続・メディアはハンセン病をどう伝えたか

 2019年9月1日の本電子版ジャーナル誌「メッセージ@pen」では、「メディアはハンセン病をどう伝えたか」と題して、敗戦後から現在までのハンセン病に関する報道を概観し、メディアの責任とこれからの役割について論じた(http://www.message-at-pen.com/?p=1972)。

 

 ひきつづき本稿では、ハンセン病対策における絶対隔離政策の確立と継続に寄与した行政、立法、医学会・医療界の責任を検証する。

 

 第1の期間は、1907年の「癩予防ニ関スル件」制定から無らい県運動を経て、1953年に「らい予防法」が制定されるまで。この時代の特徴は、絶対隔離政策が確立され、強力に推進されたことである。

 日本のハンセン病政策が国際社会におけるハンセン病病態の認識と乖離していたことが指摘されている。1873年、ノルウェーのアルマウェル・ハンセンによって病気の原因がらい菌によることが明らかにされ、以降国際学会では、治療方法と患者の人道的配慮が模索されてきた。第一回国際らい学会(1897年)では、ハンセン病は感染性であり遺伝性でないこと、患者を一定期間治療のために施設等に隔離すること(相対的隔離)が望ましいことが合意された。第三回(1923年)では、公衆に対してハンセン病は感染性疾患であることを知らしめる必要性が確認され、隔離は主流ではなく例外的に認めるに過ぎないと明言されている。

 一方で、日本から出席した医師らは、軽快治癒しても療養所外では再発する可能性が高いという自説に固執し、帰国後には絶対隔離のための療養所の必要性を政府へ要請し続けた。また、療養所の所長であった医師は、看護職員の不足を軽症患者に負わせていたため、療養所運営にとって軽症患者や治癒した元患者が不可欠な人材であったことが指摘されている。さらに、ハンセン病は猛毒質の菌による強烈な「伝染病」で、文明国にはあってはならない病気であり、どんな犠牲を払っても撲滅しなければならないと説明した。これによって国民は妄信を信じ込まされ、拭い難いハンセン病に対する恐怖と差別意識を抱くようになった。ハンセン病が、社会的には「患者の隔離」(社会からの排除)という形の対応に多数の人が疑問をもたなかったことに繋がる。

 

 この時期に、日本が国際動向を無視した理由については、当時の国際政治的状況が影響したとの分析がある。第一次世界大戦後、世界の政治体制は非常に流動的であった。1930 年代に入り、東アジア圏の領土拡大を狙う日本は、ヨーロッパ諸国に対して日本の独自性、優位性を強調するようになる。このような政治状況において、ハンセン病医学も国際動向に従うべきであるとの考えは醸成されにくかった。加えて、日本独自の「一万人収容計画」が実施段階にあったことがある。この計画は、ハンセン病を国辱とする国粋主義や、隔離を正当化する社会防衛論などにも支持されて進められていく。そして日本は、1933年の国際連盟脱退から、国際情勢を省みることなく、独自の隔離政策を継続していく。

 

 第2の期間は、1953年の「らい予防法」制定から1996年の予防法廃止に至る44年間である。1950年代のスルホン剤(プロミン)の導入と1980年代からの多剤併用療法によってすべての患者が治癒するようになった時代と重なる。国際らい会議及びWHOらい専門委員会では、隔離政策は時代錯誤な制度であり、各国政府に対し制度廃止を強く求めていた中で、日本だけが隔離政策の理念を持ち続けた時代である。

 日本国憲法下においても患者の人権を無視した隔離政策が継続された要因は以下に要約される。戦前からの長く厳しい隔離政策の影響で、国民の偏見・差別が大きく、政府が法改正を行う際の社会的障壁が大きかったこと。患者だけでなく、ハンセン病医学、療養所自体が社会から「隔離」されていたため、関係する情報や実態が社会に流されなかったこと。そのため、らい予防法改正の機運が高まる機会がなかったこと。療養所医官は、国際学会の動向を知識としては捉えても、日本の現実問題として捉えることができなかったことである。

 この時代の専門家は、ハンセン病は微弱な感染性の伝染病で、化学療法で治癒可能な疾病であるとの説を唱え国民に普及させた。しかし、化学療法中の患者の菌は感染力をもたないというハンセン病対策上極めて重要な事実を認識せず、菌検査が陽性の患者はすべて感染源になり得るという誤った情報を国民に流す過ちをおかした。この誤った認識のために、強制隔離政策の廃止とハンセン病の一般医療への統合が進まず、治癒した大量の患者が社会復帰できずに、療養所で生涯を終えなければならないという今日の異常事態を招いた。

 

 ハンセン病への差別・偏見の特性は、国策によって作出、助長、維持された差別・偏見だということである。また、「国策としての差別・偏見」の作出、助長、維持に、医療者、宗教者、法律家、マスメデイア、その他各界の専門家が作為または不作為という形で大きく関わっているということである。さらに、これらの専門家の中でも、わが国のハンセン病医学、医療の中心に位置した専門医と、この専門医の誤った医学的知見が果たした負の役割は大きい。

 

 公衆衛生等の政策決定が今後、このような独善的で非科学的な知見にではなく、最新かつ公正な科学的知見に基づいて行われるようにすることが、ハンセン病政策のような誤った医療関連政策の再発を防止するために重要である。2001年の元患者に対する賠償を認めた熊本地裁判決は、次のように指摘している。

「新法の隔離規定は、少数者であるハンセン病患者の犠牲の下に、多数者である一般国民の利益を擁護しようとするものであり、その適否を多数決原理に委ねることは、もともと少数者の人権保障を脅かしかねない危険性を内在している」

 

 この指摘によれば、最新かつ公正な科学的知見に基づく公衆衛生等の政策決定を担保するためには、その政策の実施により重大な人権侵害を被る危険性のある当事者が問題点の洗い出し、法案の草案作成段階から委員として参加する権利等を十分に尊重することが不可欠といえる。また、検討会、委員会などの設置に際しては、行政の裁量ではなく専門家団体の組織的推薦に基づく委員を選定し、政策決定過程の公開と透明化、それによって憲法・国際人権法の遵守を監視していくことが重要である。

橋爪良信(理化学研究所マネージャー)

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