水深44mからのメッセージ ~KBS77日闘争から何を学ぶ~

DSCN08772014年5月29日午前5時、韓国放送公社・KBSの2つの労働組合がストライキに突入した。キル・ファンヨン(吉桓永)社長の解任を求めた無期限の全面ストライキであった。キル社長は、大統領府青瓦台の圧力を受け、旅客船セウォル号の事故報道にたびたび介入したとの疑惑の真只中にいた。この日、セウォル号報道をめぐるKBSの内紛は、報道への政治の介入疑惑を追究する、かつてない規模の労組の闘争へと転じた。
その日午前6時、ソウル近郊のアパートで起床してまもなく、筆者の携帯電話が鳴った。KBSワールドラジオ日本語班の社員からだった。2つの組合がストに突入したとの原稿を出稿するので、「校閲委員」である筆者にチェックを依頼する連絡であった。原稿が出稿されるまでの時間を見越して自宅からKBSに向かった。到着したのは6時45分だった。朝の集会が連日開かれているKBS本館の正面玄関前は平穏だった。数人の組合員が集会の準備をしているだけで、ストライキに入った緊迫感はなかった。KBSワールドラジオのホームページからアクセスできるニュース原稿のアーカイブスによれば、校閲を終えた原稿が掲載されたのは、午前7時36分4秒となっている。組合幹部がマイクを使って演説を始めた直後だった。
キル社長の解任を求めたKBSの無期限・全面ストライキは、丸8日間192時間続いた。キル社長の解任の是非を問うKBS理事会は、統一地方選挙の翌日6月5日、7対4の賛成多数で解任案を表決。これを受けて労組側は翌6日午前5時にストをすべて解除した。また、KBS社長の任命権者であるパク・クネ(朴槿恵)大統領が10日、キル社長の解任を承認し、7月25日に理事会の推薦を受けた新しい社長を任命した。キム・シゴン(金時坤)報道局長がキル社長による報道への政治介入を暴露した5月9日から数えて、77日目のことである。
この「77日闘争」によって、KBSはセウォル号事故に対する当初の報道姿勢で損ねた国民の信頼を再び取り戻すことができたのであろうか。また、報道への政治の介入疑惑を解明し、報道の自由を守ることができたのであろうか。闘争の歩みを振り返りながら、この闘争から学ぶべきものについて考察することとする。
まず、KBSにおける報道への政治介入疑惑について、その経緯を簡単に振り返っておこう。
疑惑が浮上したのは、ストライキに突入する20日前の5月9日であった。キム報道局長が大統領府青瓦台の圧力を受けたキル社長が報道内容にたびたび介入したと暴露し、キル社長の辞任を要求したのが発端であった。キム局長は、セウォル号の犠牲者の数について、交通事故の犠牲者と比較しながら「あまり多くない」などと発言し、遺族らから厳しい批判を浴びて辞任を求められていた。キル社長は翌10日、遺族らに謝罪するとともにキム局長を解任したことを報告する。これに対し、KBS報道本部の部長級18人が16日、キル社長の辞任を求めて役職を返上、19日にはニュースアンカーや特派員38人が制作を拒否し始め、KBSの看板ニュースが短縮される事態となった。一方、キル社長は「地位に執着しないが、今は辞任について話すのは不適切」などと主張し、辞任要求を突っぱね続けた。28日、キル社長の解任案を審議するKBS理事会が開かれた。9時間に及ぶ審議の末、解任案を表決することができず、表決を6月5日に先送りした。KBSの2つの労組はこれに抗議し、29日午前5時、そろって無期限の全面ストに突入したのである。
筆者は、KBS本館5階にあるKBSワールドラジオ日本語班の校閲委員として、この一連の動きの一部始終を目の当たりにしてきた。労組側は毎朝7時半から9時の始業開始時間までの間、本館正面玄関前で朝の集会を続けてきた。ストライキ突入の朝、窓を閉め切った5階の日本語班にも、労組幹部による演説や組合員のシュプレヒコールが響いた。いつもよりも心持ち高いボリュームに、社長退陣を求める労組の闘争心と団結の強さが伺えた。その後、社長ら役員室のある6階に通じる5階からの階段や廊下でも集会が開かれるようになった。ストライキの参加者はあわせて4000人近い。最大規模となった闘争で、KBSは内外ともに異様な雰囲気に包まれていく。ひしひしと伝わってくる重苦しさに、セウォル号事故をきっかけにまたぞろ顕在化した報道に対する政治介入疑惑のもつ重大さを感じ取ることができた。

