この秋に公開された映画「ハドソン川の奇跡」(監督クリント・イーストウッド、主演トム・ハンクス)は、ベテラン機長のとっさの判断の正しさを改めて証明した物語である。
約8年前の2009(平成21)年1月15日にニューヨークのマンハッタン上空で起きた航空事故をもとにしている。カナダガンの群れに突っ込んで両エンジンが破壊され、旅客機(エアバスA320)は推進力を失う。大ピンチに機長は冷静に対応し、ハドソン川に不時着水し、乗客乗員155人全員の命を救う。
映画では機長がNTSB(国家運輸安全委員会)から「機長の判断は人命を危険にさらす無謀な行動だったのではないか」「空港に戻れたはず」「近くの空港に緊急着陸もできた」と執拗なまでに追及される。
機長と副操縦士は何度も事故機がマンハッタンの高層ビル群に突っ込む悪夢を見るなど、PTSD(心的外傷後ストレス障害)にも苦しむ。
NTSBの追及の根拠となったのが、コンピューターを駆使したシミュレーター(模擬飛行装置)の運航データだった。NTSBの公聴会でテストパイロットが事故機と同じコースをたどるように入力されたシミュレーターを操縦すると、事故機は離陸したラガーディア空港に戻ることが可能で、ハドソン川対岸のテターボロ空港にも緊急着陸することができた。
コンピューターの精密な計算が正しいのか。「ハドソン川の奇跡」とまで高く評価された機長の判断は誤りだったのか。
映画ではコンピューターに35秒という機長と副操縦士が対応を検討した時間を入力していなかった。しかもテストパイロットたちは17回もシミュレーターを操縦して練習を重ねていた。
問題の35秒を入れ直してシミュレーターを操縦すると、旅客機は空港に着陸する前に墜落してしまった。コンピューターの机上の計算に、経験を積んだ機長の判断が勝ったのだ。コンピューターが作り出すバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界が、現実に敗れたのである。
映画を見て思い出したことがいくつかある。
平成が始まった1990年ごろのこと。私は運輸省の記者クラブに詰める航空担当の新聞記者だったが、ちょうどそのころ、欧米の航空機メーカーは旅客機のハイテク化を推し進め、航空機関士のいらない、機長と副操縦士の2人だけで操縦できる航空機を開発し、日本のエアラインもそうしたハイテク旅客機の購入を始めていた。
錯覚、うっかりミス、先入観など人間であるがゆえの過ちであるヒューマンエラーをできる限り少なくするため、操縦から人間の介在を減らし、運航をコンピューターに任せる。アメリカのボーイング社は当時、盛んにこの考えをアピールした。航空事故の70%がヒューマンエラーに起因するというNASA(米航空宇宙局)の調査がその考えを支えていた。
実際、ハイテク化によって事故は減った。しかしその半面、コンピューターと人間が対立するような新たな事故が起きてきた。その象徴的なのが、1994(平成6)年4月26日に名古屋空港で起きた、乗客乗員264人が死亡した中華航空機事故である。
運輸省航空事故調査委員会の調査報告書によると、事故機はエアバスのA300-600Rというハイテク旅客機。オートパイロット(自動操縦装置)を使った着陸進入中に副操縦士が誤ってゴーアラウンド(着陸やり直し)のレバーを押したため、コンピューターは機首上げを指示し、機体は上昇を始めた。ところが副操縦士はゴーアラウンドの作動に気付かず、操縦輪を何度も押して着陸を続行しようとした。
つまり機体を上昇させようとするコンピューターと、着陸させよとする人間とが反発し合った。この状態で自動失速防止装置が働いたため、エンジン出力が増加。その結果、機首が大きく持ち上がって急上昇して失速、墜落した。 当時、運輸省航空局や事故調を取材しいくなかでこの興味深い事故原因を知り、「人間が使うべきコンピューターに人間が追いつけず、人間が疎外されている」と感じたことを覚えている。いまもその思いは変わらない。パソコンからAI(人工知能)までとコンピューター万能の時代だからこそ、人間の尊さを忘れてはならないと思う。
最後にひと言…。親しい航空評論家で元全日空機長の前根明さんは「大きなカナダガンの群れはコックピットから見えたはず。その群れを避けていれば事故は起きなかった。着水も難しくはない。ワシントンブリッジに気をつけながら降下し、水の抵抗を減らすために軽く機首を持ち上げて川の流れに沿って着水すればいい」と話している。前根さんの指摘は、脚色された映画とは違うひとつの現実である。
木村良一(ジャーナリスト)