ノーベル賞 カリコさんとmRNAワクチンはどこがすごいのか

■RNAを医療に役立たせたい

 苦労の連続だが、彼女の人生にはドラマがある。10月2日にノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった、米ペンシルベニア大学特任教授のカタリン・カリコさん(68)のことだ。

 報道を総合すると、カリコさんは1955年1月17日、ソ連の影響を強く受けるハンガリーの田舎町で生まれ、育った。子供のころから生物に関心を持ち、勉学に励んで高校では生物学の最優秀者として表彰された。1973年にハンガリーの名門大学に入学して国の奨学金を得て未解明のRNA(リボ核酸)の基礎研究に取り組んだ。さらに研究者として働きながら1982年に生化学(生物の構造や反応を研究する生物化学)の博士号を取得した。このころすでにカリコさんはm(メッセンジャー)RNAを見つけていた。

 そんなカリコさんに大きな転機が訪れる。社会主義体制のハンガリーで経済が破綻し、その結果、研究資金が枯渇して自由に研究できる環境ではなくなった。研究の要となる海外の学会に出席することも許されなかった。

 RNAの研究を続け、医学・医療に役立たせたい。だが、このハンガリーで研究を続けられるのだろうか。悩んだ末、カリコさんは研究者として受け入れてもらえるよう欧米のいくつもの大学に手紙を書いた。

■テディベアにポンドを隠して渡米する

 アメリカに招聘してくれる大学が見つかると、渡航費用と当面の生活費は自家用車を売却、闇市で両替して900ポンド(現在のレートで16万5000円)を得た。しかし、当時のヨーロッパは民主主義と社会主義とで東西が2つに分断されていた。社会主義のハンガリーからは現金を自由に持ち出すことはできない。そこで2歳の娘のテディベア(クマのぬいぐるみ)の背中を切ってそこに900ポンドを隠し、娘とエンジニアの夫の家族3人で渡米した。1985年、カリコさん30歳のときだった。

 カリコさんは「900ポンドは全財産だった。それを娘が持っていた。空港では娘から目を離せなかった。本当に怖かった」と振り返る。

 アメリカでも苦労は続いた。いくつかの大学で任期制の有給のポスドク(博士研究員)として働いたが、作成したRNAを医療に使うというカリコさんの独自の発想は認められなかった。当時、RNAは安定性に欠けて壊れやすいうえ、体内では免疫反応から炎症を起こすと指摘されていた。どこの大学も待遇は悪く、不安定な状態が続いた。降格人事も受けた。研究費も得られず、同僚から援助を受けることもあった。まさに不遇の時代だった。だれにも成功のチャンスが与えられる自由の国アメリカとはいえ、外国人ゆえの人種差別もあっただろう。

生化学者と免疫学者が運命的に出会う

 しかし、カリコさんは負けなかった。RNA研究に対する信念を持ち続け、不撓不屈の精神でがんばり抜いた。研究者として生き残るために懸命に働いた。1997年か1998年のある日、ペンシルベニア大学の研究棟のコピー機の前でワクチン作りを目指す免疫学者のドリュー・ワイスマンさんと知り合い、意気投合して共同研究を始める。生化学者と免疫学者の運命的な出会いだった。

 カリコさんとワイスマンさんは何度も動物実験を繰り返し、そのデータを共有して議論を続けた。遺伝子情報を担う塩基のウリジンをシュードウリジンに置き換えると、mRNAを人の体内に投与するときに生じる過剰の免疫反応(炎症)が抑えられ、安定することを突き止め、それを2005年に共著の論文に発表する。後にこれがmRNAを使った新型コロナウイルスワクチン開発の画期的な技術と認められ、2人はノーベル賞に選ばれる。しかし、論文の発表時点では注目されなかった。

 それでも2013年にドイツのバイオベンチャー企業のビオンテックに評価され、カリコさんはビオンテックに引き抜かれて副社長に就任する。やがて新型コロナがパンデミックを引き起こすと、カリコさんとワイスマンさんの共同研究がmRNAワクチンの開発と実用化にみごとに結び付く。