 KBS労組が報道に対する政治介入疑惑に鋭敏に反応した背景には、どんなことがあったのだろうか。
韓国における報道への政治介入の問題を論じる場合、韓国の特異な歴史を見逃すことができないであろう。1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発。独立を果たして間もない韓国は、38度線沿いに走る軍事境界線を挟んで南北に分断され、今なお北朝鮮と対峙する現実がある。また、弾圧と腐敗に満ちた政治の歴史にまとわりつく言論統制も垣間見える。まさに韓国メディアの歴史が政権の圧力と戦い、時に屈してきたという歴史にほかならない。
今回の77日闘争について、KBS労組委員長(筆者注:いずれの労組か不明)のインタビューが元NHKアナウンサー堀潤氏主宰の市民投稿型ニュースサイト「8bitNews」(http:// 8bitNews.org/?p-=2565)に掲載されている。委員長は「KBSでは1990年4月にもこうした、政権に対立して、放送の独立性を求めるストがありました。放送民主化闘争です。2000年にも長期にわたってストもありました。不利益、解雇や転職もありましたが、KBSの構成員たちは使命を守るために恐れもなく闘ってきました」と振り返る。また、「KBSの社長を大統領が任命するという今の構造が根本の問題です。KBSの社長は大統領の顔色を常にうかがっており、実際の人事を決める過程でも影響を与えています。・・・構造を変える必要があります。公共放送の基本的な使命である真実の報道、国民の知る権利の保障が重要です。これらをどうやって守っていくのかというがメディア人の役割だと思っています。人々が信じられる放送メディアをつくるという目標をもってこのストを進めています」と説く。今回の闘争がKBSの放送の自主・独立、報道の自由を守る長年の闘争の延長線上にあることを宣言するものとして注目したい。
このインタビューの中でも指摘しているように、KBSの社長人事は、与党側7人と野党側4人の11人で構成する理事会が候補者1人を選定し、大統領が最終的に任命するものである。その仕組みは、その時々の政権の意向が色濃く反映されやすく、しばしば批判の対象になってきた。今回のストライキはキル社長の解任を求める闘争であったが、李明博前大統領就任直後の2008年には、前の政権が任命した社長の解任に反対するケースもあった。この闘争で、公正な報道姿勢を求めた記者とディレクターおよそ1500人がKBSで新たな労組を結成した。この労組こそ、今回もう一つの労組と共闘してストライキに突入した2つ目の労組であった。2つの労組がそろってストライキに入ったのは初めてである。
KBSの闘争は、国民の知る権利にも深くかかわった点で、各方面からの関心を集めたのはいうまでもない。まず、メディアはどう反応したのであろうか。ストライキ2日目の30日、報道への政治介入の経験をもつ新聞・テレビ各社の労組からは、KBSの闘争を無条件に支持する声が一斉に上がった。「この戦いに勝てなければさらに大きな苦痛を受ける」「KBS構成員の決断を応援し、支持する」「常識的なジャーナリストなら、当然するしかない選択」「KBSのストライキは大韓民国言論全体の闘争」「KBSを権力から取り戻し、国民に返すための歴史的な闘争」など、各社の労組がKBS労組に連帯し、報道に対する政治介入に強く抗議する姿勢を明確に打ち出した。また、各紙の論調では、「KBSは果たして必要なのか」と題し、KBSの組織や放送内容を批判的に論じた東亜日報の社説もあったが、全体的には事実関係を丹念に伝えて関心の高さを示していた。
有識者の間からも支持する動きがあった。全国各地の大学でジャーナリズムを教える教授144人が22日に声明を発表した。「KBSの背後には大統領府青瓦台があり、軍事政権時代に行われていた言論統制と、権力と言論の癒着が再び行われている」と指摘。政府と国会に対し、公共放送の独立性を確保するよう強く求めたことが特筆される。
KBS闘争への連帯・支持する動きが高まるなか、ストライキで求めたキル社長の解任案は6月5日の理事会で審議された。解任案は与党側の理事も賛成に回ったことで、7対4の賛成多数で表決された。キル社長が労組の要求通り解任されることになり、KBSの闘争は収束に向かった。
一方、キル社長が政府からの圧力を受けて報道に介入したかどうかの疑惑は結局解明されていない。解任されたキル社長は、問題の発端となったキム報道局長が暴露した政治介入について頑なに否定し続け、その後も調査が実施されたとの情報はない。闘争は社長解任という目標を達成したものの、報道への政治介入疑惑については、闇に葬られたかたちになった。
 
