“伝説の商社マン”J.W.チャイ元伊藤忠商事副会長の思い出(2) デイナー、そしてチャリティー

 私がニューヨークでチャイさんの部下として仕事したのは1994年末から2001年の中頃まででした。その間、伊藤忠アメリカはチャイさんの経営の下、「ニッチ&ロウテク」の会社への投資も成功し、日本の現地法人としてはトップクラスの利益を出していたと記憶します。同社では一部駐在員を除いて主要な幹部ポストはアメリカ人が占めており、日本の給与規定に縛られない現地幹部はチャイさんを超える報酬で厚遇されていました。
 さて、当時の私の担当は、チャイさんがリードして、伊藤忠商事が提携したメディア企業、タイム・ワーナー社との業務管理でした。その頃、タイム・ワーナー社は、CNNを傘下に置くターナーグループなどを買収して益々巨大メディア化していました。
 私が駐在員となった1994年当時、タイム・ワーナー会長はジェラルド・レビン氏、副会長はテッド・ターナ氏、そして社長はデイック・パーソンズ氏でした。
 チャイさんは、こうしたお歴々との定期的なデイナーを提案、年に2、3回ニューヨークの超高級レストランで両社が交互にデイナーを主催しました。パーソン社長はかってロックフェラー顧問も務めた有名人で、レストラン前で彼が車から降りてくると市民の間から歓声が上がったものでした。私が食後に一杯20ドルのポーワインを注文したところ、パーソンズ社長は笑いながら一杯100ドルのものに替えてくれた事を思い出します。
 実は、チャイさんが最も関係を重視したのは、タイム・ワーナー社の顧問エド・アブーデイさんでした。アブーデイさんは、黒幕として、チャイさんとの間で両社の提携、そして解消までの交渉を仕切りました。提携解消(タイム・ワーナー株の売却)によってチャイさんは伊藤忠商事に10億ドルの収益をもたらしました。.
ニューヨークはチャリティイベントやチャリティパーティ(gala)の盛んな町で、エミー賞の授賞式なども含め年間何十件も寄付の依頼が持ち込まれます。チャリティテーブルは当時1万ドルが相場でテーブルには8-10人が座れます。私はある時からチャイさんに「君に寄付の依頼状は全部回す。どれに参加し誰を招待するかは君に全て任せる。但し、黒い髪の人間だけ<日本人だけ>のテーブルは様にならないから避けてくれ」と言われました。暮れになるとこのようなイベントが多くなり、私がいつも夕方からタキシード姿でオフィス内をウロウロするので「ペンギン男(タキシードをpenguin suitと呼ぶ)」と異名をとるようになりました。招待者の人選は殊の外大変でテーブルに華を添える為に、タイム・ワーナー社に依頼してモデルさんや女優さんの卵を呼んで貰ったり、超有名人だったマーサ・スチュアートに直接交渉に行ったこともありました(交渉は成功し我がテーブルにマーサが来てくれて面目躍如でした)因みに前出のCNNテレビの創始者テッド・ターナーが「長者番付から外れるために」1000憶円を国連に寄付すると宣言したチャリティにもタキシードで出席していました。
チャイさんは、黒髪ではない煌びやかな招待客が揃うとテーブルに来てくれました。ある時、NBA(バスケットボール協会)の幹部、ハイデイ・ユベロス氏を招いた事があります。彼女の父親はロス五輪の大会委員長を務めた大物ピーター・ユベロス氏。伊藤忠商事は、当時、NBAの日本代理店でしたが、その解約を求めて彼女が手紙を書いてきていました。チャイさんからは「俺がNBAトップを紹介するから、あとは君がNBA繋ぎ止め交渉を纏めてくれ」と言われ、パワーランチを設定してくれた相手が、当時のNBAコミッショナー・デビッド・スターン氏とその右腕だったハイデイ・ユベロス氏だったのです。チャイさんの引き合わせをきっかけに、粘り強く交渉した結果、なんとか解約は阻止できました。彼女とは、時々食事をしたり、テニスに誘われるまでの仲良しになりました。
 思い起こせば、チャイさんは服装やマナーには非常に厳しい方でした。駐在して間もないある時、客先との夕食に同席するよう言われました。食事直前になってチャイさんの部屋に行ったら私の服装を見て「お前その格好で来るのか?」と言われた事があります。恐る恐る理由を尋ねると「ニューヨークで夕食する時はダークスーツがマナーだ。そんな明るい色のスーツじゃみっともない。そんなの常識だぞ。」と諭され「新参者だから今日は大目にみてやろうか。。。」と破顔されました。これ以外にも「靴が汚いから靴磨きに行ってこい」と10ドル札を渡されたことも、ローマ法王も来た事がある「ジャンベリ」というイタリアンレストランで「君はスパゲッティを食べた事がないのか!ガツガツ食べずにもっと相手のスピードに合わせて食べなさい」と怒られ、「ポケットチーフを使え」「ワイングラスの持ち方が違う」「食事のオーダーの仕方がおかしい」「チップが少なすぎる」「女性の椅子を引いてあげないとダメ」等々、一挙手一投足に亘り指導を受けました。正にニューヨークの「オヤジ」と呼ぶ所以がここにあります。
 「君は今晩空いているか?」チャイさんに声を掛けられたら他を断っても時間を空けざるをえません。「今晩はワイフが不在なので二人だけで高いワインを1本だけ飲みに行かないか?1本だけだぞ。」行く先は前出の「ジャンベリ」です。高い赤ワインとおつまみだけの食事。帰りにクロークに2-3ドルのチップを渡したらチャイさんに怒られ20ドル札に交換します。チャイさんは資産家が多く住んでいるコネチカット州Greenwichに、僕は近くのOld Greenwichという町に住んでいたので、帰りはチャイさんのキャデラックに同乗して帰ります。職場を離れたら滅多に説教をしないチャイさんがアドバイスをくれました。「全てに優れた人はいない。自分が何に長けているかを知るのが大事。」「君はrelationship businessが特長だ。(人間関係を構築する力)これをフルに活かして仕事せよ。」頂いた言葉relationship businessを今でも肝に銘じております。
 ある雪の週末、チャイさんから私の自宅に電話がかかってきました。月曜日にNHKでニューヨークと東京を繋いで衛星討論会の番組がありこれにチャイさんが出演します。東京側の出演者はオリックスの宮内氏でした。その参考ビデオをチャイさんに届けたのですが、そのビデオが再生できないというのです。大雪の中、私は車を運転し迷いながら、やっとのことで山の中のチャイさんの豪邸に辿り着きました。奥様で著名な自動車アナリストのマリアンさんが出迎えてくれます。やっとの事でビデオの再生ができるところまで「修理」は出来たのですが、一方で別の部屋のテレビが映らなくなり、その結果、散々文句を言われてしまいました。お礼にワインを持って帰ってよいとなり、大きなワインセラーから高そうな赤ワインを選んだところ見事にチャイさんに断られ、リーズナブルなワインに交換させられてしまいました。((続))
    木戸英晶(前アサツーディ・ケイ-ADK-取締役会議長)

※写真:筆者(左)とチャイさん

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