“アベクロノミクス”とはアベノミクスとクロダノミクスを合成した造語である。アベノミクスの元祖、安倍晋三元首相は既に亡くなり、クロダノミクスのリーダー、黒田東彦日銀総裁は来年の4月が任期。続投はまずない。
そこで、安倍政権の8年とほぼ重なる10年の任期を終えようとしている黒田日銀総裁。2人の合作“アベクロノミクス”の終焉を考えてみたい。
今年の7月末日のある夕刻、東京のレストランで旧大蔵省(現財務省)の元次官経験者ら数人の会合があった。
ウクライナ情勢など話題は様々だったが、国際金融の専門家として知られる旧大蔵省の元財務官が「あれほど彼には注意したのに、私が心配した通りになってしまった」と発言した時、席は一瞬静まり返った。彼とは現日銀総裁の黒田東彦氏であり、注意した時期が黒田日銀発足の時だったことは、会合に参加していた誰しもが理解した。
黒田日銀は2013年4月4日スタート。アベノミクスを推進する当時の安倍首相の肝入りで総裁に黒田氏が抜擢されるという予想外の異例な人事だった。
安倍氏は日本経済がデフレを脱してインフレ(経済成長)を実現するには、日銀が大量に紙幣を印刷して市中に流通させれば良いと信じていた。
一方、黒田氏は、1976年ノーベル経済学賞を受けたアメリカ・シカゴ大学のフリードマン教授がとなえる貨幣数量説の信奉者だった。貨幣数量説は市中に流す貨幣・お金を増やせばインフレ(経済成長)が始まるという学説だった。安倍元首相がフリードマン学説を理解していたかどうかは不明だが、安倍氏がフリードマン教授、つまり黒田氏に飛びついてしまったというのが黒田日銀総裁誕生の背景だ。
総裁に就任した黒田氏はまるで日本経済を舞台に貨幣数量説を実験するかの様な行動をとり始めた。総裁就任の記者会見で「2年後にはインフレ2%、その実現のため日銀は積極的に国債を購入する(市中に大量の貨幣を流し込む)。具体的には日銀が所有する国債を2年後、今の2倍まで増やすという「2年後、インフレ2%、国債購入も2倍」という宣言をした。
さて、これから時は過ぎてほぼ9年後、再び冒頭の東京の会合に戻りたい。席上、元財務官は黒田氏に対し「フリードマン学説は現実離れしており、貨幣はインフレを決定づける手段の一つでしかない事。日銀が国債を大量に購入すれば、政権は野放図に国債を発行し、日本の財政破綻につながると注意したが、議論は並行線だった」と述べた。
日本のインフレは黒田氏の“実験“にもかかわらずついこの間まで2%をはるかに下回り続け、経済成長もほぼフラットだった。デフレは続いていた。
ところが、想定外の事が起こった。今年2月24日、ウクライナ戦争が始まり世界的に食糧、エネルギー資源などの価格が急騰。一方、アメリカは40年ぶりというインフレの“急襲“を受けて連続的な金利引き上げに踏み切った。
アメリカの金利引き上げは日本に急激な円安をもたらし、世界的な資源価格急騰と合わせて日本にもインフレの波が押し寄せ始めた。但し、このインフレは経済成長を伴うものではなく、いわゆる“悪いインフレ”。黒田日銀が描いたものとは全く異なる。ウクライナ戦争の先行きは不透明で黒田日銀の「今のインフレは一時的」という説明は説得力を欠く。
そしてもう一つ、日本の金融市場で想定外の事が起こっている。円安、つまり日本国債は安くなると読んだ投機的な海外の有力投資家が国債の”売り浴びせ“を繰り返し試み始めた。日銀はこれに対し日本国債の価格維持のため懸命に買い支えを続ける神経戦がこの夏のあいだ続いている。万が一日銀の防衛線が海外勢によって突破されると国債暴落、日本財政の破綻という事態が待ち受ける。
黒田日銀は発足以来”せっせ“と国債を買い続け、その総額は発行残高総額の50%に達しようとしている。「日銀は政府の財布」と言われる所以である。もし、懸念されるように日本国債の市場価値が大きくそこなわれる時、それは日本の没落の始まりかもしれない。
アベクロノミクスは、どうやら日本経済を成長させることに失敗しただけでなく、太平洋戦争の敗戦からこれまで日本経済が営々として積み上げてきた金融資産などを食いつぶすきっかけをつくったかもしれない。
陸井叡(叡Office代表)