 KBS77日闘争はどう評価すべきであろうか。韓国に在住する筆者の知人からは、「あのときのKBS社員たちの姿はすごかった」「KBSの闘争は韓国社会の注目を浴びた」などの声が聞かれた。また、「若手ジャーナリストにとって、公正な報道(To be fair in news broadcasts)を考えるきっかけになった」と積極的に受け止める発言もあった。その一方、報道への政治介入疑惑を解明できなかったことについて、メディアに詳しい大学教授は、韓国メディアと言論統制の歴史に照らし、今回の闘争でも「大きな変化は得られなかった」と述懐する。また、李明博政権下でメディア関連法が改正され、公権力による報道の掌握が強まったと受け止める国民が多かったことを指摘し、今回のKBSの闘争は、「ある意味で起こるべくして起きた、特段の驚きをもって迎えられたわけではないと思う」と述べている。この教授は、産経新聞ソウル支局の加藤達也前支局長が地元新聞などの記事を引用してウエブ上にコラムを掲載して、パク大統領の名誉を毀損したとして在宅起訴され、8か月にわたって出国禁止となった事件にも言及し、次のように述べた。「韓国内には、産経が一線を越えたという認識もある一方で、あれはやり過ぎだ。韓国にとってマイナスだったという見方が多いと思う」、「韓国の記者はジャーナリストという意識よりも啓蒙者としての意識が強く、報道の自由というところとはそもそも遠いような気もする」と論じている。KBSの闘争について、「大きな変化は得られなかった」という教授の発言の背景には、韓国社会の底流を知るウオッチャーならではの見立てが見てとれよう。
報道の自由は古今東西、時に公権力に繰り返し脅かされてきた歴史をもつ。日本ではこの4月、自民党の情報通信戦略調査会がテレビ朝日とNHKの経営幹部を呼び、コメンテーターが官邸を批判した「報道ステーション」、やらせ問題が指摘された「クローズアップ現代」の内容について事情聴取を行った。野党や一部のメディアからは言論・報道の自由を脅かすものとして厳しい批判が出たのは周知の通りである。筆者は、政府や政党が個別の番組内容をめぐって報道機関と接触することは、慎重かつ抑制的でなければならないと考えている。公権力を背景にした事情聴取は、状況によっては報道機関を懐柔・圧迫し、自粛を促す手段として悪用されかねないからである。その一方で、今回のテレビ朝日とNHKの番組内容をめぐる事情聴取で問題となった報道の自由論議には、どこか緊張感に欠けていた。KBS労組が77日かけて守ろうとした報道の自由とは、何よりも真実を追究し、国民の知る権利に応えるための手段として、メディア自らが守り抜くべき厳格なものであることを三思する必要があろう。
KBS闘争の最中、欧米向けのニュースに携わる韓国人ジャーナリストに、報道への政治介入疑惑について質問したことがある。政治的に微妙な立場だったのか、質問には答えずに次のように語った。「今言えるのは、なぜ事故が起きてしまったのか。なぜ高校生たちを救うことができなかったのかということだけです。そう苦悩することが新たな変化をもたらし、将来、セウォル号事故がすべての転換点だったと言える日がくるのを待ち望んでいる」。その言葉には、報道の自由という表現がないとはいえ、報道に対する政治介入が今も忍び寄る韓国メディアの現状が伝わってきた。また、同時に自らの報道姿勢を正し、国民の知る権利に応えようとするジャーナリストの志が溢れ出ていると思った。
セウォル号が沈没してから韓国より帰国した前日の9月1日まで139日間。筆者が校閲したセウォル号事故関連の原稿は147本であった。今も水深44mに沈むセウォル号は、その1本ずつに、遺族に寄り添ったか、事故原因の真実に迫ったか、国民の知る権利に応えたかと自問自答するよう問いかけているように思えてならない。

羽太宣博プロフィール:NHK記者として秋田局、社会部、国際部、シドニー支局、衛星放送部キャスター、テレビニュース部などを歴任。その後、NHKコスモメディアヨーロッパ・放送担当副社長としてロンドンの駐在、KBSワールドラジオ校閲委員としてソウルに駐在。現在、NHKワールドのNEWS LINEやABUアジア放送連合のニュース素材交換を担当。

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