医療事故調査制度が10月1日からスタートした。死亡事故の原因を調べ上げ、再発防止を目指すのが目的だ。10年以上前からの念願の制度が始まったことは評価できるが、はっきり言って課題の多いシステムである。今後、大小の問題やトラブルが発生するだろう。制度の見直しと改善が求められる。
制度は昨年6月に成立した改正医療法によって創設が決まった。計18万の日本全国の病院や診療所に対し、予期できない医療事故で患者が死亡した場合、①第三者機関(日本医療安全調査機構)への報告②院内調査の実施③遺族に対する調査結果の説明-の3点を義務付けた。遺族が院内調査の結果に納得できないときは、第三者機関に調査を求めることができる。
こう書いていくと、理想のシステムのように思えるが、それはとんでもない間違いである。
なぜなら初めに行われる調査が院外の第三者機関によるものではなく、身内による身内の「院内調査」であるからだ。調査のメンバーに外部の専門家を加えたとしても病院のような閉鎖的環境では少数の意見は通りにくいだろう。「公平性や客観性に欠ける」との批判は避けられない。
しかも調査対象にするかどうかが、医療機関に委ねられている。病院側が「予期していた死亡」と判断すれば、第三者機関に報告する義務もなく、院内調査も始める必要がない。医療現場には「手術の前、カルテに死亡のケースをいろいろと細かく書いておけば報告しなくてすむ」といった声もある。病院が患者に事前に説明したことを理由に「予期していた」とすることもできる。何らかの理由を付け、医療事故自体が隠蔽されてしてしまえば、そのままになってしまうわけだ。
これでは肝臓の腹腔鏡手術を受けた患者が何人も亡くなった群馬大病院のような医療事故が、どこかの病院でまた起きる危険性はなくならない。
医療事故調査制度では、院内調査の結果について遺族が説明を受けるとき、病院が報告書を手渡すことも努力義務にとどまっている。報告書が刑事捜査や民事訴訟に使われるのを医療側が警戒したからだ。最初の段階で遺族が直接、第三者機関に事故を届けて調査を依頼することもできない。一部の医療関係者が「過度な責任追及につながる恐れがある」と反発したからだ。病院や医師個人の責任を追及するのではなく、原因を究明して再発防止につなげるという制度の基本を忘れている。
どうしてこうした問題を抱えたままスタートしてしまったのか。これを検証するには、制度の成立までの経緯を振り返る必要がある。
横浜市大病院で手術患者を取り違える事故が起きた1999(平成11年)以降、大きな医療事故が多発し、医療不信が深刻化した。2005年から厚生労働省による第三者機関を使ったモデル事業の調査が始まり、2008(平成20)年6月には厚労省が大綱案をまとめ上げた。その大綱案では最初の調査から外部の第三者委員会が調査を行うことになっていた。ところが第三者機関に調べられることに医療側が猛反発し、厚労省は大綱案を引っ込めざるを得なくなった。
同じ年の2008年8月には妊婦を失血死させたとして逮捕された福島県立大野病院の産科医に対する無罪判決も出て「刑事訴追や民事訴訟から医師を守るべきだ」との声も広がった。その結果、医療事故調査制度の性格が医療者寄りに変わり、病院の院内調査が優先されるようになった。年間1千~2千件と推定される全国で起こる死亡事故を1カ所の第三者機関だけで調べるには「限界がある」とも指摘された。
ところで16年前に都立広尾病院で消毒薬を点滴されて妻を亡くした永井裕之さん(「患者の視点で医療安全を考える連絡協議会」代表)が、今年2月5日付の朝日新聞のコラム「私の視点」にこんなことを書いている。
「公正で信頼される事故調の実現と推進のため、以下を提案する。制度の目的に従い、多くの事故を報告する。遺族や病院職員が事故の報告や調査に関して相談できる窓口を設置する。医療事故被害者で医療安全に取り組む人たちを調査に加える。都道府県より広いブロック単位で調査を支援する体制づくり。調査に対する公的財政支援の充実、などだ」。永井さんのこの提案を参考にして患者中心の制度へと見直したい。
永井さんのコラムは「医療機関には戸惑いもあるだろう。…『医療の質の向上・医療安全の向上』を実現する意欲をもって事故調査に挑んでほしい。その挑戦を『小さく産んで、大きく育てよう』と私は呼びかけている」と結んでいる。まさにその通りだ。制度が大きく育つかどうかは、まずは医療者にかかっている。
木村良一 (ジャーナリスト)