「あいちトリエンナーレ」が映し出したもの —「情」の視点から考える

 名古屋市を中心に8月1日から開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」が10月14日、閉幕した。展示の一部である「表現の不自由展・その後」(以下「不自由展」)がテロ予告や脅迫を受け開幕直後に展示中止となった。これに抗議する12組のアーティストが展示の変更や中止を行い、10月8日に全作品の展示が再開されるまで、さまざまな議論が行われた。「メディア」「コミュニケーション」という立場からこの芸術祭に興味を持っていた私は、一連の展開に危機感を覚え、9月と10月の2回、会場に足を運んだ。「不自由展」出展者らが登壇するシンポジウム(8月22日・東京都文京区)やアーティストらが「あいち宣言」草稿を検討する「オーディエンス参加型会議」(10月6日・東京都墨田区)にも参加した。この75日間、日本最大規模の国際芸術祭は日本社会の何を映し出し、何を問いかけたのか。芸術祭のテーマでもある「情報」という視点から振り返りたい。

■「情」の受難

 「あいちトリエンナーレ」は2010年から3年ごとに開催されている国際芸術祭で、4回目の今年は、ジャーナリスト・津田大介さんを芸術監督に国内外90組以上のアーティストによる展示やパフォーマンスが行われた。芸術祭のテーマは回によって異なり、今回は「情の時代 Taming Y/Our Passion」が掲げられた。

 5月19日、慶応大学メディアコミュニケーション研究所「取材論」授業の一環として取材した際、津田さんは英文タイトルで用いた「Passion」という言葉には「強い感情」と「受難」という二つの意味があると切り出し、「メディアが不安を煽り、誤情報を拡散することにより分断や差別といった深刻な問題が起きている。一方で人は情報により、手を差しのべ、連帯することもできる。情によって情を飼いならす(tameする)技(ラテン語のars)を身につけることが必要。日本のものづくり産業をリードしてきた愛知という土地で、アート本来の領域を取り戻したい」と企画意図を説明した。具体的イメージとしてドイツで開かれた芸術祭・ドクメンタを挙げ、参加アーティストのジェンダー平等(男女比の均衡化)に取り組んでいることなどを語った。2000年代に『twitter社会論』などによりソーシャルメディアの旗手と注目された津田さんだが、「2012年を境に状況は激変した」と、現在のメディア環境に対して非常に厳しい見方を示したのが印象に残るインタビューだった。

 □受難□は芸術祭開幕とともに始まった。7月31日、内覧会を取材した朝日新聞が、慰安婦をモデルとした「平和の少女像」(キム・ソギョン/キム・ウンソン)が「あいちトリエンナーレ2019」の「不自由展」に出品されることを報道した。これを受けて文筆家・百田尚樹氏が「なんで芸術祭に慰安婦少女像が? あ、芸術監督が津田大介氏か…。こいつ、ほんまに売国運動に必死やな」(6:32 PM)などとtweetし7000件以上リツイートされた。「表現の不自由展・その後」は、過去にさまざまな理由により文化施設などで展示不許可になった16組の作品を集めたコーナーで、「平和の少女像」のほか、天皇の写真を一部に使ったコラージュ作品を富山県近代美術館に展示を拒否され図録を燃やされたことを表現した映像作品を含む「遠近を抱えて」(大浦信行)が含まれていた。この一部を切り取り「天皇陛下のご真影を燃やした」とするtweetも拡散した。

■電凸と政治家

 芸術祭が開幕した8月1日には松井一郎・大阪市長が「にわかに信じがたい! 河村市長に確かめてみよう」(4:27 PM)とtweetした。芸術祭は大村秀章・愛知県知事を会長とする実行委員会が主催し、県職員らが事務局を務めている。この日は事務局に705件(電話200、メール500、ファクス5)の問合せがあった。電話200件は担当職員の対応能力の限界を超える件数であり、県の他部局にも電話が入った。

