韓国・KBSの730日 どん底の日韓関係と国際法新時代

 2月27日と28日、2回目となる米朝首脳会談がベトナム・ハノイで開かれた。最大の焦点は、北朝鮮の非核化が段階的ながらもどこまで具体化するかであった。北朝鮮は、ニョンビョンの核施設を破棄して査察を受け入れる姿勢を示し、経済制裁の解除を求めた。北朝鮮が核施設を隠蔽していると伝えられるなか、アメリカは非核化が不十分だとして、会談は物別れとなった。非核化で安易な妥協をしなかった点を評価する国がある一方、韓国はその思惑と異なる結果に戸惑ったに違いない。ムン・ジェイン大統領は、首脳会談の直前、北朝鮮の制裁が解除されれば、クムガンサン観光やケソン工業団地の再開、鉄道・道路の南北連結など、南北の経済協力をいっきに推進する準備を進めていたからである。また、韓国を主役と位置づけた「新韓(朝鮮)半島体制」を築き、南北統一を目指すという考えも示していた。会談が物別れに終わったことで、朝鮮半島情勢はさらに流動化しよう。この渦中、日韓関係は、慰安婦財団の解散、徴用をめぐる大法院判決、国会議長の天皇謝罪要求などの歴史認識問題によって「どん底」にある。南北関係を重視するあまり、日韓関係を軽んじてきたようにも見える韓国だけに、日韓関係は不透明さを増すことになろう。日韓関係の現状と行く末にどう向き合うのか。その羅針盤は、どこにあるのだろうか。
 日韓関係を根元から揺さぶる一連の歴史認識問題が顕著になったのは、去年の夏以降である。ムン大統領は、8月15日の光復節演説で、日本の植民地支配に協力したとする、いわゆる「親日的勢力」を「旧主流」と称し、「交代すべき主流」と強調している。昨今、韓国が歴史認識問題を相次いで提起する背景には、ムン大統領の歴史認識があることは明らかである。また、問題提起にあたって、その歴史認識を基準にして、国際社会の法秩序を解釈しようとする点を見逃してはならない。こうした韓国の姿勢は、慰安婦合意に基づく財団の解散や徴用をめぐる大法院判決に顕著に表れている。韓国が解散した「慰安婦財団」は、2015年12月の「日韓合意」に基づき、日本政府が10億円を拠出したものだ。ムン大統領は、この合意に被害者が満足しておらず、問題は解決されていないと主張する。合意は破棄せずに再交渉も求めないと言いつつ、韓国は「完全かつ不可逆的に解決させる」とした合意を事実上反故にしている。一方、戦時中の徴用による損害賠償を認めた大法院判決は、1910年の日韓併合条約を無効と判断している点に留意しなければならない。また、不法な戦時体制における個人の請求権は、1965年の日韓請求権協定によっても失われないとする。さらに、大戦中の損害賠償であっても、信義誠実の観点という理解しにくい理由で、時効は成立していないというのが判決の論旨であった。
 日韓の歴史認識問題で、何よりも問われなければならないのは「歴史的事実」である。史実から踏み出た歴史認識は論外である。そして、独自の歴史認識を基準に国際法を解釈するとすれば、すでに確立した国際法の一般原則に照らし、その妥当性を評価することとなろう。日韓慰安婦合意は、国会の承認や閣議での決定を得ておらず、文書化もなされていない。正式な条約とは言えず、法的拘束力は脆弱である。とはいえ、こうした国際合意は、複雑多岐にわたる懸案を対象に効率的手法として各国が多々活用している実態があり、国際的な「合意」であることは言うまでもない。「合意は拘束する(Pacta sunt servanda)」という国際法の一般原則により、一方的な破棄は当然国際社会からの批判や非難を受けることとなろう。また、日韓併合条約が合法か否かをめぐって両国は激しく対立し続けてきた。1965年の日韓基本条約や請求権協定を結ぶ交渉でも大きな論点となり、結局、「もはや無効」とのあいまいな表現で決着させた経緯がある。その後、2001年になって、日韓併合条約の法的評価を再検討する国際会議が開催されたが、違法とする国際的なコンセンサスは得られていない。参加したイギリスの権威ある国際法学者は、当時の国際法からすれば、英米を始めとする列強に認められた条約である以上、仮に手続きにどのように大きな瑕疵があっても「無効」とはならないと指摘している。    
 国際社会は、今なお、弱肉強食の不条理に満ちている。一方的な国内事情や国家利益を背景に合意を破棄し、国際秩序を乱す行為は後を絶たない。紛争、内戦、残虐な人権侵害も繰り返されている。また、国際違法行為があったとしても、すべての国を対象に強制的な管轄権を持つ司法機関があるわけではない。その評価・判断を確実に執行できる体制もない。「国際法は無力」と称され、存在感の薄い所以でもある。韓国が提起する歴史認識問題は、戦略的な「歴史戦」と見ることもでき、単に国際法や国際秩序に照らして評価するだけで解決するほど単純なものではない。一方、国際社会は、平和と安定を目指す国際法と国際秩序を遵守することで発展してきた歴史を持つ。明治以降の日本がひたすら国際法を活用し、西欧の列強中心の国際秩序の一員となり、近代化を達成したことは証左の一つであろう。さらに、国際社会は、国家や国際組織だけが主体(アクター)であった時代から大きく様変わりして久しい。個人、NGO、自治体、企業、そしてメディアも含めて多様な非国家主体が国際社会で活動・影響し合う複合的な構造が明確になっている。国際社会の法秩序という観点からすれば、国家、国際組織、国際司法裁判所の評価・判断が、各国の行為を「監視」する個人、NGO、メディアなどによって形成される「国際世論」に影響を受け、かつ補強されるという、新しい国際法時代に入っている。
 日本からの独立運動を記念する韓国の「3.1節」は、今年100年を迎えた。恒例の演説のなかで、ムン大統領は慰安婦問題や徴用問題には触れず、「親日派」の悪影響が今も残っていると改めて説き、「親日残滓の清算」を訴えた。ムン大統領にとっては、経済指標の悪化や支持率の低下が懸念される国内事情、流動化する北東アジア情勢、日本の反発する世論に配慮してか、日韓関係がさらに悪化するのを避けつつ、自らの歴史認識に固執する姿勢を示したものといえよう。韓国では、今年の4月13日、上海の臨時政府樹立から100年となる。ムン大統領は「建国100年」に改めるとの新たな認識を示しており、日韓関係を揺るがす歴史認識問題は当面続く。
国際社会は今、非国家主体が国際社会の法秩序の評価を補完するという新しい時代にある。各国の動きを「監視」するメディアの役割がますます重くなる時代でもある。
NHK元記者 羽太 宣博

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