戦争記憶を未来へ紡ぐ「毎日戦中写真」共同研究

 毎日新聞社は5月、大阪本社に保管されている戦時期に特派員が撮影した写真ネガを、デジタルアーカイブ化する計画を発表した。終戦80年の2025年完成を目指している。プロジェクトの特徴は、渡邉英徳・東京大学教授、貴志俊彦・京都大学教授らとの共同研究として「ストーリーテリング・デジタルアーカイブ」を開発し、若い世代との対話や国内外の研究者との連携を視野に入れているところにある。「ウクライナ衛星画像マップ」制作でも知られる渡邉教授らと構築するデジタルアーカイブは、80年前の戦争取材の実相を明らかにするとともに、特派員らの歩みをデジタルアース上に再現することにより、時空を超えて現在の世界と重ね合わせ、戦争や平和を「わがこと」として考えることを促す期待がある。立案に携わった立場から、詳細を報告する。

■学術連携の模索
 「毎日戦中写真」と名付けられた写真群は、毎日新聞のカメラマンや記者が日中戦争から太平洋戦争にかけて、中国大陸や東南アジアで撮影したネガ6万点余と入出稿や検閲の履歴が記載されたアルバム69冊。終戦時に戦争責任を問われることを恐れた軍部が焼却命令を出したなか、当時の写真部員が大阪本社地下に隠し守りとおした。社内や歴史研究者の間では貴重性が知られていたが、マンパワー不足などの理由でアーカイブ化は進んでいなかった。
 プロジェクトが動き出したのは2021年4月。組織改編をきっかけにアーカイブ部門の課題を洗い出す過程で戦中写真の存在が浮かんだ。太平洋戦争80年の今がアーカイブ化のラストチャンスではないか。とはいえ撮影した特派員はすでに鬼籍に入っており、その子ども世代も80〜90代になる。正確な書誌情報をつけるには学術の助けが必要ではないか。そういった議論から、大学院に通学している私が連携の方策を模索することになった。

■広島→石巻→戦中写真
 5月、Zoomを通して渡邉英徳教授に相談した。渡邉教授とは2013年に著書『データを紡いで社会につなぐ』(講談社)の刊行記念イベントで会って以来、「ヒロシマ・アーカイブ」などの活動に注目してきた。2016年からは、私が石巻で取り組んでいる被災前のまちを模型に再現するプロジェクトと連動して、デジタルアーカイブやARアプリの制作、住民ワークショップの講師もしていただいている。そうした過程で、蓄積されたデータを社会と共有して利活用を進める「フロー化」の必要性や効果について、理解を共有していた。
 渡邉教授から「新聞社の枠組みを超えてデータを社会と共有できるとよい」との返答を得て、社内の理解を得る方法を模索した。新聞社は通常、閉鎖型のデータベースを作り、写真や紙面を貸し出すことで対価を得ている。その枠組みは尊重した上で、この写真群については教育や研究の現場で使ってもらうことによるメリットを説明し、同意を得た。こうした検討と並行して、東アジア現代史の知見を持ちデジタルアーカイブにも造詣の深い共同研究者として、京都大学の貴志先生に協力を求め快諾を得た。

■取材者の足跡
 7月、渡邉・貴志両教授に資料をオンラインで確認いただいた。貴志教授は朝日新聞社の戦中特派員による「富士倉庫写真」アーカイブ化にも携わった経験がある。開始1時間ほど経った時、取材や海外支局での作業風景など特派員の姿が写った写真群を前に、貴志教授が身を乗り出した。「この種の写真がこんなにあるのを見たことがない。特派員の足跡を追うことができれば、戦時取材の実相を明らかにすることができる」。指摘を受け、特派員に関する資料を模索した。人事原簿や終戦処理委員会の記録、生還した特派員の手記……それらを集めれば、かなりの数の特派員の足跡を追える感触を得た。
 社内外での予備的リサーチを進め、若い研究者にも加わってもらい、研究の枠組みが見えてきたのは9月に入ってからになる。共同研究契約を結ぶ作業を進めつつ、アーカイブの基礎となる書誌情報入力や研究用アーカイブへのデータ移行方法など、研究のインフラを整える作業をオンライン会議の積み重ねで行った。年末には、カメラマン・安保久武氏のご親族から、アルバム10冊と北京支局時代に私的に撮影した写真などをお借りすることができた。その一枚一枚、また自筆のコメントが素晴らしいものだった。

■ウクライナからの遡及
 「ストーリーテリング・アーカイブ」のプロトタイプとして、GIS(地理情報システム)を使って安保氏の足跡をたどる可視化コンテンツを試作していた今年2月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。渡邉教授は即座に、ウクライナの衛星画像の撮影位置を同定して、デジタルアース上に配置する作業を始めた。多くのメディアの注目を集める「ウクライナ衛星画像地図」と毎日戦中写真アーカイブは、実は同じルーツを持つ。
 ウクライナ衛星画像地図は、衛星写真会社から配信される写真や、NASAの配信データ、ソーシャルメディアを通じて現地の人から送られる映像・画像などをもとに日々、情報量を増していく。ロシアが「軍事施設だけを攻撃している」と主張しても、破壊された集合住宅や商業施設、死者を埋葬する墓地などの衛星画像からは、民間施設も攻撃され一般市民が被害を受けていることを見てとることができる。
 かつて軍事目的で撮影されていた衛星画像が、今では民間企業からメディア向けに配信されている。一般の人が撮影した画像もSNSで出回る。GISを用いて画像を重ね合わせていくと、できごとがデジタルアース上に束ねられ,全体として何が起きているのかを俯瞰しやすくなる。また、自分の立っている場所とつながるものとして捉えることもできる。

■「語り手なき時代」を前に
 5月18日、東京大学情報学環・福武ホールで開かれた共同研究発表会で渡邉教授は、大型液晶モニターに戦時特派員の足跡を動的に表現したコンテンツを写すとともに、ウクライナの問題に言及し「二度と戦争を起こさないという思いで研究を進めたい」と語った。貴志教授も「取材者の足跡に着目して戦時ジャーナリズムの実相を読み解くことは、ウクライナ報道をめぐる今日的な課題とも通底する」と説明した。
 戦争をめぐる言説がいかに形成されるのか。新聞社は何を伝え、何を伝えなかったのか。メディアの姿勢が再び問われる時に共同研究を始められたことは、意義深いことと考えている。共同研究は現在、ネガをデジタル化しデータベース登録する作業を進めている。データが蓄積され分析が進んだ段階で教育現場などに公開し、戦争や戦時報道について考えるワークショップを開くことを想定している。発表会以降、読者から祖父の従軍日誌などの資料提供も始まっている。多くの人々と対話を重ね、個人の足跡や思いを重ね合わせることで、戦争の新たな側面に光を当てる。終戦80年。語り手なき時代を前に、できる限りのデータを集め、紡ぎ、次世代へとつなげたい。
中島みゆき(東京大学大学院学際情報学府)

<写真説明>
大型モニターでカメラマン・安保久武氏の足跡をたどるコンテンツを見る(左から)渡邉英徳教授、貴志俊彦教授、安保氏の長女・田中和子さん=2022年5月18日、東京大学情報学環・福武ホールで

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