シリーズ 客船で世界を旅してみた~その14~

 夜空を彩るオーロラを観に9月上旬、カナダのイエローナイフに4連泊しました。妻とオーロラ観賞のツアーに参加したのです。オーロラは、太陽から放出された帯電粒子が地球の磁力によって極地に引き寄せられ、大気中の原子と衝突したときに発生する光と言われています。イエローナイフは、北緯62度27分。オーロラが発生するオーロラベルトの下に位置し、平原で晴天率が高いことからオーロラの出現率が高く、観賞には絶好の場所です。
 深夜、先住民の伝統的なテントで暖を取りながらオーロラの出現を待ちました。日本を出る前、95%の確率で観られると聞いてはいましたが、滞在4日間のうちまったく観られなかったのは1日だけで、初日と最終日は、最高レベルのオーロラ(写真は狭山市の岡野延行さん提供)を観ることができました。
 一般的なオーロラの色は、緑や青ですが、私の眼には白っぽく観え、所々ピンクから赤色に染まりました。光のカーテンのようにゆらめき、天空いっぱいに広がったと思えば、次第に薄くなって姿を消し、また別の場所に現れるといった具合で、その圧倒的な美しさに心を奪われました。ホテルに向かう帰りのバスに乗るときには、花火大会が終わった後のような不思議な高揚感と寂しさを覚えました。さて船の旅に戻ります。

 2017年6月29日午前8時、エルサルバドルのアカフトラに着きました。今回の船旅の主な目的の一つがマヤ文明の遺跡ティカル観光でした。マヤ文明は中米のユカタン半島からグアテマラ、ホンジュラスにかけて古代から栄えたマヤ族の都市文明で、六千もの遺跡群の中で最大のティカル遺跡は隣国グアテマラにあります。そのためアカフトラ港からバスで約2時間かけて首都サンサルバドルの空港に行き、空路グアテマラに向かいました。30日夜の出港までに船に戻って来られるように、68人乗りの飛行機1機をチャーターしての1泊2日の旅でした。1時間余りでグアテマラ北東部のフローレスに着きました。
 初日は、ペテンイッツア湖に浮かぶ300m四方の小島・フローレス島を観光しました。この島にはかつて先住民のマヤの人たちが大勢住んでいました。スペイン人に征服された後スペイン風の街並みに変わり、観光客相手の土産店や飲食店などが軒を連ねていました。スペイン人がマヤのピラミッド状の建造物を潰して建てた教会には、人種を問わず信仰できることを示す黒い肌のキリストの像がありました。また、マヤの農民が住んでいたという漆喰壁の家が当時の面影を残していました。今は、マヤの人たちの大半は対岸に住んでいて昼間だけ島に働きに来ているといいます。グアテマラでは、人口の50%以上がマヤ族の末裔ですが、マヤ族出身の大統領は未だに誕生していません。スペインの植民地時代、マヤ族は一つの民族ではなく32の言語別の民族だと言われて分断統治されました。それで多数派の意識がなくなってしまったのが原因だとも言われています。

 6月30日早朝、猛獣の雄叫びのようなホエザルの鳴き声で目が覚めました。ペテンイッツア湖畔のリゾートホテルで朝を迎えました。ベランダに出ると小鳥たちのさえずりが耳に心地よく感じました。陸上で夜を明かしたのは横浜出港の4月12日以来、実に78日ぶりです。待ちに待った世界遺産・ティカルの遺跡観光に心が弾みます。午前7時半ホテルをバスで出発し、1時間後、ティカル国立公園に着きました。
 ティカルは古代マヤ文明の政治経済の中心都市として紀元4世紀から9世紀頃にかけて繁栄を極めました。遺跡は、1848年に発見され、1956年からアメリカの考古学者によって本格調査が始まりました。13年間かけて熱帯雨林の木を切り倒し、建物を覆う泥を落として昔の姿を蘇らせました。ジャングルの中を毛虫や蚊を気にしながら進むとまもなく、石を積み上げた巨大なピラミッド状の建造物群が現れました。

 

 最上部の神殿の入口からジャガーの彫刻が見つかったことから「ジャガー神殿」と呼ばれる建造物は高さが45mあり、青空に向かって聳え立っていました。そばには古代の広場がありました。高さ70mの一番高い建造物に登るとジャングルのあちこちから最上部の神殿部分が竹の子のように突き出ているのが見えました。遠くからホエザルや鳥たちの鳴き声が聴こえてきました。遥か昔、建造物は漆喰で塗り固められて石段部分は白、神殿部分は赤色に塗られていたといいます。目を閉じて昔の姿を頭に描いてみました。マヤ族は身体的特徴がアジア系で、日本人と同じように幼い頃、青いマークの蒙古斑が現われます。道理で先住民に親しみを感じる訳です。次はグアテマラの古都アンティグアを訪れます。
             山形良樹(元NHK記者)

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