大阪・中之島に漆黒の美術館誕生

 大阪の都心、中之島エリアに真っ黒な直方体のビルが出現した。低層階がガラス張りなので、遠目にはでっかい黒い箱が空中に浮かんでいるように見える。構想から約40年もかかってやっと2月にオープンした大阪中之島美術館である。大阪の新しい文化観光スポットとして話題を集める。木立の若葉が映える4月下旬、開館記念特別展「モディリアーニ展――愛と創作に捧げた35年――」が開かれている同館に足を運んだ。
 美術館は5階建て。延べ床面積約1万8600平方メートルで西日本最大級。館内は全フロアを貫く吹き抜けになっていて開放感が漂う。西側の長いエスカレーターでゆっくり、ゆっくり4階まで上る。途中で下りエスカレーターと交差する。展示室は4階(広さ1400平方メートル)と5階(1700平方メートル)。5階は天井高が6メートル。大型作品も展示できるよう設計されている。1階にはインテリアショップ、カフェ、レストランやホール、2階にミュージアムショップ、親子休憩室、アーカイブ情報室などがある。
 建物全体を貫くのは「パッサージュ」という考え。フランス語で屋根付きの商店街の意で、大阪市が設計コンペで求めたテーマだ。「展覧会入場者だけでなく幅広い世代の人が誰でも気軽に自由に訪れることのできる賑わいのあるオープンな屋内空間」(同館公式ページ)を目指した。設計コンペでは大阪出身の建築家、遠藤克彦氏が選ばれた。

 館内に入る前、広場に置かれた大きな猫の彫刻に目を奪われる。ヘルメットをかぶり朱色の衣服をつけた特徴的なたたずまいにカメラを向ける来訪者が後を絶たない。大阪出身の現代美術作家、ヤノベケンジさんの作品だ。中之島は堂島川と土佐堀川に囲まれた中州で、美術館のある場所は江戸時代、広島藩の蔵屋敷だった。荷揚げする「舟入」があったことに因んで、美術館の守り神として設置された、と説明される。4階の階段脇には同氏の作品、体長約7メートルの巨大ロボット「ジャイアント・トラやん」も常設展示されている。

 モディリアーニ展は、開館記念展第2弾。国内での回顧展は14年ぶりという。国内外のモディリアーニ作品約40点のほか、同時代に活躍した藤田嗣治、ピカソらの作品が展示されている。代表的なモディリアーニの作品はなじみ深い「髪をほどいた横たわる裸婦」。同館がコレクションとして初めて購入した海外作品だ。ハリウッドスター、グレタ・ガルボが終生手元に置いていたとされる「少女の肖像」は日本初公開だ。真矢ミキさんが解説する音声ガイドを聞きながら、アーモンド目と長い首が特徴の数々の作品を堪能した。同展は7月18日まで。
 こけら落としは3月21日まで開いた「超コレクション展 99のものがたり」。同館が収蔵する約6000点の作品の中から、代表的な約400点を選んで紹介した。近現代の絵画にとどまらず、家具やポスターなどのデザイン作品などまで及ぶ。10年に閉館したサントリー・ミュージアム[天保山]のポスターコレクション約1万8000点も寄託されている。大阪ゆかりの傑作が多いのも特徴だ。コレクションは国内でも有数と評価されている。
コレクション展の柱の一つは「山本發次郎コレクション」。大阪の実業家、山本發次郎が収集した絵画や高僧の書、インドネシアの染織などで、大阪出身の洋画家、佐伯祐三の「配達夫」は広く知られている。遺族がこれらのコレクション574点を大阪市に寄贈した。このことが美術館を構想するきっかっけとなる。その後、民間からの寄贈が相次いで約5000点に及び,同館コレクションの礎となった。
  
 オープンまでの道のりは平坦ではなかった。1983年、大阪市制記念事業の一つとして近代美術館の建設が構想され、翌年には30億円の美術品取得のための基金が設けられた。建設用地の取得も進む。2004年度までには建設されているはずだった。ところが、90年代に入り市の財政難が深刻になり計画は頓挫。07年に就任した平松邦夫市長が当初案を縮小した整備計画をまとめたが、翌年市長になった橋下徹氏が計画を白紙撤回してしまった。こうした曲折を経て14年、新たな計画が示されようやく日の目を見ることになった。
 美術館の運営は、民間事業者に委ねる「コンセッション方式」を採用したのも大きな特徴。朝日新聞社グループの朝日ビルディングが選ばれて設立した大阪中之島ミュージアム(資本金1500万円)が担っている。この方式による運営は全国の博物館・美術館では初めてという。大阪市は開館に先立つ19年、美術館、博物館の財政を確立しようと、市立美術館、市立東洋陶磁美術館など五館を一体運営する仕組みを作った。中之島美術館も含まれる。
菅谷富夫館長は,各紙のインタビューに、展覧会にとどまらず、工業デザインのアーカイブやデータベース化、企業や研究者との連携などを強化、「開かれた美術館」として大阪文化の発信を目指すと答えている。10月には、隣接する国立国際美術館と合同で、「分化と統合」をテーマに具体美術協会(具体)展を企画している。
「具体」は吉原治良をリーダーに、1954年に結成された戦後最大の美術家集団だ。
 大阪府は人口10万人当たりの美術館数が全国ワーストである。長い間、「非文化的な都市」とか「文化不毛の街」となどと言われた。同美術館活動がこうし都市イメージを払拭する主役となることが期待される。
    七尾 隆太(元朝日新聞記者)

Authors

*

Top