ミニゼミ報告 国がつく嘘と報道-2つの映画を観て-

 2019年5月15日、「イラク戦争と報道」というテーマのもと、2019年度第1回ミニゼミが、慶應義塾大学三田キャンパスで開かれた。2000年代初頭のアメリカ政治の混乱を描いた映画2作品、「バイス」と「記者たち」の内容を踏まえ、報道のあり方を中心に、メデイア・コミュニケーション研究所の担当教授と現役学生が、7名のジャーナリストと共に議論を交わした。

 映画については2019年4月号の陸井叡氏の記事「国がつく嘘を暴く~二つの映画を観て~」を参照されたい。

 2003年、米国を中心とした有志連合軍がイラクに軍事介入し、当時のフセイン政権が倒れた。戦地では約50万人の命が奪われたが、武力行使の根拠とされた大量破壊兵器の存在は確認されず、米政府による情報の捏造が明らかになった。

 ニューヨーク・タイムズやワシントンポストをはじめとするアメリカの報道各社は、政府の虚偽をそのままに報じてしまい、大義なき戦争を止められなかった。

 「記者たち」のなかでニューヨーク・タイムズを退社したミラー元記者は語る。「政府の情報は誰も疑わないわ」。

 なぜ、ニューヨーク・タイムズやポストなどの一流とされるメディアが「ダマされて」しまったのだろうか。大手メディアは長年の取材活動を通して、政府上層部との太いパイプを築いている。政治の中枢にいち早く接触することで、最新の意思決定を掴んできた。ジャーナリストによれば、その構造によって政府上層部が意図する情報操作に利用されかねないという。「記者たち」のナイトリッダー社は地方新聞に記事を提供する比較的マイナーな新聞社であったゆえに、現場に近い職員の声を拾うことができたのかもしれない。

 学生新聞の記者を務める学生が、学内政治に関わる調査報道についてOBから圧力ともとれる「お叱り」を受けた経験を明かした。記者と権力の攻防はどのスケールにおいても起きる。現場を知るジャーナリストたちは、いかなる場合も真実を曲げないことは記者に必須の資質だと語った。

 学生らは各々あらかじめ調べていた、イラク戦争当時の各国の報道をリポートした。米国と利益をともにする同盟国である日本、イギリスなどはブッシュ政権を擁護し、中立や敵対する国々は懐疑的に報じた。その中で、大量破壊兵器はある という政府の主張を覆して「大量破壊兵器はない」と報道が証明する難しさが議論となった。とくに、大量破壊兵器を取り除くことが国益だという主張に、記者はどう当たるべきかという疑問が呈された。

 教授、ジャーナリストは「真実を報じる信条は曲げてはならない」と異口同音に説いた。歴史が繰り返されぬよう、記者を志す者みなに共有すべき教訓だ。

 しかし、問題はそう単純ではない。記者の多くは良心と熱意をもって大量破壊兵器保持の可能性をスクープした。テロの記憶や、冷戦の終結で「国民の敵」が不在だったという事情があった。政権が「テロとの戦い」を求心力として、アメリカ中が愛国心に沸き立つ中、記者たちは知らぬうちに、そのような狂信的で一枚岩の戦争報道に加担してしまったのだ。

 現代日本も他人事ではない。例えば、慰安婦報道についての歴史認識、謝罪の是非に世論が分かれている。もし日本の記者たちが、気づかぬうちに「愛国心」というバイアスで史料を見てしまっていたら。あるいは、韓国の報道がその状況にあるのか。いずれにしても、各国の多くの記者たちは意見の分かれる政治的問題について、自国の政府見解に近い報道をしているという事実がある。今回のディスカッションを受けて、さらなる検討が必要だと感じた。次回以降のミニゼミで、さらなるジャーナリズムの深層を議論したい。

押山麟太郎(慶應義塾大学法学部3年)

写真:(C)2018 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.

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