[試写会から] 映画 PATRIOTS DAY

 「PATRIOTS DAY 」はアメリカ独立戦争の最初の戦い、レキシントン・コンコードでの勝利(1897年)を記念するアメリカ合衆国の祝日。戦いから100年余り経った2013年4月15日、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン市で記念のマラソン大会が開催されていた。117回目となる大会には、世界中から3万人のランナーが参加、50万人の観衆が沿道に詰めかけていた。レースから4時間余りが過ぎた午後2時15分頃、既にトップグループが走り抜けたゴール付近の沿道の人混みで爆弾が破裂した。12秒後、更に100メートル離れた路上で二回目の破裂があった。
 警察の発表では、爆発で8歳の男児と2人の女性が死亡、10人が手足を失うなど負傷者は282人に達した。世界を震撼させたボストン・マラソン・テロの発生だ。映画「PATRIOTS DAY」は事件発生から犯人逮捕までの102時間(4日間)を、ほぼ時系列的にドキュメンタリー・タッチで追ってゆく。映画のスタッフの一人、アメリカのCBS放送のドキュメンタリー番組「60Minites」のプロデューサーだったマイケル・ラダッキーが監督ピーター・バーグと共に当時、事件を伝えたニュースなどのアーカイブス映像を映画にふんだんに取り入れた。このドキュメンタリー・タッチが映画を盛り上げあきさせない。
 実は、映画にはボストンの街とマラソン風景が豊富に登場するが、映像は2016年大会を使っている。当時、FBIが捜査本部として事件現場を再現、其処に、犯人が使用した圧力鍋爆弾の破片など多くの証拠品を現状通りに配置した巨大な倉庫「ブラック・ターミナル・ファルコン」は、別の場所にセットとして造られた。映画では、ここで、街中の監視カメラから集められた映像がチェックされてゆく。そして、まもなく二人の若者が捉えられる。二人ともバックパッカーを背負うが、ひとりは黒い、他は、白い帽子を冠っている。慌てふためく多くの人々の中にあって、二人とも、落ちつき払って事件を見届け、ゆっくりと去ってゆく様子に捜査本部は”不審”をいだいた。
 事件から3日目の夕方、FBIは二人の映像を公開した。兄26才、タルメラン・ツアルナエフと弟19才ジョハルだった。この公開捜査が二人を追い詰めてゆく。慌てた二人は、まもなくマサチューセッツ工科大の警備員を射殺、更に、ベンツSUVに乗った中国移民を車ごと拉致するが、移民は隙を見て逃走、警察に通報する。そして事件は、深夜に入ってボストンの隣り街ウオータータウンでクライマックスを迎える。ベンツSUVを警察が発見、激しい銃撃戦が始まった。
 実は、この銃撃戦は、当時、詳細は余り知られなかった。映画では、ウオータータウンの現場、デクスターアベニューとローレルストーリートの交差点を別の場所に再現している。数千人の警察官、州兵、特殊部隊隊員らが集結、上空にはブラックホークヘリコプター2機が飛んで捜索にあたる。二人は銃と爆弾で応戦するが、兄が捕らえられ搬送先の病院で死亡する。弟は、車を棄て徒歩で逃げるが、民家の庭の大型ボートに潜んでいるところを発見、逮捕された。事件から102時間 4日間のスピード解決だった。
 さて、こうしてみるとこの映画はハリウッド得意のヒーロー物としてそれなりに迫真の出来栄えと言ってよいと思うが、実は、伏線がもう一つある。この事件が、アメリカNYマンハッタンを襲った9・11同時多発テロから続く厳戒体制の中で発生したことだ。映画はテロ後、当局が、”手際よく”マラソンを中止してランナーを避難誘導しただけではなく、バス、地下鉄の運行の一時停止、ボストン上空の飛行禁止、そして、マサチューセッツ州知事、ボストン警視総監らの指示による住民の外出禁止令といった、事実上の”戒厳令”が実施された当時のボストンの雰囲気を伝える。9・11以降に検討された総合テロ対応活動の実験の場になったという指摘もある。犯人二人への対応としては、あまりに”大袈裟”という指摘だ。
 映画では、勿論、触れられていないが、ボストンマラソンテロについて、実は、9・11後のテロ対策実験の場として、情報機関が仕組んだ”やらせ”だという弁護士らの指摘がネット上に根強く残る。はやりのフェークニュースだろうか?
陸井 叡( 叡Office )

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