もう師走、早いもので今年も終わりですね。日本はもちろん、米国、韓国、中東、欧州、どこもかしこも政治が大きく揺れ始めています。大谷翔平選手の話題以外、明るいニュースのなかったような一年でしたが、さて、皆さんお変わりありませんか。僕は12月7日(土)、国立競技場で開催されたユニファイドランの10㌔レースを走ってきました。ちょうど1年ぶりのマラソン・レポートです。
最初にご報告です。80歳になりました。だからと言って特別なこともないのですが、やはり長く生きてきたな、と思います。ランニング歴も、還暦・定年を記念して走ったホノルルマラソンから、もう20年になりました。その間、東京マラソンはじめニューヨーク、ボストンなど各地のフルマラソンを走ってきました。8年前の左大腿骨骨折以来、もうフルは走れませんが、それでもほぼ日課のように近くの善福寺川緑地でジョギングしています。
「もう80になっちゃった」。長い間、僕の体のメンテナンスをしてくれているトレーナーのKさんに言ったら「これからですね」。彼女が一言、笑顔で励ましてくれました。そうだ、これからだ!
レース当日は素晴らしい天気に恵まれました。国立競技場に近いJR千駄ヶ谷駅を降りると、真黄色に染まった銀杏並木が出迎えてくれました。空はどこまでも冬の青、です。大きな競技場が見えてくると、気持ちがワクワクしてきます。もちろん、走り切れるか不安もあります。昨年春、狭心症が見つかったからでしょう、自宅を出る際に家人に「あまり頑張りすぎないで」と言われたことも、ふと頭を過ります。でも1年ぶりのレースに気持ちが高まり始めました。
ユニファイドランは昨年も走りました。国立競技場のトラックと観客席下の「リングロード」と呼ばれる、通常は駐車場に出入りするクルマが通行する回廊を組み合わせたコースを7周、合わせて10㌔走るレースです。この大会は視聴覚障害のランナーを積極的に受け入れているのが特徴です。面倒な受付もありませんし、レースの制限時間もないに等しい。競技場の中だけを走るのでやや面白みに欠けますが、僕のような老人にも優しいとても有難い大会です。
さあ、いよいよレースです。トラックのスタート地点に500人くらいのランナーが集まりました。いや、もっと多いのかもしれません。ロープの小さな輪で伴走者と繋ぎ合った視覚障害のランナーもたくさんいます。グラウンドの真ん中の手入れの行き届いた芝生の緑が、光を浴びて目に沁みます。楕円形のスタンドの屋根の向こうの青空には、雲一つありません。太陽の光に照らされて銀色に輝く飛行機が一機、その空を横切っていきました。
ピストルの音が高くなりました。スタートです。ランナーたちから一斉に拍手が湧き上がります。僕はこの瞬間が大好きです。この瞬間を味わうためにレースに出ているのかもしれません。皆一斉に走り出します。僕もゆっくり、ゆっくり走り始めました。目標は今回も「歩かないで完走」です。タイムはもう、結果でしかありません。さあ、行くぞ!
まずは400メートルのトラックを1周してリングロードの入り口に向かいます。スタートのピストル音と同時に飛び出していった先頭集団は、もうずっと先です。見る見るうちに僕らのような鈍足ランナーとの間に200㍍以上の長い列ができました。僕の後ろにはもう50人くらいのランナーしかいません。
リングロードに入って500㍍くらい走ったときでしょうか、後ろから大きな声が聞こえてきました。2周目に入った先頭集団がもう追い付いてきたのです。去年は何の声だろうとビックリしましたが、経験済みの今年はすぐ分かりました。「左側開けてください!」。先導役のスタッフランナーに続いて、何人もが駆け抜けていきます。僕からすれば、ビックリするようなスピードです。中には伴走者に伴われたブラインドランナーもいます。速い!
