<シネマ・エッセー> デトロイト 

1967年7月23日といえば、ベトナム戦争のさなか。私が海上自衛隊練習艦隊のアメリカ遠洋航海に同乗して、カナダのバンクーバーから太平洋側最大の米軍港、サンディエゴに向かっていた時でした。この夜、『自動車の街』デトロイトで、人種差別に苦しむ黒人たちの怒りが爆発した大規模な暴動が起きたのです。
無許可営業の酒場で深夜開かれたていた、黒人のベトナム帰還兵を祝うパーティに警官が取締りのために押しかけ、無理やり解散させたのが発端で、市民を巻き込んだ大規模な暴動に発展します。ガソリンスタンドや商店街が放火されて炎上。陳列品が怒り狂った暴徒によって略奪され、これを鎮圧しようとするミシガン州警察や軍隊との間でデトロイトの町は”戦場”と化します。
映画を見ながら思い出したのは、その6年前(1961年)の夏、大阪市西成区釜ヶ崎で起きた暴動事件でした。当時、労働者のスラム街としては日本一といわれた釜ヶ崎の路上で、交通事故死した老人の扱いが悪かったことに抗議して起きた真夏の暴動で、暴徒による交番の焼き討ちや、西成警察署への襲撃で3日間、暴徒と警察との衝突が繰り返されたのです。現場を直接取材したことから、暴動の恐ろしさをじかに体験していましたが、デトロイトの暴動はピストルの乱射や火災がケタはずれの大きさだったようです。
この頃、デトロイトの市中からは白人の住民が郊外に移り、黒人や貧困層が大半を占めていたといいます。暴動発生から3日目の夜、地元出身の黒人ボーカルグループの新人歌手、ラリーが初舞台を直前にコンサートが無理やり中止させられ、友人と一緒に近くのモーテルに泊まったのが悲劇の始まりとなります。
同じモーテルにいた17歳の少年が、窓から暴徒鎮圧に来ていた州兵を見て、陸上競技用のスタート・ピストルをほんのイタズラ気分で撃ったことから、警官隊が「狙撃された」とモーテルに突入し、白人少女2人を含む9人を捕まえて「誰が撃ったのか!」と尋問が始まり、次第に拷問状態に発展して、捜査の過程で二人が銃殺されるという悲劇が起きます。
捜査の行き過ぎ、人種差別の暴行・殺人事件として、のちに裁判にも発展するのですが、拷問の実行犯ともいうべき警官3人はいずれも無罪となり、この事件に巻き込まれ、歌手デビューの夢を絶たれたラリーはのちに黒人教会の聖歌隊で専属歌手になります。
この映画の拷問シーンから、やはり思い出したのが「釜ヶ崎暴動」のさなかに起きた警官による拷問事件です。3日3晩荒れ狂ったのちに暴徒の一斉検挙が行われ、100人以上が大阪市内各警察署に分散留置され、取り調べを受けたのですが、大阪市北部の警察署の柔道場で、大阪府警捜査4課の刑事二人が、暴動に加わった容疑者二人を取調中、殴る、倒すの暴行を加えたのです。柔道場の窓越しにこれを目撃した市民からの通報で、M新聞がスクープ報道し、刑事二人は間もなく懲戒免職になったのです。映画の結末との違いから、50年前身近で経験したケースを生々しく思い出しました。
映画「デトロイト」の監督・製作は女性のキャスリン・ビグロー。1月26日から全国公開中です。
磯貝喜兵衛(元毎日映画社社長)

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