韓国・KBSの730日 慰安婦問題の原点に戻れば・・・

 韓国では、今年から8月14日を「慰安婦をたたえる日」と定めた。1991年、元慰安婦の一人が日本軍兵士の性的欲望を満たす辛い日々を吐露し、戦後半世紀近く埋もれていた慰安婦問題を日本の戦争犯罪として提起した日として記憶しようというものである。その記念式典が元慰安婦の眠るソウル近郊・天安(チョナン)の国立墓地で開かれた。出席した文在寅大統領は、「慰安婦問題は歴史問題であるだけでなく、女性の普遍的人権にかかわる問題だ」「外交的手法で解決できる問題ではない」と強調した。この発言は、慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に解決した」とする、日韓慰安婦合意(2015年12月)では問題を解決できないという韓国の立場を改めて示したもの思われる。また、2か月ほど前、康京和外相は就任1年の記者会見で、「国際社会で慰安婦問題が『戦時の女性への性暴力』という非常に深刻な人権問題として位置付けられるよう、韓国外務省として計画している」と述べている。韓国政府としては、慰安婦問題を「普遍的人権にかかわる問題」として位置づけて対外発信を強化し、膠着した慰安婦問題の解決を国際世論に訴えていくという姿勢を示したものと言えよう。
 韓国の進歩系新聞はこれを「人権解決法」と表現する。しかし、何も新しい方策というわけではない。すでに2012年8月15日の光復節演説で、李明博大統領は「慰安婦問題は人類の普遍的価値に反する行為」と表現している。また、その年の国連総会では、金星煥外交通商部長官が基調演説し、「慰安婦問題は普遍的人権問題」と国連の場で初めて言及した。2014年には、朴槿恵大統領も「戦時の女性への性暴力は、人権と人道主義に反する行為」と強調している。韓国政府としては、国連、人権理事会、首脳会談などの国際舞台にして、国際世論に繰り返し訴え続けてきた。こうした韓国政府の対応は、2011年8月の韓国憲法裁判所の判決と関連付けて考えると理解しやすい。国家補償を求める裁判が日本国内でことごとく敗訴したことを受け、元慰安婦らが韓国政府に対応を求めた裁判で、政府が賠償請求権問題の解決に向けて具体的な努力を尽くさないのは、憲法に反するとの判決である。これによって、韓国政府としては、慰安婦問題を女性の人権に反する問題として対外発信し続け、憲法上求められた努力義務を果たしている証左にするという意図を見てとることができる。
 1990年代に入って、慰安婦問題が女性の人権を著しく蹂躙する戦争犯罪として提起された背景には何があったのであろうか。3つのことが考えられる。まず、1989年の韓国の民主化である。韓国では、長く続いた軍事独裁政権の終焉によって、さまざまな市民運動とともに女性運動が活発化したこと。二つ目は、女性の地位向上を目指した「国連女性の10年」の運動で世界に巻き起こった「フェミニズム(女性解放運動)」と重なったこと。3つ目は、旧ユーゴスラビア内戦などで、「女性への性暴力」に関心が高まったこと。この3つが連動し、慰安婦問題が日韓に重くのしかかる外交問題にまで発展したとみることができる。こうした背景を考えてみれば、慰安婦問題は当初より女性の人権問題だったのであり、改めて「普遍的な人権問題」として対外発信を強化するというのは、多少の違和感を覚える。人権問題であるはずの慰安婦問題について、日韓双方の慰安婦支援者もメディアも元慰安婦たちの名誉と尊厳を回復するためとして、「少女の強制連行」や「性奴隷」といった言葉に固執し、日本の法的責任と国家補償の実現が欠かせないとの立場にこだわり、問題の解決を難しくしたとの批判がある。慰安婦問題を戦争犯罪とする国際人権法や人道法の歴史や法理から見て、その対応に問題はなかったのだろうか。また慰安婦問題の本質を見誤ったことはないのであろうか。
 筆者はNHK記者時代に、女性の地位向上を目指した「国連女性の10年」を締めくくる「ナイロビ世界女性会議」を取材した経験を持つ。1か月に及ぶナイロビ取材は、当時のNHK特集「女は何に怒っているか」として実を結び、世界の女性を取り巻く差別、性暴力、人身売買の現状を紹介した。その経験を通して、筆者が今なお留意し続けるのは、「女性の人権」の拠りどころである国際人権法や人道法の法理である。人権法であれ人道法であれ、戦争の反省と教訓に基づき、戦後、大いに発展してきたことは議論の余地はない。しかし、国際社会には、強制力をもつ中央組織が存在していない。人権侵害を受けた被害者個人が補償請求や救済を求める権利は当該国家の合意に基づくのが一般原則だ。慰安婦問題についていえば、戦前、売春を目的にした「婦女売買の禁止条約」、ILO・国際労働機関の「強制労働条項」、「奴隷の禁止条約」などにより、戦争犯罪を構成する。とはいえ、当時の条約や慣習法では、補償の請求権を個人ではなく、被害国に限定していたというのが有力である。したがって、国家レベルで補償問題を終結させたサンフランシスコ平和条約や日韓基本条約によって、個人による請求権は事実上行使できないというのが日本の立場である。とはいえ、条約に違反した日本が被害を受けた個人に十分な賠償義務を果たしたのかどうかが今も問われている。そこに、人権問題に新たな展望を切り開こうとするNGOや国際世論の役割が存在する。
 文政権は慰安婦問題で「普遍的人権」を強調する。それは、慰安婦問題が日本だけの問題ではないことを一層浮かび上がらせることになろう。アジア各地に慰安所が設置された大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、それにアジア・アフリカの内戦で何が起きたのか。また、起きているのか。慰安婦問題は歴史認識、植民地支配、女性の人権の問題として、今こそ複眼的に検証し直す必要がある。
 羽太 宣博(元NHK記者)

Authors

*

Top