KBSでの730日〜韓国世論?〜

“日本は戦争ができる国へ”と憂える韓国

 韓国のメディアは、日本の出来事にも高い関心を持つ。加えて、ときに批判・反発し、憂慮・懸念を示す。その特性は日本の選挙を伝える記事にもよく表れる。安保政策が争点の一つとなった2017年10月の衆議院選挙は、自民・公明が3分の2を超える議席を獲得し、改憲勢力は80%を超えた。韓国メディアは、この選挙結果を憲法9条の改正問題とからめ、こぞって伝えた。その論調は、おしなべて「(日本は)戦争ができる国へ」などの用語を使い、憂えるものだった。投票の翌日23日付けの中央日報日本語版の記事が象徴的だ。「安倍圧勝に韓国メディアは憂慮の声」との見出しで、東亜日報が「戦争ができる国に向かう安倍首相」と伝え、ほかのメディアも「日本が改憲を通じて戦争可能な国に向かう」と論じていると伝えた。また、自らの社説で、「改憲が実現すれば、日本は戦争を遂行できる『普通の国』に生まれ変わる」と説く。進歩派のハンギョレ新聞は、日本が「平和国家体制から戦争できる国へと変身する歴史的なターニングポイント」になると指摘している。
201802a 「戦争ができる国」との用語は、昨今、日本でも目にするが、その起源は詳らかではない。筆者が初めて出会ったのは、KBSワールド日本語班の校閲委員としてソウル駐在を始めた直後であった。2012年12月17日付けの中央日報は、前日の衆議院選挙の結果について、「戦争のできる日本を叫ぶ安倍晋三自民党総裁が39か月ぶりに政権を奪還した」と伝えた。また、翌日の社説は、「勝利に酔う安倍政権の暴走を警戒する=韓国」と題し、安倍政権の公約は「戦争を放棄した平和憲法を改正し・・・集団的自衛権を行使できるよう国家安全保障法を制定する」ことだとし、「戦争が可能な普通の国、すなわち第2次世界大戦前の日本に回帰するということだ」と論じている。その後、2013年7月の参議院選挙での勝利、2014年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定に続き、2015年9月には安全保障関連法が成立する。その都度、韓国メディアは「戦争ができる国」「極右化」などの言葉を繰り返し、日本の安保政策の転換に憂慮・懸念を示した。このうち、集団的自衛権の行使容認について、中央日報の社説は「日本の安保政策の一大転換だ。自衛隊が海外で戦争を遂行できることになる。戦後、日本が堅持してきた専守防衛原則が崩れ、自衛隊という言葉自体が合わなくなる」と論じている。
 韓国のメディアが頻繁に使う「戦争ができる国」という用語は、適切なのであろうか。一連のニュース・論説を仔細に見ると、その背景に2つのことが浮かび上がってくる。まず、日本が戦争のできる国になれば、「中国や韓国の強い反発を招き、北東アジアの緊張を高めるとともに、朝鮮半島問題にも悪影響を及ぼす(ハンギョレ)」という見方。2つ目は、日本が過去に韓国を植民地化した歴史に照らし、憲法に自衛隊を明記する動きは、「日帝の悪夢が生々しく残る韓国としては決して喜べることではない(中央日報)」とする韓国の感情である。前者は、極東アジア情勢を見る一つの視点であり、後者は韓国の歴史認識である。これに対して、日本の安保政策の転換は、日本を取り巻く環境の厳しさに対応する防衛力強化である。北東アジアの緊張を日本自らが高めるわけではない。ましてや朝鮮半島へ侵攻する意図を持つものでもない。「戦争ができる国」との用語は、一方的な「レッテル貼り」のように思えてならない。政治家・批評家の思想信条からくる発言や書籍のタイトルならまだしも、公正中立を掲げるメディアが使えば、一部を切り取る報道として世論を誘導・操作することになろう。
 集団的自衛権の行使容認について、KBSワールド日本語班では、閣議決定のあった7月1日以降、関連原稿を頻繁に出稿した。2日には、韓半島有事の際に日本の自衛隊が韓半島に派遣される可能性について、韓国政府は「外国に勝手に軍隊を派遣できるということではないと指摘し、韓国の国益と関係した部分については、韓国政府の事前同意が必要」との立場を確認したと伝えた。このニュースをめぐって、廊下ですれ違った英語班の校閲委員と議論したのを今も覚えている。「自衛隊が韓半島に派遣されるようになれば、戦争ができるということだよね」との問いかけに、「日本の自衛隊は『専守防衛』なんだ。北東アジア情勢を踏まえ、防衛とはどういうことか。エスノセントリズムを排し、安保の在り方をしっかり見つめる必要がある」と私。
 メディアに対する不信が広がる今、氾濫する情報から正しい情報を読み解くスキル、「メディア・リテラシー」がニュース発信の側にも問われている。ソウル駐在中、「戦争ができる国」や「極右・・・」などの用語は一切使わなかったのはいうまでもない。
羽太 宣博(元NHK記者)

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