「森友学園問題」検察はどこまで解明できるだろうか

▼すべて安倍政権の落とし子だ
いま世間を騒がしている国内の一番のニュースといえば、学校法人・森友学園への国有地売却に絡む一連の問題だろう。
3月12日には財務省が国有地売却の決裁文書(森友文書)を書き換えていたことを認めた。朝日新聞がその10日前の朝刊(3月2日付)1面トップで「森友文書 書き換えの疑い」と大見出しを掲げて特ダネを報じたことで火が付き、国会は野党が猛反発して空転、安倍政権は批判の矢面に立たされた。その結果、財務省は書き換えを認めざるを得なくなった。
森友文書の書き換え、改ざんの根底にあるのは、官邸主導政治の弊害である。その弊害は安倍1強政治が生んだものだ。
なかでも2014年5月設置の内閣人事局には問題が多い。霞が関の人事に対し、官邸や閣僚が省庁の幹部人事を握るようになり、霞が関の官僚は出世のために首相官邸の顔色を気にして忖度に走るようになったといわれる。
3月27日に証人喚問された国税庁長官を辞任した佐川宣寿氏などはその典型的な例だろう。佐川氏は財務省理財局長のとき、森友学園の国有地払い下げを巡り、安倍政権側に都合のいい答弁を国会で繰り返し、その果報として国税庁長官に抜擢されたとされる。
獣医学部新設にともなう学校法人・加計学園の一連の問題も安倍1強政治が生んだ弊害だ。防衛省が廃棄したと説明し、後からその存在が明らかになった南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報問題も、厚生労働省の裁量労働制に関する杜撰な調査データも、すべて安倍政権の負の落とし子である。

▼忖度で終わらせてはならない
ここで国民は冷静になって行政がだれのために存在するのかを考える必要がある。官僚や役人は国民の公僕でなければならない。それがときの政治権力のためにあるようではもはや民主主義とはいえない。
忖度という言葉についてもしっかり考える必要がある。もともと他人の心中を推し測ることを指す言葉だった。決して悪い意味ではなかった。それがいつの間にか、上司のご機嫌を取るときに使われるようになってしまった。
森友学園や加計学園の問題を忖度で済ましてはならない。たとえば森友文書の改ざんを佐川氏と財務省理財局の一部の役人の忖度にしてしまうと、佐川氏ら役人が勝手に改ざんしたことになり、その先に進まない。ただのトカゲの尻尾切りに終わってしまう。
公文書を書き換えたり、改ざんしたりするような大それた行為を役人だけで判断できるわけがない。首相や閣僚といった政治家が構造的に関わっているはずである。そこを実証していくには、もはや刑事捜査しかないだろう。
いまから26年前のことである。東京・霞が関の検察合同庁舎前の「検察庁」と書かれ石の看板に黄色いペンキがかけられた。ペンキ入りのビンを投げつけた男は「検察は正義をやっていない」と叫んでいた。
東京佐川急便から5億円のヤミ献金を受け取った事件で、金丸信・自民党副総裁=1996(平成8)年3月、81歳で公判中に死去=を罰金20万円の略式起訴としたことに腹を立てた犯行だった。

▼信頼は捜査で取り戻すしかない
当時、金丸氏は「永田町のドン」と呼ばれ、絶大な権力を持っていた。一方、検察は金丸氏の処分の甘さに批判を浴びていた。それまで検察は造船疑獄、日通、ロッキード、リクルートという大型事件を何度も摘発し、世論から大きな支持を得ていた。それが一転して信頼を失ってしまった。
そんな検察を救ったのが国税だった。ペンキ事件から1年後の1993(平成5)年3月6日の土曜日の午後、東京地検特捜部は東京国税局査察部とともに金丸事務所や金丸邸などを所得税法違反容疑で家宅捜索し、金丸氏を逮捕する。
いわゆる金丸巨額脱税事件だが、この事件はゼネコン汚職事件へと発展する一方、自民党を分裂させ非自民政権を誕生させた。
余談だが、なぜ「土曜日」と覚えているかというと、その1カ月前に国税担当記者になったばかりで、しかも6日の午後は、東京・大手町の産経新聞社会部で夜勤業務に就いていた。そこに夜9時前、興奮した検察担当記者から「金丸が脱税で逮捕された」との一報が入ってきた。そして1カ月間、取材で夜も昼もなくなった。
いまの検察は森友学園の一連の問題をどこまで捜査することができるだろうか。
改ざん問題では公用文書等毀棄などの容疑で告発を受け、大阪地検が捜査を進めている。しかし当の大阪地検は9年前、無実の厚労省女性局長を逮捕するという証拠改ざん事件を起こし、検察に対する国民の信頼は地に落ちたままである。
かつての検察が金丸巨額脱税事件で名誉を挽回したように信頼を取り戻せるかどうかは、すべて刑事捜査による森友学園問題の全容解明にかかっている。
木村良一(ジャーナリスト)

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