今日、僕は所属するジョギングクラブ、IJCのユニフォームを着ました。ピンクと白の縦縞。レースに出るときの「正装」です。一番下には友人の勧めで買ったメリノウール混紡の登山用シャツを着ました。この歳になると寒さ対策も大切です。帽子は今年もボストンマラソンで被ったユニコーンのマークの付いた赤いキャップ。シューズはおろし立ての真紅のアシックスです。暖かいのでネックウオーマーは外しました。
リングロードからまたトラックに出ると、明るい太陽の光がまぶしい。ランナーが次々に僕を追い抜いていきます。「頑張ってくださ~い!」。マイクを通して、大会スタッフの声が飛んできます。メインスタンド前に置かれたゴールゲイトの電光時計表示板は、スタートから14分くらい経ったことを示しています。いいペースです。よし、この調子だ!
2周目に入ったところで女性のブラインドランナーと並びました。やはり女性の伴走者とおしゃべりしながら走っています。レースでは自分のペースに合ったランナーに引っ張ってもらうと、とても走りやすい。僕は彼女をペースメーカーにして、後ろについていくことにしました。「後30ヤードくらいでリングロードに入ります」と伴走者。「ヤードじゃ分かりません」とランナー。「ごめんなさい。ゴルフの癖が出ちゃってヤードで言っちゃった」。そんな会話が楽しく聞こえてきます。
リングロードに入ると、クルマの出入口以外は外が見えません。壁ばかりです。面白くない。ところどころに陸上の強豪大学から動員された学生がスタッフとして立っているのですが、彼らに応援してくれる雰囲気はあまりありません。でも一人だけいました。女子学生が少しだけ笑顔で、軽く手を振ってくれました。応援があると本当に嬉しい。僕も「有難う!」。走りながら親指を立てました。
今日のレースでは、僕は実は「効率的に走る」ことを心がけています。前にも書きましたが、僕は東大駒場キャンパスにあるQOM(クオリティ・オブ・モーション)ジムに通っています。そのジムの責任者であるNさんに、つい最近教えてもらったのが「効率的ラン」です。スピードも距離もどんどん落ちて行く老人ランナーはどう走ればいいのだろう。そういう僕の問いに対する答えでした。
ただ、これがなかなか難しい。まず、上げている脚は下に真っ直ぐ下ろす。決して前に出してはいけない。下ろした脚側の背中を後ろに引く。すると逆側の脚が自然と前に出てくる。ややこしいですが、そういうランです。前に走るのに、脚を前に出してはいけない。背中も後ろに引く。頭が混乱します。でもQOMに置かれたマシンは、本来そういう動きをマスターするためのものでした。Nさんに言われたことが、走っているうちに何となく分かってきました。結構リズム良く走れているのは、「効率的ラン」のお陰かもしれません。
3周目が終わろうとしたときでした。「ただいまトップランナーのXさんがゴールしました」。
マイクを通して大きな声が聞こえました。僕はまだ半分も走っていないのに、もうゴールです。彼はフルマラソンでも3時間を切るアスリートなのでしょう。次元が違います。
つい最近、『80歳、まだ走れる』というタイトルの本が出版されました。出版社は哲学や現代思想などを得意とする青土社です。硬派の出版社がランニング本を出すとは面白い。まるで僕の80歳記念に出版してくれたような気がして、早速、アマゾンでポチっとしました。
著者は英国のスポーツジャーナリストです。世界の80歳以上の超人的ランナーを訪ね、生い立ちやトレーニング法、あるいは気力の持ち方などを聞いてまとめたドキュメントでした。なぜ超人になれたのか。読んでみると、彼らに共通しているのは「走るのを止めない」ことでした。例えケガをしても、不幸があっても、精神的に落ち込んでも、止めない。ランニングが前を向かせてくれるから、と異口同音に言っています。「走ること」は人間に生きる力を与えてくれるのでしょう。鈍足ランナーの僕にも、それは良く分かります。
