つぶやきのツイッターなんて遊びだし、フェイスブックもファッションに過ぎない。こう軽く考えていたら、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を巧みに使った男が、米国大統領選で勝利したのだから驚いてしまった。その驚きは、自ら信じるところを失いかけたほどだった。
インターネットの発達とともに新聞やテレビに変わる新しいメディアが次々と登場し、世界を変えている。SNSは既存メディアに取って代わりつつある。今年もSNSに絡んだニュースは多いだろう。年始め、ちょうどいい機会なのであらためて考えた。
ちょうど6年前、この「メッセージ@pen」(2011年1月号)で「新聞やテレビが失ってはならないもの」というタイトルを付け、ひとつのメディア論を書いたことがある=URL参照。
その記事では、尖閣諸島沖で中国船が日本の海上保安本部の巡視船に衝突した模様を撮影した海保のビデオが、インターネット上の動画投稿サイトのユーチューブに流出した事件を取り上げた。ユーチューブは放送局のような設備や配信網を持たなくとも、簡単に動画を世界中に見せることができ、だれもが放送局になれる。しかし「2ちゃんねる」がそうであるように信憑性の欠如という大きな問題がある。投稿される情報をノーチェックで掲載しているからだ。
記事中こうも指摘した。新聞やテレビのニュースは、情報をきちんと調べた上で報じている。「公器である」との自覚があるからおのずと報道倫理が働き、事実かどうかの真偽がつかない場合は取り上げない。インターネットの発達によって既存メディアが情報発信を独占する状況は崩壊したかもしれないが、新聞やテレビの存在価値が失われたわけではない。新聞やテレビのニュースはまだまだ信頼されている。
この信頼は訓練を積んだ記者が社会で起きる事件や事故をひとつひとつ取材し、責任を持って報道するからこそ生まれる。新聞やテレビは読者や視聴者の信頼を失ってはならない。
2011年4月号でも「メディアがどう変わろうと、現場の記者の仕事を変えてはならい」と訴えた=URL参照。新聞社は多くの記者をデジタル画面作りに投入している。これまでの紙面作りだけでは経営が成り立たないからだ。しかし新聞記事を切り取ってデジタル画面に次々と貼り付けるのが、記者の仕事ではない。目の前で起きていることを自分の目で観察し、ときには朝駆け夜討ちといったレッグワークで地べたをはいずり回りながら取材相手の本音を引き出して記事を書く。
これが新聞記者の仕事である。いまのネットメディアにはとてもまねできまい。こう記者の在り方を論じた。
ところがトランプ現象である。昨年11月8日の米国大統領選挙。既存の有力メディアの予測を完璧に覆した。ツイッターやフェースブックを駆使し、「国境に壁を作る」など激しいが、分かりやすく訴えた共和党のドナルド・トランプ氏が勝利した。差別的な発言や排他的な主張であっても、激しく何度も訴えると、みな「トランプなら本気でアメリカを変えてくれる」と期待した。トランプ氏は大衆の理性ではなく、感情に訴えて扇動したのである。
これまで新聞やテレビは候補者と有権者との間の伝達役を担ってきた。だがトランプ氏は新聞やテレビを敵視して直接、呼びかけた。それに使われたのが大衆の好むSNSだった。
しかも大衆は単純でものごとをあまり深く考えない。ときには予想が付かない行動をすることもある。しかし候補者にとって知識層だろうが、非知識層だろうが、どんな人の一票も同じ一票だ。
ところで昨年11月、大手IT企業のディー・エヌ・エー(DeNA)の医療系「まとめサイト」(役立つ情報をテーマごとに集めたサイト)が炎上の末、休止に追い込まれた。
信憑性に欠ける根拠のない記事を数多く掲載していた。記事の多くは外部ライターに書かせていた。他のサイトの記事の表現だけを変えて転載するよう指示したマニュアルも作っていた。サイトの閲覧件数を上げて広告収入を得るため、こうした不正が行われていた疑いがある。別の企業による医療系「まとめサイト」でも信憑性が問題となり、公開をとりやめる動きが出た。
DeNA側は「メディア事業をつくるうえでの著作権者への配慮や情報の質の担保などへの認識が甘かった」と反省しているようだが、情報を伝える仕事の基本はその情報の信憑性である。それを忘れると、受け手の信頼を失い、そのメディアの存在自体が危ぶまれることになる。
SNSは世界をさらに変えていくかもしれない。だが最後の砦となる既存メディアの新聞やテレビのニュース報道は、信頼を失ってはならない。年頭にあらためてこう主張したい。
木村良一(ジャーナリスト)
新聞やテレビが失ってはならないもの
記者の仕事を変えてはならない