「フェイクニュース」はなぜ生まれるのか

 5月3日、2018年度初回の綱町三田会ミニゼミが慶應義塾大学三田キャンパスにて開催された。研究所のOB・OGであるジャーナリストと研究所の教授、研究生である現役学生が参加した。今回のテーマは「フェイクニュースはなぜ生まれるのか」。学生側から、各自フェイクニュースであると思った出来事、自らが考えるフェイクニュースの定義を報告し、それを基に議論を進めた。

 「フェイクニュース」という言葉が流行したきっかけは、2016年のアメリカ大統領選挙だ。トランプが、報道の内容について、真偽に関わらず、自分にとって都合の悪いことは「フェイク」だと批判した。特にMSNBCやCNN、ニューヨークタイムズなどリベラル色が強い報道機関のニュースが標的となった。そして、貧困層など、もともと反エリートだった人々がトランプを支持。トランプにとって有利となるように、また敵陣にとって不利となるように作られた偽の情報、すなわち「フェイクニュース」が流され、選挙戦に利用された。こうしてトランプの発言をきっかけに、「フェイクニュース」という言葉が広く知られるようになった。

 「フェイクニュース」という言葉が流行している一方で、その定義は曖昧である。今回フェイクニュースの議論を始める前に、その定義を確認することから始める必要があった。本来の「フェイク」の意味から考えると、日本語の「流言飛語」に近いと考えられる。マスコミュニケーション学では、「フェイクニュース」は次の二種類を指す。一つは、ありもしないことを意図的に素人が流した情報。もう一つは、ジャーナリストが独自の取材をせずにSNSの情報に依存して作った情報である。

 ではフェイクニュースはなぜ生まれるのか。その鍵を握るのはSNSの存在である。SNSによって、誰もが情報を発信できるようになった。そしてその情報は、不特定多数に一瞬にして拡散されていく。この特徴を利用して、生まれたのがフェイクニュースである。SNSの性質がフェイクニュースの生産・拡散を支えているといえる。

 たとえば、2013年「ボストンマラソン爆破テロ」の犯人に関するフェイクニュースでは、容疑者がムスリムの多くいるチェチェン系だったことから、イスラム過激派やアルカイダによる組織的テロではないかというフェイクニュースがSNS上で広まった。このフェイクニュースの目的は反イスラムや人種差別だったと考えられる。テロ後、当局は事実上厳戒令を実施。9.11を髣髴とさせるような雰囲気があった。それを利用したと考えられる。さらに、そもそもこの事件自体が情報機関によって仕組まれたもので、9.11以降に検討された総合テロ対策の実験の場として用意されたのではないかという指摘もネット上に登場した。

 また、2015年には大晦日に起きたケルン集団暴行事件のフェイク動画がSNS上に投稿、拡散された。事件の瞬間、すなわちアラブ人や北アフリカ人を主体とした女性に対する集団強盗・性的暴行の瞬間を撮ったという。しかしこの動画は、全くの作りものであった。このフェイクニュースの目的は人種差別や難民受け入れに反対することにあったと考えられる。この件において特筆すべきなのは、動画を用いていることである。動画は編集や加工されている可能性があるにもかかわらず、視聴者に信憑性を与える。この点において、動画を利用したフェイクニュースは悪質であるといえる。

 また、SNSはフェイクニュースの生産過程に直接かかわることもある。産経新聞の「沖縄米兵の救出報道」は、まさにその事例であるといえる。産経新聞の記者がSNS上の情報を鵜呑みにして、そのまま記事にした。そして沖縄の地方紙が取り上げていないことを批判した。しかし実際にはそのような事実は確認できなかった。これに関して学生側から、自ら取材に行かない方法はジャーナリストのあるべき姿ではないのではないかという指摘が上がった。記者陣は速報性を重視するときや人手不足や予算削減のためには利用する手段であると話す。しかし、あくまでも間違えないように記者たちは書いているということを強調した。

 ではなぜフェイクニュースの生産・拡散は止まらないのか。その要因として考えられるのは新聞など既存メディアへの信頼感の低下である。幼いころからSNSが身近な存在であった若者の間で、SNSやインターネットのニュースと新聞等のニュースが同等のものであると考える人が増えている。その理由について、最初に目にした記事を信じてしまう傾向があり、その最初にみるニュースの多くはインターネットやSNSによって流れてきたものであるからではないか、という意見が今回の議論であがった。ここから言えるのは、ジャーナリストが書いた記事と、ジャーナリストでない人が書いた記事を、同じように信頼性のあるものとして考えているということだ。しかし、フェイクニュースに騙されないためには、受け取った情報をむやみに信じるのではなく、情報源の信頼性を確認する必要がある。

 様々な情報が溢れる中、どうしたらフェイクニュースを見抜けるか。もちろん、各自がフェイクニュースの存在に注意を払い続けることが必要である。しかし、それに先立って重要なのは、フェイクニュースがどのようなものか考えて、それを共有することである。それをせずに議論を進めても、自分がフェイクだと思ったことを批判するだけになってしまう。それはジャーナリズムに対する信頼度の低下をもたらし、結果として、何がファクトかわからない状況を招くだろう。今回のミニゼミを通して、ジャーナリストたちの、真実を伝えようとしている強い思いが学生側に伝わった。ニュースの送り手は、記事の根拠も明確に示すことを努力し、信頼を維持しなくてはいけない。受け手側は、ニュースの表面だけでなく、情報源や隠された意図まで読み取る努力をしなくてはいけない。次回のミニゼミは、7月11日(水)を予定している。
慶應義塾大学文学部3年 小林桃子

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