この秋、僕は友人に誘われて西穂高岳に行ってきました。と言っても、ロープウエーを使って2367㍍の西穂山荘まで登り、後は上高地まで小雨の降る中、下山してきただけです。でも数年前に登山はもう諦めていた僕にとっては、とても嬉しい山行でした。これも日頃のジョギングを続けてきたからこそ、の結果です。
「ランの結果」は、まだあります。数年前から始めたデッサンでは、去年に続き酷暑だったこの夏も東京芸大の市民講座に参加し、6時間もの人体の木炭デッサンに挑戦してきました。さらには11月に僕の所属する男声合唱「ハイ&ロー」の2年に1度の定期演奏会がありました。歌ったのは廣瀬量平作曲の組曲「海鳥の詩」はじめ20曲。中・高の級友、俳句会の同人、それにIJCのラン友ら15人以上が駆けつけてくれ、とても楽しい思いができました。
歳を取るとは人生の坂道をゆっくりと下っていくことでしょう。でも下りながらも、こうした楽しい思いができるのは、走ることで前を向いていられるからこそ、という気がします。
余談ついでに、もう一つ言わせてください。この夏、日本経済新聞の日経俳壇に投句した句が、四席で掲載されました。〈ガザ呼ばぬ平和式典溽暑かな 土肥酔山〉(神野紗希先生選、8.31付)。アウシュビッツ、光州、ガザ。人類のジェノサイドの歴史は止まりません。人間はどこまで残虐になるのか。今年のノーベル文学賞を受賞した光州生まれの韓国の作家、ハン・ガンさんは受賞講演で「世界の暴力性と美しさ」について語った、と記事にありました。
レースに戻ります。4周目のリングロードを走っている時でした。横に並んだ男性ランナーが突然、話しかけてきました。「いま4周目ですよね?」。ちょっと驚きました。周回コースを走っているのですから、速い人と遅いランナーでは回数が違います。「僕は4周目ですけど、あなたはどうかな?」。そう答えると、彼は「ずっと後ろについてきましたから、同じですよ」。えっ、僕を先導役にしていたランナーがいたんだ!そういえば、僕のペースメーカー役だった女性のブラインドランナーとは、いつの間にかはぐれてしまいました。
5周目に入っても僕のペースは一向に落ちてきません。快調なピッチで走れます。6周目でも同じでした。ランナーズ・ハイではありませんが、どこまでも走れるような気がします。疲れは全くありません。しかも日頃の走りより、明らかに速い。よし、行けるぞ!僕は完走を確信しました。
メインスタンド前のゴールゲートの横を走り抜け、最後の7周目に入ろうとした時です。突然、「土肥さ~ん!」。マイクの大きな声が聞こえました。ビックリしました。ゴール近くに立っている女性スタッフが、僕のゼッケン番号から名簿で名前を見つけ、応援してくれていたのです。「さあ、あと1周。頑張ってくださ~い」。「ありがと~。行ってくるぞ!」僕も手を挙げながら大きな声で応えました。
最後のリングロードの周回に入りました。もう多くのランナーが走り終えているので、周りには誰もいません。最初は何百人という走者で込み合っていたのに、今はとても静かです。聞こえるのは僕の足音だけです。黙々と走ります。僕だけに用意されたランニングロードのような気がします。あっ、笑顔をくれたスタッフの女子学生がいました。「最後!」と大きな声で呼びかけると「お疲れさん!」。思い切りハイタッチしました。
さあ、トラックに出ました。ゴールはもう間近です。太陽がまぶしい。「お帰りなさ~い」。さっき僕の名前を呼んでくれた彼女が手を振ってくれています。今度は彼女とグータッチ。そのままゴール、です。タイムは1時間14分4秒。何と去年の記録を1分23秒も短縮しました。やったぞ!
今回もまた長い文章になってしまいました。最後まで読んで頂き、有難うございます。そうそう、最期まで素敵な作品を生み出し、この秋101歳で亡くなった染色家の柚木沙弥郎さんが、作品を制作する際の「ワクワク感」をTVのインタビューで語っていました。とても印象的でした。その気持ちが作品を創造するエネルギー、生きる力を与えてくれたのでしょう。僕もランの「ワクワク感」をいつまでも忘れたくありません。80歳まだ走る、です。いつかまたお会いしたいですね。どうぞお元気で!良き新年をお迎えください!
傘寿なほあそび飽かずや冬夕焼 酔山
土肥 一忠(元時事通信記者)