「メディア・ナショナリズム」を考える 〜慶應義塾大学綱町三田会ミニゼミから〜

 5月20日、2015年度初回の綱町三田会ミニゼミが、慶應義塾大学三田キャンパスで開かれた。今回設定されたテーマは「メディア・ナショナリズム」である。「メディア・ナショナリズム」とは、「マスメディア、およびインターネットなどのニューメディアの普及が、国民国家のナショナリズムを増幅させる一連の現象」として、大石裕・山本信人編著『メディア•ナショナリズムのゆくえ 「日中摩擦」を検証する』(朝日出版社、2006年)で定義された概念だ。学生たちは軍艦島をはじめとする明治の産業革命の世界遺産登録勧告の報道などを足掛かりに、ナショナルで固定的なものの見方が広まっている現状に問題意識を抱き、レポートを作成した。それを元に、メディア・コミュニケーション研究所の学生と担当教授、そして研究所出身のジャーナリストらが議論を交わした。
 マスメディアが国籍を離れることができないという性質は周知の通りである。つまり、マスメディアはオリンピックや世界遺産のような国を挙げてのメディア・イベント、すなわち国家レベルの支配的価値観とは切り離せない関係にある。2015年5月5日、朝刊の一面を飾ったのは世界遺産の四文字だった。ユネスコの諮問機関が登録を勧告したのは8県にわたる23もの遺産。「シリアルノミネーション」という手法で「明治日本の産業革命遺産」として登録が勧告されたということで、折しもゴールデンウィークのまっただ中、日本中に祝賀のムードが溢れかえった。一方、韓国では「軍艦島」と呼ばれる端島炭坑など7施設で過去に強制労働があったとして登録に反対の声が上がった。

 こうした反対運動を国内紙が「極めて異様」と一蹴したことに対し、学生側は世界遺産を国家の誇り、あるいは国益とイコールで結んだ安易な図式に落とし込み、それに沿わない意見は排除していく状況だとして懸念を示した。ジャーナリスト側も日本国内の世界遺産の捉え方が特殊であるということで認識が一致した。原因の一つとして、日本はインターナショナルな面でニュースの受信や発信が遅れているという指摘もあった。世界を広く見渡せば、アウシュビッツ強制収容所のような世界遺産もある。世界遺産という権威を無批判に受け取り過ぎではないかという批判や、「メディアは本来、同調圧力の強い社会に批判的になるべきはずが、今では同調圧力を増幅させる立場にある」といった意見も挙がった。
  学生の中からはナショナリズムこそ同調圧力の最たるものではないかという声も上がったが、ジャーナリスト側から「ナショナリズムの悪い面ばかり見ているのではないか」という指摘もあった。マスメディアは、国民に対して共通の情報を提供するというその性質から、国民国家の統合を助け、国民にナショナリズム意識の基盤を与えてきた。近頃では暴力的な排外主義を正当化するために担ぎ出される場合もあるが、国民のアイデンティティーとして一定の役割が認められる側面もある。問題なのは、ナショナリズムを理由として他国民を排斥したり、国として直視すべき問題から目を背けることであって、ナショナリズム自体は善でも悪でもない。
 日本社会の歴史観を世界の中で相対化し、メディアの役割を考える上で、ナショナリズムは一つの切り口となりうる。是非論から距離を取ることで、国籍を離れられない日本のジャーナリズムのあり方について、インターナショナルなレベルから俯瞰的に見渡し、さらに報道の質を上げていくことも可能になるはずだ。次回のミニゼミは7月1日(水)を予定している。
牧之内芽衣(法学部政治学科3年)

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