慶應義塾大学から2018年8月より1年間、オランダ・アムステルダム大学へ交換留学で派遣されています。
オランダ人にとっては「当たり前」の国民文化に疑問を投げかけ、その背景を探っていきたいと思います。
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「伝説」と称される英国のロックバンド「クイーン」とそのボーカル、フレディ・マーキュリーの軌跡を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が全世界で大ヒットを記録している。筆者も、公開と同時にアムステルダム中心街の映画館へ。一般上映にもかかわらず手拍子・足拍子が自然発生するなど、ライブさながらの盛り上がりに圧倒された。
同作の大きなテーマの一つが、フレディの同性愛者としての葛藤だ。自分自身、ごく最近の出来事と重ね合わせて観ずにはいられなかった。
「実はホモセクシュアルなんだ」
映画の台詞ではない。この作品を観る数週間前、友人宅でのパーティーで、オランダ人の男友達に唐突に告げられた。知り合ってから3ヵ月近く経つが、全く気づいていなかった。
友人・知人からこのような告白を聞いたのはこれが初めてではない。しかし、一瞬、反応が遅れてしまったのは、「ホモセクシュアル」という言い方が気になったからだった。同性愛者の男性が「ゲイ」と自称するのは一般的ではないのだろうか。
後日、大学の構内を歩いていると、学生が作るLGBTコミュニティのポスターが目に留まった。LGBTをテーマにした映画を観るイベントの案内だった。「LHBT in Movies(映画の中のLHBT)」とある。LHBT? 誤植かと思ったが、直後に例の友人の言葉を思い出した。
LGBTの「G」は「Gay」の頭文字だ。英語には同性愛者の男性を指す「Gay(ゲイ)」、また性別を問わず同性愛者を指す「Homosexual(ホモセクシュアル)」という単語がある。しかし、オランダ語では「Gay」に該当する言葉がない。男女問わず、同性愛者は「Homoseksueel」。ゆえに「LGBT」ではなく「LHBT」と言うのだそうだ。
「Gay」という言葉は、元々の「不埒(ふらち)」という意味が転じて、特定の性的指向に結びつくようになった。英語話者の中には、「Gay」という単語を侮辱的なニュアンスで使う人が未だに多くいる。
しかし、日本語では「ホモ」こそ差別語とされる。「ゲイ」の呼称が定着したのはごく最近で、性多様性への理解が不足していた時代に使われていた「ホモセクシュアル」が中傷的な意味を持つようになった。
オランダ語の「Homoseksueel」という言葉からは、そうした侮辱の意味が一切排されている。オランダでは第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの支配下にあって多数のゲイやレズビアンが迫害された歴史がある。痛みを知っているからこそ、同性愛者が堂々と「Homoseksueel」を名乗ることができる社会を希求してきた。同性婚を世界で初めて合法化したのも、オランダだった。
しかし、法整備が進んでいるからといって、差別意識が完全に消えたとは言い難い。
『ボヘミアン・ラプソディ』では、フレディが妻のメアリーに自身の同性愛を明かす場面がある。「I think I’m bisexual(僕はバイセクシュアルかもしれない)」と告げるフレディに、メアリーは次のように返す。「No Freddie, you’re gay(違うわフレディ、あなたはゲイなのよ)」
この台詞に差しかかった時、映画館ではちらほらと笑い声が上がった。思わず耳を疑った。劇中のメアリーは、哀れみの込もった声で「you’re gay」と言い放った。結局、同性愛者への眼差しは、あの時代から何も変わっていないのではないか。
映画のタイトルにもなった「クイーン」の同名曲「ボヘミアン・ラプソディ」は、フレディが密かに同性愛者としての生きる苦悩を歌った曲であるとも言われる。
〈I’m just a poor boy, I need no sympathy(僕はどうせ哀れなやつさ 同情なんていらないよ)〉。
映画を観終わった後は、フレディが書いた一節がただ虚しく響いた。
広瀬航太郎(慶應義塾大学法学部政治学科3年)