■ゴジラの背中が懐かしい
もう一年以上も山に登っていない。最後の本格的登山が1昨年9月の北アルプスの剱岳だった。ゴジラの背中のようにゴツゴツしたあの山だ。新田次郎の小説『点の記』の舞台にもなった。
その北アルプスの山々…。いまごろの厳冬期は深い雪とマナス30度を超える大気に覆われている。空気が凍っていても晴れ上がると、日差しが雪に反射してまぶしく照りつける。空の青に雪色の山肌が浮かび上がる。そんな快晴の雪山をアイゼンの爪を効かせ、ピッケルを握って一歩一歩登りたい。
標高1500メートルの真っ平らな上高地でもいい。釜トンネルを抜けて大正池辺りから真っ白な焼岳や西穂高岳、奥穂高岳を見上げながら梓川沿いの凍った山道を横尾までゆっくり歩きたい。雪の結晶を幾重にも纏ったカラ松やブナの樹木がどんなにか、美しいことだろう。
なぜ、山に行かなくなったのか。決して登山を止めたわけではない。産経新聞社を退社しようと、考え始めたのがちょうど1年前。その準備に追われ、登山どころではなくなってしまったのだ。昨年11月から〝自由の身〟にはなったものの、忙しくなるばかりだ。
今年は時間を作って登ってやるぞ。東京・奥多摩や神奈川・丹沢の低山登山で体を鍛え直すことから始めよう。
そんなことを考えていたら三浦雄一郎さんの登頂断念のニュースが飛び込んできた。86歳の三浦さんはアルゼンチン西部の南米大陸最高峰のアコンカグア(6962メートル)登頂とスキー滑走を目指していた。だが1月20日、標高6000メートルのキャンプでドクターストップがかかった。
■冒険家の秘密に迫る名著だ
テレビのニュースが「同行していた医師の判断だった」と伝えた。それを聞いて「大城和恵さんだな」と思った。
山岳医療の専門家だ。独身の51歳。昨年5月、エベレスト(8848m)登頂を成し遂げている。女医で登山家というと、小説『銀嶺の人』(新田次郎著)のモデルになった今井通子さんを彷彿させる。
実は大城さんとは4年ほど前に知り合った。彼女の著書の書評を産経新聞に書いたことがきっかけだった。産経新聞社で私が企画して進行役を務めた「山の日」のシンポジウムにもここ3年間毎年、講演者やパネリストとして快く参加してくれた。
大城さんのその著書が『三浦雄一郎の肉体と心―80歳でエベレストに登る7つの秘密』(講談社+α新書)=写真=だ。ズバリ、冒険家の秘密に迫っている。筆使いが軽妙で読みやすい。一読を勧めたい。
書評は2015年3月1日付の文化面に掲載した。80歳という高齢でエベレスト登頂に成功をした三浦さんの偉業を挙げ、「(大城さんの本を読んで)その謎が、やっと解けたような気がする」と書いた。
その書評をなぞると、大城さんのもとに三浦さんから依頼がきたのが2012年2月だった。80歳でのエベレスト登頂の前年だ。当時の三浦さんは「立派すぎるくらいのメダボおじさん」で、体は「無理をすれば心筋梗塞や脳梗塞のリスクが高まることも十分あり得た」状態だった。
大城さんによれば、三浦さんは剱岳、ヒマラヤのロブチェ東峰などでトレーニング登山を重ねていくうちに「これまでと同じやり方では登れない。80歳らしい山登りをしたい」と考えるようになり、「自分の限界も分かっている。できることも限られている。だから無理はしない」と悟る。
■「年寄り半日仕事」で登る
その悟りで生まれたのが、「年寄り半日仕事」という登り方だった。エベレスト登頂後に東京・内幸町の日本記者クラブで行った記者会見(2013年6月6日)で、三浦さん自身が「ゆとりある日程のおかげで、昼寝をしたり、本を読んだりできた。年寄りの半日仕事が良かった」と話していたが、一日の登山の行動を半分に減らし、朝出発して昼には目的地に着き、午後はゆっくりと体を休めるという方法である。
無名山塾創設者の登山家、岩崎元郎さんが提唱した「ゆっくり歩き」と同じ発想だ。
登山地図やガイドブックにある標準時間のコースタイムの1・5倍の時間をかけてゆっくりと登って下りる。これだと、体力が衰えてきた中高年でも無理なく登山ができる。この登り方が中高年登山に火を付けた。
私の経験からみても、1000メートル級の低山でも走るように登ると、途中で息が切れ動けなくなる。だが1時間ごとに10分ずつ休みを取りながら登っていくと、北アルプスの急峻な3000メートル級の高山でも難なく登れてしまう。
そうだ。今年は低山で足を山に慣らした後、半日仕事のゆっくり歩きで高山を目指したい。
今回、三浦さんは現地での新聞記者の取材に「私自身は頂上まで登れる自信はあったが、大城先生の判断だから従った」という趣旨の発言をしていた。数多くの山でともに過ごした主治医の大城さんを信頼しているからできる発言だ。
冒険家の三浦さんは勇気を出して引き返した。主治医の大城さんは登頂断念という重い決断を言い渡すことに三浦さん以上の勇気が必要だったと思う。そんな彼女を讃えたい。
木村良一(ジャーナリスト)