天の声にもおかしな声があるといったのは、かつて総裁選に敗れた福田赳夫首相だと言われる。だが中道革新連合がこれだけ見事に負けると、どこから再建の手を付けたらよいのか見つけにくいのではないか。
直近の読売新聞の世論調査によると、自民党39%(前回43%)、参政党5%(同4%)、国民民主党4%(同5%)、中道改革連合は2%(前回5%)だった。有権者は中道改革連合への怒りを通り越して、拒否を突き付けた感じである。
ただし中道改革連合の前身、立憲民主党の衆院選の結果を見ていると、もう一つの風景が見られる。2017年、(安倍政権、枝野代表)は、1,108万票、2021年(岸田政権、枝野代表)は、1,149万票、2024年(石破政権、野田代表)は、1,156万票を得ている。回を重ねるごとにわずかだが議席を増やしている。世論調査に応えるのと違って、投票所に足を運ぶ有権者は、立憲になにがしかの期待を持って向かったはずである。
野党第一党の立憲民主党が、自民党と連立政権を組んできた公明党が自民党とたもとを分かった途端、連立を組むというのはちょっと理解しにくい。立憲の支持者も公明党の支持者も大いに戸惑ったのではないか。
ところが双方の執行部は違っていた。直近にも予想される総選挙に向けて、立憲の1100万票と公明党の600万票が合流すれば、1700万票になるはずとソロバンをはじいたものと思われる。というのは立憲民主党と公明党が連合した中道の議席の目標も1700万票だったからだ。
ところが結果は、中道は1044万票で650万票も減らした。この1700万票という目標は立憲と公明両党のこれまでの得票数を単純に足したものだと思われる。この目標は、楽観的で杜撰だといわざるを得ない。有権者は一瞬にして連立は選挙の数合わせに過ぎないことを、見抜いたのだろう。
新生、中道改革連合の立党の理念や、日本社会の未来像、取り組むのかなどは後回しだ。他の野党にどう理解や協力を求めていくのか、政党として謙虚さにも欠ける。この手順の間違えは致命的だったと思われる。有権者の期待や要望を知り、これに応えるという構えができていなかった。
中道とかリベラルはよく話題になるが、ヨーロッパやアメリカでもそれぞれ歴史や背景があって、「これこそ中道だ」という定義はないらしい。
だが多党化時代の中道政党には、重要な役割が3つあるとされる。1つは、政権担当の予備軍として腕を磨くことだが、国会議員と接触が長い官僚OB氏によると、野党がまとまっていると、国会の建物に入るとピンと張りつめた空気を感じるが「今はそういう雰囲気はありませんね」と言っている。中道勢力に政治や行政、外交、経済などに一家言を持つ議員がそろっていたら、国会論戦は、面目一心、白熱した論戦が見られていたのではないか。
2つ目は英国の政治学者、ジョン・アクトンは「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対に腐敗する」と有名な警句を吐いている。日本の議会も政権交代があるとさまざまな分野で人が入れ替わり、風通しがよくなるだろう。
3つ目は日本ではさまざまな分野に既得権が張り巡らされているといわれる。税金の無駄遣いや天下りなどに監視の目を行き届かせて、政治や行政機構をガラス張りにすることも政治の大きな役割だ。
中道が再起を目指すのならば、敗因の徹底分析、検証とともに、自分たちの役割の重要さを再認識することが欠かせない。それにはSNSなどに任せないでもっと有権者に接して、有権者の意向を汲み取ることが大事だ。
それがあれば世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党の不都合な関係や、裏金問題、政治献金の使い方、カタログ問題の究明も欠かせない。公文書の改ざんを強要されて、自死した財務省近畿財務局の赤木俊夫さんのような事件は、二度と起こしてはいけない。
これまで自民党が大勝した総選挙といえば、中曽根康弘政権の衆参ダブル選挙(1986年)と、小泉純一郎政権の郵政選挙(2005年)、それに今回の高市選挙の3つ挙げられる。このうち高市選挙と中曽根、小泉両政権の選挙には大きな違いがある。それは中曽根、小泉両選挙は、国鉄改革や郵政民営化など実績を積み上げている。だから選挙で国民の支持が得られたとされる。
これに対して、高市選挙の勝因は、男性社会での女性首相の誕生、既得権を跳ね返してきた高市氏の生き方、閉塞感のある社会に生きる若者層の共感を捉えたことなどが背景だ。首相としての実績はこれからだ。
政治の世界では個人の人気は移ろいやすいとされる。成果が出ないとポピュリズムになる懸念を指摘する向きもある。ネットとSNSが普及し、多党化が進んだ社会では、有権者は以前にも増して「情報」に関心を持つとされる。今回の選挙では中道だけが壊滅的な打撃を受けたが、議会政治においては政権交代がいかに大事なことなのか、熟議を踏まえて再出発の好機ととらえてほしいところだ。
栗原猛(元共同通信社政治部)
“中道”はどこへ向かうのか?