMを議論するために従来のPSM理解に存在していた境界を乗り越える必要があるという問題意識であった。公共サービスはナショナルな限定性を有しているが、デジタル時代がグローバル化を推進しているとするならば、PSMは必然的に越境的にならざるを得ない。識字率が低い国や地域では映像や声という放送や情報が報道で主要な役割を果たす。記憶に新しいところでは、2011年の「アラブの春」がデジタル時代のもたらしたメディアの越境的な実態を象徴している。また、ジャーナリズムの役割と中身も変容しつつある。今回のRIPEでは初めてジャーナリズムに特化した研究部会を設けたが、それは市民ジャーナリズムという新しいジャーナリズムの登場をPSMの文脈のなかで考える試みでもあった。
 RIPE@2014で改めて確認されたことは今後の指針になろう。すなわち、①メディアは公共であるという事実であり、それが越境化時代の実体である、②主体は市民でありメディアではない、③価値の多様性がPSMの原点にある、④PSMの中核的な役割は、多様な意見を有する「市民」間の対話を保障する、⑤対話こそがメディアの普遍性を生みだす原動力である。
山本信人(慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所長)

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