 逆境に負けないカリコさんの精神は、テディベアを持って渡米した娘に受け継がれている。娘はアメリカを代表するボート競技の選手に育ち、2008年の北京オリンピックと2012年のロンドンオリンピックの2大会連続でみごと金メダルを獲得した。

■ワクチンの製造には手間がかかる

 ところで、カリコさんのmRNAワクチンはどこがそんなにすごいのか。従来のワクチンに比べてどう違うのか。

 これまでのやり方でワクチンを作るには、ウイルスを生きた細胞に感染させて増やす必要がある。ここで毎年接種するインフルエンザワクチンの作り方を参考に挙げてみよう。まず有精卵の孵化鶏卵(ふかけいらん)の殻(から)に小さな穴を開け、殻の下の漿尿膜(しょうにょうまく)に注射針を刺してインフルエンザウイルスを注入する。ウイルスは鶏卵の中の細胞に感染し、数日で増殖していく。

 その後、鶏卵は孵卵器から冷蔵庫に移され、時間を置いてから鶏卵内の液体を取り出し、この液体に遠心分離や濾過を繰り返し施し、卵の成分を取り除くとともにウイルスをバラバラにしていく。さらにエーテルを加えて分解する。こうしてでき上った液体が、ウイルスの病原性(毒性)をなくした不活化ワクチンである。

 ここまで書いただけでも手間がかかることが分かるだろう。しかも鶏卵1つからは1回接種分のワクチンしか作れない。100万人に1回ずつ投与するには100万個の鶏卵が必要になる。そのうえウイルスの増殖に使われる鶏卵は、私たちが食べている無精卵とは違う。受精してヒヨコが生まれる有精卵だ。鶏卵農家にあらかじめ予約しておかないと調達ができない。インフルエンザワクチンの量産は早くとも半年はかかる。量産の前には冬にどんなタイプのウイルスが流行するかを見極めておく必要もある。卵アレルギーのある人は接種できない。生産効率はかなり悪い。

■研究者の信念が世界を救う

 ウイルスを増殖する従来の製造方法に対し、mRNAワクチンはウイルスを使わない。増殖の必要がないから手間がかからない。未知のウイルスのワクチンを作ろうとすると、10年はかかるし、作れないことも多い。それがmRNAワクチンは、新型コロナウイルスが未知の病原体にもかかわらず、全遺伝子情報の判明後わずか11カ月で完成し、実用化された。感染を防ぐ効果(有効性)も90%とかなり高く、変異株に対するワクチンは4~6週間で作れる。

 そのメカニズムを簡単に説明するとこうなる。mRNAは細部内の遺伝子物質で、タンパク質を組み立てる設計図だ。新型コロナウイルスは表面の突起(タンパク質)で人の細胞内に入り込む。この突起のタンパク質を作るmRNAを人工的に作ってワクチンとして接種すると、おもしろいことに人の細胞内で突起のタンパク質が作られる。人の免疫細胞は突起のタンパク質を記憶し、侵入しようとする新型コロナウイルスを攻撃して感染を防ぐ。人工的に作成したRNAだから量産はコピーで済み、簡単で時間がかからない。

 当然なことだが、mRNAワクチンは新型コロナ以外にも応用できる。事実、アメリカのモデルナとファイザーがすでにインフルエンザワクチンや新型コロナとインフルエンザの混合ワクチンの開発に乗り出し、日本の第一三共も名乗りを上げている。

 RNAを医学・医療に役立たせたいというカリコさんの信念が、世界中の人々を新型コロナのパンデミック(地球規模の感染拡大)から救った。逆境に耐え、信念を持ち続けて基礎研究に邁進し、科学者として真の成果を世界に示した。カリコさんのドラマを思うと、涙が止まらなくなる。

木村良一(ジャーナリスト・作家、元産経新聞論説委員)

何本も沢を横切って登っていくと、頂上はまだ先だが、大きな百尋(ひゃくひろ)の滝にたどり着く。川乗(苔)山(かわのりやま)は奥多摩の山々の中で好きな山の1つである。標高は低いが、急登が続き、足腰が鍛えられる。こうした低山登りが、高山の登頂を可能にする。科学者が基礎研究を続けて大きな成果を手にするのと同じだ=2014年12月27日、東京都西多摩郡奥多摩町(撮影・木村良一)
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