 翌2日には河村たかし・名古屋市長が「不自由展」を視察し、「日本人の、国民の心を踏みにじるもの」と、大村知事に「平和の少女像」展示中止を要請した。菅義偉・官房長官も記者会見で「あいちトリエンナーレ」が文化庁補助事業であることに言及し「審査時点で具体的な展示内容の記載はなかった。交付決定では事実関係を確認、精査したうえで適切に対応していきたい」と述べた。2日の問合せは1106件(電話200、メール890、ファクス16)に跳ね上がった。直前に起きた京都アニメーション事件を想起させる「ガソリン携行缶を持って行く」などと記されたファクスも届いた。津田・芸術監督は2日夕記者会見し「行政が展覧会内容に隅から隅まで口を出し、行政が認められない表現は展示できないことが仕組み化されるのであれば、憲法21条で禁止された『検閲』に当たる」と述べた。

 3日に入っても問合せは1075件(電話200、メール840、ファクス35)と続き、同日夕、大村知事が会見し「不自由展」中止を発表した。理由は「テロ予告や脅迫の電話などもあり、エスカレートすると安全な鑑賞が難しくなる」というものだった。続いて会見した津田さんは「リスク対応は識者にも話を聞いてきたが、想定を超える事態が起こった。僕の責任」と謝罪したが、この決定に対して、結果として突然中止を知らされた「不自由展」に参加する個々のアーティストらは「一方的に中止を告げられた」と反発。中止を「行政による検閲」と理解した海外アーティストらも展示変更や中止を表明した。

■「情」の力

 「不自由展」に対して「日本を貶める」「不敬」などと主張する言説には、作品を見ず、不正確に切り取られた情報が、差別やヘイトを帯びたプロパガンダとして拡散しているという特徴が見られる。検証委員会で電話音声も公開されたが、こうした言説が一定のマニュアルに従い、不特定多数の個人から攻撃的かつ執拗な電話となってかかり続ける、いわゆる「電凸」という現象があったことが明らかにされた。私自身も2008年に職場で電凸を受けた経験があるが、電話を受ける側の精神的身体的消耗は大きい。電話をかけている側はある種の正義感に駆られているとみられるものの、暴力的な行為だと捉えている。

 あいちトリエンナーレで特徴的だったのは、こうした電凸による脅迫や攻撃、それを原因とする展示中止に対して、アーティストをはじめ美術、法律、市民活動など多分野の人々が危機感を表し、「不自由展」再開を求める活動を展開したことではないかと思う。

まず、「不自由展」中止決定の前後、ネット上では「少女像」や「遠近を抱えて」の制作意図がネットで拡散されているものとは異なることを説明するtweetや、「表現の自由」に政治が介入することの危険性を訴えるtweetが多くリツイートされた。私自身も電凸や脅迫ファクスへの怒りから、「批判と脅迫は違う。『表現の自由』を『批判する表現の自由』も当然あるけれど、『ガソリン持って行きます』などとFAX送るのは脅迫。『言論の自由』を否定する言論の自由があったとしても、考えの違う人の命を奪ったり危険にさらしたりするのは犯罪」とtweetしたところ(8月3日7:26 PM)、大きな反響があった。

 8月22日に文京区民センターで開かれた集会「『表現の不自由展・その後』中止事件を考える」には200人を超す人が詰めかけた。元慰安婦の写真を出展した写真家の安世鴻さんや昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品を出品した大浦信行さんら「不自由展」出展アーティストが作品の意図や当初公開時に展示不可となった経緯などを説明した。大浦さんは「作品を見れば単なる天皇批判ではないとわかるはず。政治的文脈のみで批判されていることが、作者としてつらい」と述べ、他の登壇者らも「中止を既成事実にしてはいけない」「このままではレイシズムやテロに屈することになる」と展示再開を求めた。

 9月に入ると、芸術祭出展アーティストを中心とするネットワーク「ReFreedom_Aichi」が始動した。活動は、鑑賞者との対話やアーティストが抗議電話を受けるコールセンター開設など多岐にわたった。10月6日、名古屋と東京をインターネット中継で結び開かれた「オーディエンス参加型会議」では、アーティストや弁護士、美術館キュレーターらが中心となり「芸術の自由」の重要性を柱とする「あいち宣言」草稿について検討が行われた。参加者からは「そもそもアートが『心地よいもの』と考えられているのではないか」「日常アートに縁遠い人の理解を得る視点も必要」「助成金交付停止は学術研究や社会活動にも影響を及ぼす。アートだけの問題ではない」といった意見が次々と出た。

