■危機意識の指標
3月13日からマスクの着用が自由になった。これまでは、付けずにコンビニに入ると嫌な顔をされ、早朝のランニングでは見ず知らずの人から「なぜ付けないのか」と睨(にら)まれた。忘れて何度、取りに戻ったことか。会食中も付けたり、外したりと忙しい。室内でも屋外でもマスク、マスク、マスク…。ないと行動ができず、不便な思いをした。
日本中だれもが「みんなが付けているから」「白い目で見られたくない」「感染したくないので」「他人を不快にさせてはならない」とマスク面(づら)になった。しかし、マスクをすると、二酸化炭素の多い自分の息を吸うことになる。身体に良くない。外して新鮮な空気を一杯吸った方が健康的だ。幸せホルモンのオキシトシンの分泌も増える。アウトドアでは1万分の1ミリの極小のウイルスは風に流され、すぐに拡散してしまう。だから着用の必要はない。にもかかわらず、感染者の数が減っても大半の人が付けている。どうしてここまでマスクを重んじるのか。
人間には外敵からわが身を守ろうとする防衛本能が備わっている。目に見えない病原体に対しては、その防衛反応がより強く働く。咳込む人を前にすると、その人のそばから遠ざかろうとする。新型コロナが流行して以来3年以上もの間、感染に脅え、私たちの危機意識が高レベルに押し上げられたままになっている。マスクはこの危機意識の指標なのである。
■個人の判断で着脱
そもそもマスクの効果には疑問だ。確かに会話や咳、くしゃみで飛び散る飛沫(唾液などのしぶき)を防ぐことはできる。しかし、ウイルスは網目を簡単に通過するから完璧ではない。しかも正しく着用しないと、効果は半減してしまう。
この正しく着用が非常に難しい。鼻を出していては付けていないのと同じだし、網目の細かい不織布(ふしょくふ)でも繰り返し使えば、効果はかなり薄れる。マスクの外し方によっては直接ウイルスに触れることになる。
感染者のマスクには多量のウイルスが付着している。感染者がマスクに触れた手でドアノブや電車の吊革をつかむと、そこから他の人の手にウイルスが付着し、その人が鼻や口、目を触ると、粘膜細胞からウイルスが侵入して感染する。接触感染だ。マスクの扱いは難しい。付けないよりは着用した方がましだという程度に考えるべきである。
マスクの着用よりも簡単なのが手洗いだ。帰宅したら家の中のものに触れる前に手の平と甲、指、爪の中を丁寧に洗ってほしい。付着したウイルスは石鹸の泡や水流で洗い流すことができ、感染を抑えられる。
3月13日から着脱が任意になり、厚生労働省はホームページで「屋外では着用は原則不要、屋内では原則着用としていましたが、個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断が基本となりました。本人の意思に反してマスクの着脱を強いることがないよう、ご配慮をお願いします」と指摘している=イラスト。霞が関の官庁がマスクについての注意をここまで示すのは異例である。それだけ「着用を強いる」いわゆる同調圧力が強かったからだろう。
■深刻な病態に注意
ところで、新型コロナは高血糖や腎臓病、心臓疾患などの基礎疾患(持病)のある人や体力、免疫力の落ちた高齢者が感染すると、最悪の場合、症状が悪化して死に至る。たとえば、これまでの臨床研究から「サイレント・ニューモニア」(沈黙の肺炎)と呼ばれる病態や、私たちの免疫システムが破壊される「サイトカイン・ストーム」(免疫の暴走)という病状が分かってきている。
前者は息苦しさや発熱の自覚がないのに胸部のCT(コンピューター断層撮影)検査でいきなり重症化した肺炎が見つかり、結果的に手遅れとなる。早めの検査が欠かせない。後者はウイルスの増殖によって免疫機能を調整するサイトカイン(タンパク質の一種)が異常に働いて身体に害を及ぼし、血栓症や多臓器不全で命を落とす。
新型コロナウイルスがこの地球上から消えてなくなったわけではない。感染力の強いオミクロン株はさらに変異し続けているし、新型コロナ感染は動物の世界でも広がっている。5月のGW明けに新型コロナの感染症法上の扱いが、危険度の高い「2類相当」から季節性のインフルエンザと同じ「5類」に変わっても深刻な病状や病態は存在する。解明できていないコロナ後遺症(味覚・臭覚の障害、集中力低下、けん怠感、筋肉痛、息切れ、不眠、頭痛)の問題もある。
ただし、むやみやたらに怖がる必要はない。効果のあるワクチンや治療薬もある。手洗いや3密(密閉・密集・密接)の回避など正しい予防で、正しく恐れたい。
■様々なひずみ
感染症は社会の病である。防疫措置は社会・経済の活動を滞らせるだけでなく、様々なひずみをもたらす。人の心を歪め、過剰反応やパニックを引き起こす。WHO(世界保健機関)のパンデミック宣言(2020年3月11日)以来、「もとの世界には戻れない覚悟」「社会の引きこもり化」「エゴイズムの深化」「偏見、差別、嫌悪」「心と体の安全」「不寛容社会」「新たな日常」「自粛警察」といった文言が新聞やテレビ、雑誌、ネット上に多く登場した。
新型コロナの流行が始まったころ、日本赤十字社は「ウイルスの次にやってくるもの」というタイトルを付けた動画をネットに流した。不安と恐怖が広がり、人と人とが互いに傷付け合う状況を描き、「そのような恐怖はウイルスよりも恐ろしいかもしれない」と警鐘を鳴らした。
私たちはどうしたらもとの社会に戻れるのか。流行前の生活に帰るにはどうすればいいのだろうか。それには新型コロナをうまくコントロールして共存していく必要がある。マスクは危機意識の指標だ。高レベルに押し上げられた危機意識を引き下げれば、マスクを外せる社会、マスクを付けない生活に戻っていくはずである。
木村良一(ジャーナリスト・作家、元産経新聞論説委員)