アムステルダム便り 不在票から始まる出会い

 慶應義塾大学から今年8月より1年間、オランダ・アムステルダム大学へ交換留学で派遣されています。
 オランダ人にとっては「当たり前」の国民文化に疑問を投げかけ、その背景を探っていきたいと思います。

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 先月(10月)から、東京・上野の森美術館で「フェルメール展」が開催されている。
 オランダの芸術を語れば真っ先に名前が出てくる画家、ヨハネス・フェルメールの作品で現存するものは35点と言われている。そのうち9点が日本に集結するというのだから驚きだ。
 本展には、アムステルダム国立美術館からも数作品が貸し出されている。幸い、それらが日本に旅立つ前に、滑り込みで鑑賞することができた。
 『牛乳を注ぐ女』など美術の素人でも知っている作品の存在感は言うまでもないが、その中でもひときわ目を引かれた作品があった。解説パネルには『Love Letter (恋文)』*とある。1670年ごろに描かれたものらしく、侍女に手紙を手渡された女性が、驚きと戸惑いの入り交じった表情で侍女を振り返る瞬間がとらえられている。
 17世紀オランダといえば、「黄金時代」と世界から称賛された「知」の中心地である。教育制度が非常に発達しており、識字率の高さはヨーロッパ諸国の中で頭一つ抜けていたという。手紙をコミュニケーションの手段として定着させたのは、オランダが最初だったとも言われる。当然として、郵便制度もいち早く確立された。
 にもかかわらず、だ。アムステルダムの街のどこを探しても、郵便局が見当たらない。自宅の周辺で配達員の姿をたびたび見かけてはいたが、彼らは一体どこから来て、どこに帰っているのだろうか。
 オランダに到着してから最初に受け取った郵便は「不在票」だった。大学の授業に出ていたために、日本の家族に送ってもらった荷物を受け取り損ねたのだ。オランダ語で埋め尽くされたPostNL(オランダ郵便)の不在票には、配達員のものらしき「Nils Harbers(仮名)」という名前と電話番号が記されていた。オランダ語の意味は分からなかったが、日本で不在票を受け取る際と同じ要領で再配達を申し込もうとその番号に電話をかけた。
 案の定、Nilsを名乗る男性が電話口に出たので、不在票番号を伝えると、「いつ荷物を受け取りに来られるか」と聞かれた。再配達を想定していたために一瞬、虚を突かれたが、「今から行く」と言うと、ある住所を告げられた。自宅から徒歩5分ほどの場所だった。
 不在票を手に早速向かったが、当の住所にたどり着いても郵便局らしき建物がどこにもない。ごく普通の住宅地に、カフェが一軒立っているだけだ。とりあえずカフェで尋ねようと入口に近づくと、扉に「PostNL」のステッカーが貼ってあることに気がついた。
 中のカウンターでは、エプロン姿の男性が新聞を読んでいた。不在票を差し出し、Nilsという配達員にこの場所を指定されたことを伝えると、「Nilsは私ですよ。それに配達員じゃなくて、ここの店主です」と笑われた。対するこちらは、『Love Letter』を受け取った女性の表情そのものである。
 後から知ったことだが、オランダでは郵便の窓口業務全般がスーパーやカフェ、雑貨店などの小売業者に委託されているという。PostNLが請け負っているのはあくまで配送業務のみであり、郵便の送受に際して顧客が対面でやり取りする相手は、馴染みのカフェの店員なのである。都心から田舎まで、「PostNL」のステッカーが貼られた委託店舗は街のいたる所にある。日本の宅配業界の「ブラック労働」とはかけ離れた、効率重視の業務分担だ。
 荷物を受け取り、Nilsに礼を言うと、「またコーヒーでも飲みに来てください。安くするから」と割引券を渡された。なるほど、宅配に便乗した客引きである。
 店を後にし、改めて建物を見渡して思わず「あっ」と声が出た。入る時には気がつかなかった看板には、「Nils Harbers」と店名が書かれていた。
 残念ながら自分のポストに『Love Letter』はまだ届いていないが、不在票から始まる出会いも悪くはあるまい。店主Nilsの思惑に乗せられ、今や勉強の息抜きのたびにカフェ「Nils Harbers」に通いつめている。通いすぎるあまり、最近は「今日はあんたの席はないよ」と皮肉まで言われるようになった。
広瀬航太郎(慶應義塾大学法学部政治学科3年)

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