■答えは作品の中に

 結果として、あいちトリエンナーレは「情の時代」を体現した壮大なインスタレーションとなった。会期を通じ過去最大の67万546人が訪れた。芸術祭のテーマ「Taming Y/Our Passion」は達成できたのだろうか。「分断」や「電凸」という「Passion(受難)」を「情」は克服できたのだろうか。答えは、作品自体、またアーティストらが積み上げた取組の中に見ることができたと思う。

 さまざまな取り組みを経て「不自由展」は10月8日に再開された。展示中止への抗議から展示が変更・中止されていた作品も公開された。「不自由展」には6日間で延べ1万3298人が抽選に応募し、1133人が観覧した。私も13日朝から3回抽選に臨み、すべて外れた。残念だったがそれ以上に、「展示再開」と赤字表示された作品の、本来の姿を鑑賞できることに、目の前が開けるような喜びを感じた。

 展示変更されていたメキシコのフェミニスト、モニカ・メイヤーの「The Clothesline」には、「女性として差別されていると感じたことはありますか?」といった問いかけに対して、家族連れやカップルが話し合いながらカードを書き展示に追加していた。情報学研究者、ドミニク・チェンらがインターネットで募集した「10分遺言」を24枚のモニターに表示する作品「ラストワーズ/タイプトレース」では、打ち込む人の戸惑いや書き直しが情報技術により忠実に再現され、大切な人との関係性が画面上に表現されていた。13日に講演したチェンさんは「共在言語」という概念をキーワードに、すべてのものが関係性のなかに存在すること、それらをつなぐ情報の力の可能性について語った。小泉明郎のVR技術を使った演劇作品「縛られたプロメテウス」は、ヘッドセットを着け自分とは異なる「他者」の感覚や感情を追体験する仕組みで、鑑賞者もアクターとして「情」の力で身体と知覚を拡張させ、現実と虚構、見る・見られる、絶望・希望の間を彷徨う。情報技術により仮想的に表現された光が闇の中を瞬速で走る先に、「他者」とあたたかな記憶や意思を共有することへの希望を見ることができた。

 10月末時点、芸術祭をめぐる波紋は収まってはいない。ヘイトを含む言説は今も流れ、助成金不交付問題は法廷へと争いの場を移した。こうした問題の背景には、「アート」が「心地よいもの」として捉えられていることや、海外では既存価値を問う作品展示が行われる国際芸術祭が日本では「まちおこし」感覚で捉えられていることもあると思う。

 「情」の力で解決すべき問題はまだまだある。対話の継続が望まれる。

中島みゆき(毎日新聞記者、東京大学学際情報学府博士後期課程)

<写真説明>上から

■「表現の不自由展・その後」展示再開を求めるアクションの一環として、アーティストの呼び掛けにより来場者らが展示室へ続く扉に日常で感じる「不自由」を記したメッセージカードを貼った(一部)=2019年10月13日、愛知県美術館で

■「表現の不自由展・その後」会場入り口に掲げられた展示中止を告げるプレート=2019年9月7日、愛知県美術館で

■「表現の不自由展・その後」展示中止を考えるシンポジウムで、大浦信行さんの作品制作意図について話を聴く参加者=2019年8月22日、文京区民センターで

■アーティストらが名古屋と東京の会場をネット中継で結び「あいち宣言」の草稿を検討する「参加型オーディエンス参加型会議」には、多様な立場の多数の人の参加があった=2019年10月6日、東京都墨田区「無人島プロダクション」で

■再開された「表現の不自由展・その後」の抽選結果を確認する鑑賞希望者=2019年10月13日午後、愛知県美術館で

■「NOW OPEN AGAIN 展示再開」と赤字で表示された「表現の不自由展・その後」展示室入り口=2019年10月13日、愛知県美術館で

■ドミニク・チェンらのユニットdividual inc.による「ラストワーズ/タイプトレース」。一般から寄せられた「10分遺言」が24のスクリーンに投影されている=2019年10月13日、愛知県美術館

■ウーゴ・ロンディノーネの作品「孤独のボキャブラリー」展示室でピエロ彫刻を興味深げにのぞき込む子ども=2019年10月13日、愛知県美術館

■「表現の不自由展・その後」展示中止を受けて自らの作品展示変更を告げるモニカ・メイヤーのメッセージ

■再開された展示風景=2019年10月13日、名古屋市美術館

 

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