海図なきまま荒海に漕ぎ出す“日銀丸”

 昨年(2022年)末の事。「財務省関係者に日銀総裁の後任は見当たらないようだ。副総裁も出すかどうか」と語るのは財務省次官経験者の1人。
 黒田東彦現日銀総裁は、今年(2023年)4月8日に任期を終える。日銀総裁ポストは、長らく財務省次官経験者が就くか、日銀副総裁経験者の昇格が続いてきた。双方がほぼ交代で務めてきたと言ってもよい。
 昨年12月26日、経済人との懇談の席上、岸田首相は「4月の(経済動向の)段階でふさわしい人を任命すると」述べたが、財務省、日銀出身者以外から新総裁を選ぶという意向は窺えなかったという。
 多くの財務省次官経験者にとって日銀総裁への就任は、高級官僚として最高の栄誉の筈だが、今回そこに強い意欲示さないのはなぜか?まして副総裁ポストも引き受けないという声もあると言う。
 背景には、新日銀総裁の任期、これからの5年に待ち受ける難題を前にさすがの財務省大物次官経験者らもたじろぐ姿がみえる。
 難題とは何か?2012年暮れに発足した第二次安倍政権から3ヶ月後、2013年3月にスタートした黒田日銀。これまでのほぼ10年間に国債(いわば国の借金証文)を買い上げアベノミクスをサポート(事実上の財政ファイナンスを)してきた。アベノミクスが目覚しい効果をあげないまま、日銀が持つ国債は1000兆円(日本のGDPのほぼ2倍)に達した。この”負の資産“の処理をどうするのか?
 昨年12月20日、”日銀サプライズ“が世界中を駆け巡った。これまで頑なに維持してきた長期金利(10年国債の金利)の引き上げに踏み切ったのだ。実は、前日の12月19日東京市場で衝撃的な事があった。日本政府が入札に出した国債(368回10年国債)のほぼ半分を即日日銀が買い上げてしまっていた。
 安倍元首相はかって日銀は政府の子会社(政府の財布)と述べたが、流石の日銀も政府の借金証文(国債)をその日のうちに買い支える事はなかった。だが、この日、市場では欧米系の投機筋が大量の国債を買おうとしていた。日本国債はいずれ値下がりする(金利は上がる)とみているヘッジファンドは既に、日本国債の空売りの動きを強めていた。この日、日銀は先手を打って自ら債券を買い占めてしまったという訳だ。
 そして、翌日の12月20日のサプライズ、金利引き上げとなった。黒田日銀は「これは金利引き上げではない」と懸命に説明したが、これを信じる市場関係者はいない。ヘッジファンドは「日銀を追い込んだ」と勝利宣言をした。そして、サプライズの後もヘッジファンドによる攻勢が日銀に迫り続けている。
 日銀新総裁の主たる任務はこうした負の資産をどうしたら安全に処理してゆくかにかかっている。既に、恐ろしい前例が幾つもある。近くにはこの秋、あっという間に辞任に追い込まれたイギリスのトラス政権。財源の当てもなく国民に大判振る舞いをすると宣言した途端、金融市場の反撃にあった。英国国債と通貨ポンドの激しい売り浴びせの中、退場した。
 “負の資産の処理”は、やはり国際金融のスペシャリストとしての人材が求められると言うことだろう。財務省次官経験者のような”素人“には務まらないという事が当の財務省もよくわかっていると言うことかもしれない。
 しかし、かと言って日本が抱え込む負債の処理に明るい展望はない。“日銀丸”は海図なきまま大嵐の荒海へ漕ぎ出してゆく。

 陸井叡(叡Office代表)

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