『探訪 ローカル番組の作り手たち』に託されたもの

 朝日新聞記者として長く放送界を取材してきたジャーナリスト、隈元信一さんの著書『探訪 ローカル番組の作り手たち』(はる書房)が今月、出版された。「地方の作り手が元気だ!」と精力的に旅を続けた隈元さんは、昨年秋に末期がんであることを公表した。病床で編み上げた一冊は、デジタル化により変容を迫られる放送業界で果敢にチャレンジする制作者たちの姿を通して、メディアで働く後輩たちへの「遺言」さながらの迫力に満ちている。刊行に携わった「呼びかけ人」の一人として、出版の経緯含めて紹介したい。

■突然のメール
 「体調が悪い。がんのようだ」そんな内容のメールを受けたのは昨年8月のことだった。コロナ禍で人の往来が激減するなか、隈元さんと会ったのは昨年4月、テレビマンユニオンの会議室だった。私が出版企画『東京の生活史』(筑摩書房)に参加し演出家の今野勉さんをインタビューするのに、同席してもらった。2000年代初頭、テレビを見ずに育ったにもかかわらず放送担当記者になってしまった私は、他社の先輩である隈元さんに現場で多く助けられた。放送担当でなくなった後も、定期的に有志数人で放送について語る会合を続けていた。この日も、その延長として“付き添い”をお願いした。


 5時間にわたるインタビューの間、隈元さんは部屋の隅で微笑みながら話を聴いていた。北海道育ちの今野さんと鹿児島出身の隈元さんは、重なる記憶があるようで、休憩時間に子ども時代の遊びの話など楽しげに言葉を交わしていた。廊下を歩くと、次々と制作者が話かけてきて、隈元さんの人脈の広さに改めて驚かされた。
 「本ができたら飲もう!」と青山の街に消えていく隈元さんを見送って4ヵ月。「間もなく本ができる」と送ったメールへの返信が、がんの告白だった。秋に入ると病状はさらに深刻であることがわかり、今野さんはじめ数人のメンバーで「何とかできないか」と話し合った。「まだまだ本が書きたい」という隈元さんの希望をかなえられないかと読売新聞OBの鈴木嘉一さんらが方策を探り、経費の一部を負担する「共同出版」という形で刊行を目指すことにした。

今野勉さんへのインタビューを見守る隈元信一さん(手前左)

■旅をして人をつなぐ
 10月、作家で日本ペンクラブ前会長の吉岡忍さんら友人や放送関係者、記者らを呼びかけ人として出版基金を設け、寄付を募った。反響は大きく、年末までに361人の個人・団体から500万円を超す志が寄せられた。一人の記者の出版企画に、これだけ多数の賛同が寄せられることは想像もしていないことだった。
 「隈元信一は、つなぐ人だ。人を、地域を、放送をつないできた。そこから生まれる発見、感動、強さを、誰よりも知っている」。吉岡忍さんが帯に寄せた言葉どおり、全国の地方局、キー局の制作者、出演者、記者、学識関係者、教え子……さまざまな人々が名を連ねる寄付リストを見ながら、私は2012年夏、仙台駅でばったり隈元さんに会った日のことを思い出した。
 震災後、私は人の暮らしとは何か、どうしたら再建できるのかといったことを漠然と考えながら被災地を歩いていた。隈元さんは、災害FMの取材帰りだった。細かいことは忘れたが震災関係の展示を見に、せんだいメディアテークまで歩いた。その間、朝日の若手記者はじめ地元放送局の人など、たくさんの人が隈元さんを見つけ、話しかけてきた。損得勘定抜きの軽やかなフットワーク、フラットなネットワークの大切さを教えられた気がした。

■「記者」の原点
 『探訪』は、日本民間放送連盟の雑誌『民放』の連載「日本列島作り手探訪」(2017年5月号~21年3月号)を基にしている。当初は地方で働く若い作り手を励ますために始めた企画だったが、取材を続けていくうち「時代の方向」が見えてきたという。取材対象は全国の、いわゆるテレビ局やラジオ局にとどまらず、災害FM局やコミュニティFM、地方映画祭、アーカイブ機関など多岐にわたる。
近年、「地域密着」であることが「地域連携」を促し、インターネットとも連動し災害報道などの「地域内連携」が盛んになっている。発表の場も電波を使った「放送」の枠を超え多様化している。例えば、地方局のドキュメンタリーには高い評価を得るものも多い。地方局の番組をキー局がネットワーク化して見せる日テレの「NNNドキュメント」や、ドキュメンタリー番組を映画化して放送エリア外の人に見てもらう東海テレビ、山形ドキュメンタリー映画祭、そしてアーカイブを市民に公開する「放送ライブラリー」など、今の時代だからこその工夫や思い、「つながり」のあり方を読み取ることができる。全編通して、作り手に対する温かな視線に満ちている。
 本のタイトルを「探訪」とした理由について隈元さんは、明治期に新聞社の社会面担当記者を「探訪者」を略して「探訪」と呼ぶ習慣があったことを引き、「なるほど、『記者』の原点は『探訪』だったのである。(中略)『記者』という言葉より、探したり訪ねたりの現場取材に力点を置く『探訪』の方が自分にはしっくりくる」と明かす。長年記者として歩み続けた「旅」の記録と未来へのメッセージを、メディア業界を目指す学生にも、ぜひ読んでほしい。

放送に関わる人や放送記者OBと街歩きを楽しむ隈元信一さん(左)=2018年3月10日、東京・上野桜木で

中島みゆき(全国紙記者、東京大学大学院学際情報学府博士後期課程)

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